タグ

ブックマーク / elmikamino.hatenablog.jp (39)

  • 連綿体活字 - 記憶の彼方へ

    古活字版(嵯峨)光悦謡『冨士太鼓』(早稲田大学図書館蔵、→ 拡大写真*1) 「嵯峨」の連綿体活字はたしかにある意味で美しい。手書きでも、整版*2でもない。木で作った活字による印刷である。「嵯峨」は日における活字印刷による出版事業のはじまりとされる。そんなビジネスが始まった場所は京都の嵯峨、時代は慶長、元和年間(17世紀前半)。始めたのは角倉素案(すみのくらそあん)。海外貿易や土木事業で財をなした角倉了以(りょうい)の子。協力したのは書家の阿弥光悦と経師の紙師宗二の二人。今風に言えば、ビジネスマンとアーティストと職人の共同事業だった。 嵯峨 - Wikipedia グラフィックデザイナーの永原康史氏は「嵯峨」についてこう語っている。 美しい料紙装飾と造が目をひく嵯峨だが、もうひとつ大きな特徴がある。活字印刷されていることである。嵯峨に用いられた活字は木製の連綿体活字(連

    連綿体活字 - 記憶の彼方へ
  • 印刷史の盲点 - 記憶の彼方へ

    『印刷史/タイポグラフィの視軸』(asin:4916043820)の「近代日活字史の基礎知識」で、府川充男氏は江戸期の書体に関して当時の身分差別の観点から次のように述べる。 江戸期に、庶民が明朝体の書物を読んだりすることはまずありえませんでした。つまり明朝体は智識階級だけが読む文字だったわけです。(22頁) この一文に関する脚注にはこうある。 庶民の子供が通う手習いで教わる漢字は恐らく数百のオーダーを出なかった。また漢字も行草が基であって、日常読み書きならわす文字は行草プラス仮名が主体であった。草子の類いの紙面に現れる漢字もせいぜい数百、しかも庶民を対象とする書物では漢字にすべて振り仮名が付いていた。対して武士の子弟は三字経、千字文から始まって徹底的な漢字教育を受けた。漢文、漢籍の文字は楷書ないし明朝体であった。武士や僧侶と庶民とでは、<文字生活>に階級的な隔絶があったのである。(2

    印刷史の盲点 - 記憶の彼方へ
  • 少なくともインドにまでは赴かなければ - 記憶の彼方へ

    ああ、やっぱり、そうだったか、と呟いていた。 杉浦康平が「日」という「かたち」の源泉を東アジア全域から南アジアまで辿り、インドで決定的な体験をしたように、 活字を通して、活字の彼方へ(2008年03月08日) かつて吉増剛造もブッダ、そしてタゴールのインドに赴き、日語の中に埋もれた異語の響きの記憶の影の中を生死の境を彷徨うようにして歩いたのだった。 1988年から89年にかけて、三度にわたってインド、バングラデシュを訪ねたときの体験を、吉増剛造は次のように語っている。 「漢字」、「ひらがな」、「片仮名」の綾織り、ところどころに冷たい風もちぎれて音韻の隙間のある習いおぼえ書き馴染んだ言葉が、とおい異国の風景を語るとき、とても使いづらい筈なのに、僕はいまインドの時間を語ろうと思いつつ思いがけない言葉の騒ぎを身内に感ずる。それは懐かしさとも沈黙ともちがう。おそらくこういい切ってよいだろう。い

