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琉球処分に関するI11のブックマーク (2)

  • 尖閣諸島問題において、とある掲示板にて反論の投稿

    尖閣諸島問題において、とある掲示板にて反論の投稿を行いました。 一応その反論部分について、私ながらもうまくまとまっていると思い、自分の投稿を掲載します。 尖閣諸島が私が中国領土というのも、地理的なものだけではなく、きちんと根拠があってのもの。 江戸時代には中国領と規定されており、過去には中国側も実効支配しいたという事実も文献にはある。明は倭寇の襲来に備えて尖閣諸島も海上防衛の区域に加えている。 尖閣諸島を日に加えた経緯は日清戦争の講和条約の一年前で、日清戦争に勝利しかけていた時期であり、その上、未公表で閣議決定において尖閣諸島を日領土に組み込んだが、私とかに言わせればまさに窃盗、盗人の所業。 それに沖縄だって、元は日のものではない。1945年に敗戦し、ポツダム宣言を受諾した段階で1945年に琉球国として独立するべき地域だったのだ。 1872年に廃藩置県が行われたが、その翌年武力により

    尖閣諸島問題において、とある掲示板にて反論の投稿
    I11
    I11 2010/11/04
    いま大城立裕の『琉球処分』を読んでいたのでををと思った。日本でも中国でもなく琉球国のものだという議論は筋は通る。だが領土確定の時期をそこまで遡るとそもそも沖縄県は…という議論をせねばならない。
  • 権力の館を歩く:沖縄・県庁と高等弁務官事務所=御厨貴 - 毎日jp(毎日新聞)

    国土の0・6%に在日米軍基地の75%が集中する基地の島、沖縄。35年前に施政権が返還された後も、戦後日の矛盾と現実を一貫して象徴してきた。急逝した建築家、黒川紀章が手がけた那覇の県庁舎と、基地に残る占領期の「帝王」、高等弁務官事務所。新旧の権力の館を訪れた御厨貴・東大教授が見たものは、伝統を封印された沖縄の怒りと祈りだった。 ◇米軍と土が映した戦後--行政棟に浮かぶ黒川紀章の「祈り」 戦後はいつ終わるのか。あの戦争の終結から六十二年たった今も、沖縄では常に問い直される。「沖縄の返還なくして日の戦後は終わらない」と、高度成長の真っ只中(ただなか)で当時の首相佐藤栄作は明言した。しかし日への復帰から三十五年たった夏、沖縄は軍の関与をめぐる教科書検定問題で沸騰した。確かにあの戦争の記憶は時間と共に薄らぎつつはある。とはいえ、コトあるごとに終わらない戦後がくっきりと蘇(よみがえ)る。 琉球

    I11
    I11 2007/10/27
    良記事。ホッテントリに浮上するブロガーの素人エントリーと比べると、やはりマスコミのプロがつくる記事はプロとしての品格と重みを感じる。
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