●送り手(作り手)と受け手を分けて考えることが、何か大きな、根本的な間違いであるように思う。例えば、野球を好きな人は、身体や健康上の理由などがなければ、大抵、自分でもやろうとするものではないだろうか。草野球のチームに入るというところまで行かないにしても、キャッチボールをしたりバッティングセンターに行ったりくらいはするのではないだろうか。あるいは野球ゲームとか。何かしらの理由でそれが出来ないときは、その現状に不満をもつものなのではないだろうか。「野球が好きだ」ということのなかには既に、観ることとすることの両方が含まれるのではないか。あるいは、音楽が好きな人ならば、自分でも楽器を演奏したり、曲をつくったりするのではないだろうか。それを特に、人前で披露したりはしないにしても。 逆に言えば、野球を「観る」だけ、音楽を「聴く」だけで満足するような、「野球が好き」「音楽が好き」には、どこかいびつなもの