    少なくともインドにまでは赴かなければ - 記憶の彼方へ
    FeZn
    FeZn 2008/05/07
  • 明治二十年代、そして - 記憶の彼方へ

    最近二人の専門家から学んだ深く関連する興味深いことが二つある。二つともある重要な意味でウェブやブログにも関係すると感じている。 デザインとはあくまで「情報を公開する技術」である(主に鈴木一誌著『ページと力』から) 今日の日語の文体と組版の直接のルーツは明治二十年代の文藝書にある(主に府川充男著『印刷史/タイポグラフィの視軸』から) ページと力―手わざ、そしてデジタル・デザイン 作者: 鈴木一誌出版社/メーカー: 青土社発売日: 2002/10メディア: 単行購入: 4人 クリック: 19回この商品を含むブログ (24件) を見る 印刷史/タイポグラフィの視軸―府川充男電子聚珍版 作者: 府川充男出版社/メーカー: 実践社発売日: 2005/11メディア: 単行 クリック: 9回この商品を含むブログ (18件) を見る 二人とも印刷物が専門なので、ウェブやブログのことなど念頭にないと思

    明治二十年代、そして - 記憶の彼方へ
    FeZn
    FeZn 2008/04/28
    >"この引用文の「作家」を「ブロガー」に、「明治二十年代」を「平成10年代」か「平成20年代」に入れ替えた文が歴史的事実を表すことになるかもしれないじゃないか、と思った"
  • 『シカゴ・マニュアル』はとってもクールだ - 記憶の彼方へ

    The Chicago Manual of Style(The Chicago Manual of Style, The University of Chicago Press, First edition published 1906) この通称『シカゴ・マニュアル』はとってもクールだと思った。鈴木一誌氏によれば、このは「編集者のマニュアル」、「づくりのバイブル」とも呼ばれ、文字組、表記、句読法など、英語印刷物をつくる際のルールを記したいわば「書物についての書物」である(『ページと力』157頁〜158頁)。現在、オンライン版『シカゴ・マニュアル』を利用することができる。 The Chicago Manual of Style Online。 現代思想好きの人なら、鈴木氏も引用しているように(『ページと力』160頁〜161頁)、あのスラヴォイ・ジジェクがこのをやり玉に挙げて、出版社に

    『シカゴ・マニュアル』はとってもクールだ - 記憶の彼方へ
  • mmpoloさんの小さな大発見 - 記憶の彼方へ

    mmpoloさんが街角で面白い発見をなさった。是非ご覧いただきたい。 「不思議な句点の使い方」(『mmpoloの日記』2008-03-20) 一目見て、ピンと来た。早速、府川充男著『印刷史/タイポグラフィの視軸』(asin:4916043820)にあたってみた。句読点が現代のように使われ出したのは明治20年代以降であることは以前調べて知っていた(「明治二十年代、そして」)ので、それ以前だろうと見当をつけて、幕末から大正にかけての新聞をとりあげた章「幕末––大正の新聞紙面と組版意匠の変遷」に掲載された数多くの明治一桁代の新聞紙面の図版を見ていたら、そのなかにあった! 図––二十八『東京日々新聞』第五千二百五十一号第八面(部分)の部分 mmpoloさんが発見なさった「不思議な句点」と同じロジックで使われていることがお分かりだと思う。当時(明治一桁代)まだ句読点を使うスタイルは生まれていない。新

    mmpoloさんの小さな大発見 - 記憶の彼方へ
    FeZn
    FeZn 2008/04/28
  • 小カギの消息 - 記憶の彼方へ

    asin:4888882355 府川充男氏が大カギと小カギの遣い分けルールを記した例外的なマニュアルとして挙げていた日エディタースクールの『標準 校正必携』の「第七版 電算植字対応版」(2006年)に目を通した。 文字の辺境、無音の約物の世界は賑やかだ(2008-04-09) 名前の通り、「校正」に必要な標準的な知識がコンパクトにまとめられている。目次を眺めていると校正の世界の輪郭がつかめる。便宜的に書にはない番号を振る。 まえがき 01 全音訓/五十音順 常用漢字表 付 旧字体 02 常用漢字表付表 03 常用漢字表前文 04 当用漢字字体表まえがき 05 常用漢字の新・旧字体一覧 06 [付表]活字として従来二種以上の形のあった中から一を採ったもの 07 人名用漢字表 付 人名漢字に使える旧字体 08 教育漢字学年別配当表 09 「異字同訓」の漢字の用法 10 同音の漢字による書き

