テレビと原子力の父(同時にプロ野球とプロレスの父でもある)正力松太郎 様 拝啓 盛夏の候、益々ご健勝のことと存じます。お盆は現世に魂が戻りますことから、手紙形式に致します。 貴殿が初の民放テレビ放送に尽力され、1953年8月から放映が開始されましたが、まもなく還暦を迎えるときにアナログ停波となり地デジ移行となりました。 昨今のテレビやメディアの抱える事情とともに、同じく国内への導入に熱心だった原子力発電も、東日本大震災で生じた福島の原発事故など、まさしく万感の思いで見つめているに相違ありません。 現在は批判がありますが、テレビ・原子力発電共に日本が西側陣営の一員として国際社会の中で生きていくため、政治色が強いながらも貴殿は初代科学技術庁長官として、また日本テレビ放送網社長として積極的に導入を進められました。同時にテレビの社会的地位の変化も感じざるを得ません。 ・神棚の時代 当時は街頭テレビ