1910年8月22日、漢城府(現ソウル)に戒厳令が敷かれ軍と警察が巡回する中、日本と大韓帝国(韓国)は「韓国併合に関する条約」(以下、併合条約)に調印しました。以来36年、朝鮮半島は日本の植民地下に置かれます。その時、日本は朝鮮で何をしたのでしょうか。(栗原千鶴) 総督府設置し専制政治 一片の“権利”も付与せず 併合条約に調印直後、日本は朝鮮にあった結社を解散させ、政治集会を禁止します。29日に併合条約が公布されると呼称を「韓国」から「朝鮮」に変更。司法・行政・立法の三権を握る「朝鮮総督府」を新設し、初代総督には現職の陸軍大臣だった寺内正毅が就任しました。 日本は併合条約の前文で、併合は両国の幸福や東洋平和のためだと合理化しました。しかしその約3カ月前には「併合後の韓国に対する施政方針」を閣議決定し、▽朝鮮には当分、憲法を施行せず大権(天皇)により統治する▽総督は天皇に直属し、朝鮮における