    小カギの消息 - 記憶の彼方へ
  • モダン・ローマン体の「遺伝子」 - 記憶の彼方へ

    Bodoni*1 田中正明著『ボドニ物語』(印刷学会出版部、1998年)を読んだ。期待はずれだった。でも、なぜか、しばらく手元に置いて、ときどきぱらぱらと捲りがながら、何かを考え始めていた。なぜ期待外れだったのか。そもそも俺は何を期待していたんだ? ボドニ物語―ボドニとモダン・ローマン体をめぐって 欧文書体におけるモダン・ローマン体の代名詞ともいうべきボドニ体とその生みの親であるボドニという人物をめぐる物語。知らなかったことはたくさんあった。面白いこともたくさんあった。天才的書体デザイナー、印刷人としてのボドニの生きざま、ボドニとボドニ体を巡る歴史の襞の陰影深い味わい。普通なら、それらを褒めて終わるところだ。しかし、何かが物足りない。何が? ところで、案の定、松岡正剛氏が8年前に書を取りあげていた。 松岡正剛の千夜千冊『ボドニ物語』田中正明(第百二十八夜【0128】2000年9月12日)

    FeZn
    FeZn 2008/04/28
    ああ。僕の読了感とかなり近い。/セイゴオ先生の「タイポグラファ」の使い方がビミョウなことにいまようやく気づいた。元記事(ボドニ物語の紹介文)は読んでたはずなのに。
  • 千五百年にわたる日本語のかたちを鳥瞰する - 記憶の彼方へ

    語のデザイン (新デザインガイド) 作者: 永原康史出版社/メーカー: 美術出版社発売日: 2002/03/26メディア: 単行購入: 2人 クリック: 10回この商品を含むブログ (19件) を見る 永原康史『日語のデザイン』(美術出版社、2002年)をときどき手に取っては、8頁分が折り畳まれた「日語のかたち鳥瞰」図をひろげてみる。何も考えず、ただ見るだけでも楽しい。 そこには古代は471年の「金錯銘鉄剣」、503頃の「隅田八幡鏡銘」から現代は石井明朝(MM-OKL)とゴナB写研、OSAKA10ポイント、ビットマップ・フォント(アップルコンピュータ)にいたるまで51種の文字たちが文字通りグラフィカルに並んでいる。それは千五百年におよぶ「日語のかたち」の変遷の一筋を巧みにレイアウトしたいわば「文字の歴史デザイン」作品にもなっている。色んな「声」が聞こえてくる。色んな「風」が吹い

    千五百年にわたる日本語のかたちを鳥瞰する - 記憶の彼方へ
    FeZn
    FeZn 2008/04/14
  • つい百年前の自国の文字を読めない不自由の異常さ - 記憶の彼方へ

    これは讀めるが…。 「いろは」、『竪一行双幅』部分 昔から好きだった良寛(Ryōkan Taigu, 1758–1831)の書を入口に「断絶」の彼方にある「旧字旧かな」の世界に入って行こうとしている自分がいる。 良寛の「脆弱を恐れず、寂寥を忘れず」の生き方と「切実」の思想についてはこの人の話を聞くのがいい。 松岡正剛の千夜千冊『良寛全集』(上下)良寛 私が何の疑いも持たずに空気のように吸い込み、水のように飲んでいる、現代の日語表記には、わずか60年余りの歴史しかない。時枝誠記(ときえだ もとき、1900年–1967)*1を恩師にもつ築島裕(つきしま ひろし、1925年生まれ)は『歴史的仮名遣い』(中公新書、1986年、asin:4121008103)でこう書いている。 昭和21年11月、第二次世界大戦が終わってわずかに一年余、東京の町は、まだ焼け跡にトタン板のバラックが建っているようなこ

