37歳で初入閣。「国務大臣」と書かれたポスターが目立つ。序盤戦、どの演説会もいすに座れないほどの人で埋まり、手応え十分にみえた。だが、電話作戦班が異変に気付いた。 支持者に混じる「今回は民主に…」の声。陣営幹部は本人に風向きの変化を自覚させようと、早朝のつじ立ちをセッティング。野田は通勤客に無視され、劣勢に気付いた。支援者も終盤用の「必勝」はちまきを締め、目の色を変え始めた。 前兆は解散後からあった。4年前の郵政選挙で“刺客”の佐藤ゆかり=東京5区へ転出=を応援した党員が、民主候補の後援会を結成。佐藤を支持した笠原多見子(44)は自民県議を辞め、民主の比例単独で立候補した。