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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/nanari (2)

  • 2007-02-12 - 七里の鼻の小皺

    対象を失った愛の持続力は、ひとえにわれわれの想像力に係っている。生きられなかった生(星?)の総体に辿り着くには、不在から始まる認識としての想像力を鍛え上げるしかない。「想像力は死んだ、想像せよ」。というのも、われわれが待ちつづける振りをしてきたのは、自らの手で封じ込めた、認識力の全能なのである。●人はまだ、それに名前を与えられずにいるけれど、「自由」や「愛」と肩を並べるだけの重要性をもった概念が、やがて存在する。ぼくは、その概念を探し求める旅を、ひとつの小説として書いている(若い人は知らないかもしれないが、小説というのは、スクールカーストや性の悩みを告白するためのメディアではなかったのだ)。何人かの詩人や思想家、声優、少なくとも、サファイア、高杉勇作、イルリメらとともに。そして、社会に抗してまだこのブログを読みつづけるという、蛮勇を示してくれた、あなたとともに。●自分のもっているものも、も

  • 七里の鼻の小皺 - 対象をもたない愛(1)――「萌え」・「大切な何か」・『トップをねらえ2!』・『Anisopter』

    対象を失った愛は、涙の国の極限でわれわれに明日を与える。この世では手に入らないものを愛していると自覚しながら、なおこの愛のための抜け道を人生のなかに探すとき、われわれは、結局は一度も与えられなかった世界、輝かしい無償性を受け止めてくれるはずだった世界の可能性を生き始める。「萌える」とは、対象をもたない愛の感情である。その強さは、愛の不可能性を恥じながら、結局は何も諦めきれないだろう自分への矜持を辛うじて持続させようという意思に、遠い理由をもっている。この愛が、自分の心の内に根を降ろしていて、そしてまた、自分自身の他には行き着く先をもちえないだろうという意識のうちに、「萌える」という単語の植物的自発性が慎ましく場所を得ているのだ。「萌える」という言葉については、重要なことはまだほとんど何も言われていない。人々はあまりにもしばしば、この言葉について比喩的に語り、類似性のうちにそれを見失ってきた

    Fuetaro
    Fuetaro 2006/11/06
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