    つい百年前の自国の文字を読めない不自由の異常さ - 記憶の彼方へ
  • 『組版/タイポグラフィの廻廊』の中身、平仮名の実験 - 記憶の彼方へ

    日、先の「タフテ」と一緒に府川充男他著『組版/タイポグラフィの廻廊』(白順社、2007年12月、asin:4834400980)が届いた。「はしがき」によれば、書は当初『組版原論』の新版として企画が持ち上がったらしいが、諸般の事情から、「旧著から講演一のみを択り、それに附しては雑誌に掲載された対談、座談会を組み合わせ、大熊肇氏による書下ろし稿を加え」たアンソロジーとなった。ところで、さほど意外なことではなかったが、『組版原論』はそもそも『聚珍録』の「販促用パンフレットとして急遽制作されたものにすぎなかった」という。ところが販促すべき『聚珍録』が大幅に遅延したために、『組版原論』は一人歩きしてしまったという認識を府川氏は漏らしている。 『組版/タイポグラフィの廻廊』の「目録」*1。 題名 著者 初出 タイポグラフィの視線 府川充男 『組版原論』 八〇年代のブックデザインとタイポグラフィ

    『組版/タイポグラフィの廻廊』の中身、平仮名の実験 - 記憶の彼方へ
  • 表(テーブル)は罫線が少ないほど美しい - 三上のブログ

    年末から年始にかけてある論文を書いているときに、自分で縦と横の罫線を引いて作った表にものすごく違和感を抱いた。色々と試行錯誤したが、違和感は解消しないまま、締め切りが来て、やむなくそのまま提出した。実は印刷会社の方でうまく修正してくれるだろうと甘い期待をしていた。しかし、戻ってきた校正刷りの表は私がワープロで作った表そのままだった。二回の校正をしているときにも、ずっと悩み続け、そもそも事象の分類に根的な問題があるのではないかとまで考えたが、結局解消しなかった。 その後、書体や組版のことを調べ始め、色々と細々したことを気にして見るようになったせいか、ある時ふと日語のや雑誌に見られる表は基的に私が作った表と同じであることに気づいた。つまり、縦と横の罫線がいわば律儀に全部引かれているのである。実際に三冊のから典型的な表を挙げてみよう。これはあくまで組版上の問題であり、の内容の評価とは

    表(テーブル)は罫線が少ないほど美しい - 三上のブログ
    FeZn
    FeZn 2008/04/10
  • 文字の辺境、無音の約物の世界は賑やかだ - 記憶の彼方へ

    「藤岡弘、」、「モーニング娘。」…。知らなかった。芸名に句読点やピリオドが含まれる芸能人がこんなにいるとは。芸人ではないが、そういえば、知り合いのデザイナーは「takuo.. .」だった。シャレたことをしているなあと感じていたが、文字世界の辺境に遊ぶセンスの賜物なのだった。 芸名に句読点が含まれる芸能人の一覧 組版と印刷の世界では、句読点をはじめとして括弧類・圏点・漢文用の返り点など文字や数字以外の各種の記号を総じて約物(やくもの)と呼ぶ。欧文ではPunctuation。 府川充男は前田年昭との対談「約物と組版設計を見る眼」の中で約物の歴史についてこう語る。 (嵯峨の古活字版『伊勢物語』のような)古活字版の世界には句読点をはじめとする記号・約物というのがないので、それに伴う禁則も、それを避けるための調整も存在しません。では、約物の禁則がいつごろから出来てきたかと言えば、抑〻(そもそも)文

    文字の辺境、無音の約物の世界は賑やかだ - 記憶の彼方へ
    FeZn
    FeZn 2008/04/10
     大カギと小カギ/ちくまの二重引用は確か小カギ/
  • ページネーションとは何か - 記憶の彼方へ

    語の組版の基を知りたくて調べたときに、書籍としては次の三冊がよく言及されていた。 (1)組版原論―タイポグラフィと活字・写植・DTP (2)基語文字組版 (3)明解クリエイターのための印刷ガイドブック DTP実践編 (コマーシャル・フォト・シリーズ) そして、驚いたことに、(3)所収の鈴木一誌・前田年昭・向井裕一著「明解日語文字組版」に基づいた鈴木一誌氏制作による詳細なマニュアルがウェブ上で無償公開されていることを知った。編集者、デザイナー、組版・製版および印刷担当者向けのマニュアルだが、私のような素人にも非常に役に立つ。 ページネーションのための基マニュアル (その中では、例えば、以前私が取り上げた日語横組の場合の「句点+読点」か「句点+コンマ」か、はたまた「ピリオド+コンマ」かに関しては、ズバリ基としては「句点+読点」と銘記されている。) そのとき、こんなことができ

    ページネーションとは何か - 記憶の彼方へ
    FeZn
    FeZn 2008/04/10
  • 第1回活版印刷ワークショップを見学して - 記憶の彼方へ

    日午後、札幌市中央区南8条西9丁目に40年前からある日章堂印房で、酒井博史さん主催の第1回活版印刷ワークショップ「活字よ、こんにちは。」が予定通り開催された。私はなるべく邪魔にならないように、ときどき参加者の皆さんとおしゃべりしながら、写真を撮った。 私が開始時刻十五分前にお店に到着したときには、すでに参加者の皆さんは店内で酒井さんを囲んで談笑していた。前回同様に、お店の看板の上で鳩たちが出迎えてくれる。ワークショップは予定時刻に始まった。酒井さんお手製の、達筆の手書きの資料が配られた。味のある手書きの挿絵も入っている。それを使って先ずは非常に分かりやすい活版印刷レクチャーが行われた。鉛の活字だけでなく、普段仕事で使う樹脂版、木(コマ)、金属製の凸版、さらにはゴム版などの実物をひとつひとつ説明しながら皆さんに手渡して、酒井さんは活版印刷とはそもそも何かという説明から始めた。それから順に、

    第1回活版印刷ワークショップを見学して - 記憶の彼方へ
    FeZn
    FeZn 2008/04/10
  • 道具に魂を奪われるほどに - 記憶の彼方へ

    生活と仕事、あるいは仕事を含めた生活のなかで、日々の決まり事、決め事を面倒くさいなあと思いながら受け身にこなしているか、それともそれこそが大切な何かを死守することなのだと腹を決めて前向きに手を抜かずに取り組んでいるかの違いが、その人の生活と仕事の質を決めるのではないだろうか。例えば、仕事や生活に必要な道具や場所の整理や手入れを他人まかせにしているか、それともこまめに手間と時間をかけて自分で整理したり手入れしたりしているかの違いが、作品や商品の質に反映し、商売では結果的にお客さんがつく/つかないの違いにもつながりうるのだと思う。 私は、自分のことは思い切り棚に上げて、そういう眼で世間を見ているようだ。そのせいか、そんなんで商売はしてほしくないなあと感じることは少なくない。基的に自分の仕事に愛着と誇りを持っていない人、お客さんの立場に立てない人がやっている商売は芳しくない。そしてそれは日々の

    道具に魂を奪われるほどに - 記憶の彼方へ
    FeZn
    FeZn 2008/04/10
  • 点をめぐる秘かな攻防:読点かコンマか - 記憶の彼方へ

    校正中の原稿。読点(、)がコンマ+スペース(, )に修正されている。 日語の横書き文書では点をめぐって秘かな攻防が繰り広げられている。「句点+読点」VS.「句点+コンマ」である。そこには旧文部省VS.旧自治省という背景があったらしい。知らなかった。 日語の縦書き文書では文の終わりにもっぱら読点(、)が用いられるのに対し、横書き文書では読点とコンマの両方が用いられる。現状では読点の方が若干多いように思われる。しかし、旧文部省が「公用文作成の要領」においてコンマの方が横書きでは正しいとしたが、旧自治省が「左横書き文書の作成要領」において読点を使用することが正しいとしたため、実質上どちらも正しいとされる。 コンマ(ウィキペディア、2008年3月11日検索) 私は横書きでも必ず読点を用いるようにしているが、印刷所から戻ってきた原稿は上のようにすべて強制的にコンマに置き換えられている。以前から気

    点をめぐる秘かな攻防:読点かコンマか - 記憶の彼方へ
  • テクストの領土、組版の領域 - 記憶の彼方へ

    世の中にはテクスト右派とテクスト左派がいる、と考えた。いわゆる好きはテクスト右派。テクストは読めりゃいい派。いわば真性意味中毒者。対して、私がなりかけている字体、書体、書風まで気にするのがテクスト左派。テクストは読めりゃいいってもんじゃねえと、ちょっと斜に構えたひねくれ者。別名真性活字中毒者。実際にはその中間に無限の程度差がある。それに、私にかぎっては、一日のうち真性活字中毒者に近づくのはせいぜい数時間で、残りの大半は立派な普通の意味中毒者である。 組版/タイポグラフィの廻廊 作者: 府川充男,小宮山博史,日下潤一,大熊肇,前田年昭,小池和夫出版社/メーカー: 白順社発売日: 2007/12メディア: 大型 クリック: 79回この商品を含むブログ (11件) を見る 一昨日『組版/タイポグラフィの廻廊』(2007年)を軽く紹介した。10年前に「現象」にまでなったという伝説的な『組版原論

    テクストの領土、組版の領域 - 記憶の彼方へ
    FeZn
    FeZn 2008/04/09
     自分は……自称は中道。でも実質は中道左派というか左翼というか。でも同時に右派でもあるからやっぱり中道。←それを左派という。/というかFnZnじゃないっす。
  • 痩金体の消息:普遍書体はありうるか - 記憶の彼方へ

    中国の宋代の皇帝徽宗(きそう, 1082–1135)が考案した痩金体(そうきんたい)という楷書の書風がある。力強い硬い線で書かれ、キツい印象の書体である。「金属」的な印象から「痩金体」と命名されたらしい。 欲借風霜二詩帖*1 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Songhuizong.jpg 1996年に台湾社のあるフォント・ソフトウェア会社ダイナコムウェア(威鋒數位, DynaComware)がこの痩金体の書風をもとに漢字、仮名、ラテン文字を統一的にデザインした同名のデジタル・フォント「痩金体」を作った。 小宮山博史氏はインターネット時代の国際的な書体環境を見据えた国際的書体設計の困難と可能性を語る文脈でこのダイナコムウェアの「痩金体」に言及している。 非常に良くできた書体で、漢字は中国人が作りました。平仮名・片仮名は多分、

    痩金体の消息:普遍書体はありうるか - 記憶の彼方へ
    FeZn
    FeZn 2008/04/09
  • 寄り引きの補正、私のささやかな実験 - 記憶の彼方へ

    府川充男氏はタイポグラフィの技術の「いろは」を二点に要約する。 「タイポグラフィ」ということのアルファにしてオメガというのは、何をどう組み合わせるか、つまり、第一に、どういう形の文字を、つまりどういう字体・書体・書風の文字を、第二に、どのように、つまり人間の眼のどうしても持ってしまう錯覚を利用して組み合わせていくのかという技術に尽きます。(『組版原論』31頁) その「錯覚」とは「錯視の構造」のことで、「人間の眼にはある傾向、錯視の傾向があって、一直線が一直線に見えなかったり、同じ寸法が違って見えたり」することを指す。したがって、 タイポグラフィの扱うものは一般に文章語の文字列ですから、そこにおける錯視の構造への対処です。偏って見えてしまったりする文字の位置を是正することを「寄り引きの補正」といいます。タイプフェイス・デザイン自体においても、最も肝腎で、最も手間のかかることは寄り引きの補正を

    寄り引きの補正、私のささやかな実験 - 記憶の彼方へ
    FeZn
    FeZn 2008/04/09
    字を書くときは紙を左に傾けろと教わりました僕は。