'69.5.13 於:「東大【焚】祭」
武&山根の展覧会レビュー 特別編 うわさの靖国神社・遊就館に行く その3 ── 武 盾一郎&山根康弘 ── 投稿:2006年09月22日 著者:武 盾一郎&山根康弘 (その1は2044号、その2は2045号に掲載、今回で完結) ●神社とアニミズム 武: 伝統とかいうけど、靖国は明治。 山: そんなに古くはないわな。 武: しかも、日本が本格的に欧米化することを讃えてるんだよ。 山: そういうことなんかねえ。 武: だからさ、岡本太郎が、しゃらくせー! そんな百年程度の浅い歴史じゃなくて数千年前を見ろ! と叫んだんだよ。日本といえば縄文だろ! 山: ははは。しかし古いなー! 誰もシランがな。まあ、じゃあ縄文がなんなんだ、ということをちゃんと見せれんとしょうがないわな。 武: 上尾で馬が祀ってあるけど、明治より古いぞ! 山: 古けりゃいいってもんでもないやろ(笑 武: いやね、良く働く馬を祀
武&山根の展覧会レビュー 特別編 うわさの靖国神社・遊就館に行く その1 ── 武 盾一郎&山根康弘 ── 投稿:2006年09月12日 著者:武 盾一郎&山根康弘 武: こんばんはー! 山: どうも。こんばんは。 武: いやー、お疲れさまでした。九段下はローグの武道館以来ですよ! 山: ローグ? なんやそれ。おいしいの? 武: ローグと言えば、ボウイを産んだ群馬県のロックバンドですがな。もう解散してるけど。っていうか、今日は雨であいにくの天気でしたが。 山: なかなか風情ありましたな。あの売店。 武: 売店かい! ワンカップ一杯400円はちょっと高いな。 山: 観光地やね。 武: そだねー観光地価格でしたねー。せめて、250円にしてくれ。焼きソバ450円もちょっと高いな、せめて300円にしてくれ。 山: どこを想定した値段やねん! 武: 地元団地の祭り値段。 山: 今どき300円の焼そ
武&山根の展覧会レビュー 特別編 うわさの靖国神社・遊就館に行く その2 ── 武 盾一郎&山根康弘 ── 投稿:2006年09月13日 著者:武 盾一郎&山根康弘 (その1は2044号に掲載) ●特攻機デザインと特攻 武: 絵は息抜き(笑)。そんでね、零戦とか特攻機とか人間魚雷とか展示してあったでしょ。 山: あったな。 武: 特攻機が一番小さかったかな。 山: あの白いミョーな飛行機な。 武: 少ない材料で最も速く効率的に体当たりする為だけの戦闘機なんだろうけど、究極の効率を求めると、かわゆいデザインになってしまうのね。零戦もなんかおちゃめなフォルムだし、なんでだろうなあ。 山: 全体的に丸っこい形やったな。飛びやすいんかな。戦車は違うかったけど。 武: なんか、あの特攻機のフォルムから鉄腕アトムを連想するのはたやすいというか。本当は玉砕自爆のもの凄い乗り物なのに。 山: 特攻兵器に
武&山根の展覧会レビュー 「プライス大邸宅 〜お金があれば何でもできる展(とりあえず若冲)」若冲と江戸絵画展 ── 武 盾一郎&山根康弘 ── 投稿:2006年08月23日 著者:武 盾一郎&山根康弘 山: どーもー。 武: こんばんわ。なんだか、呑みたくなってきっちゃうなー。 山: あ、僕今ビール買ってきたで。ビール。 武: まじすか? いーなー! 山: ぷはーっっっ うまい! 武: ずるーっ!! 山: なんで? 飲んだらええやんか。 武: はい、持って来ました。焼酎。あー、今日こそ酒を抜いてきれいな身体にしようと思ったノニー。。 山: 一日酒抜いたからってキレイになるわけないやろ。貰い煙草やめるとかな。そのほうがええで(笑) 武: トクトク・・・ングッ、あーうめー! 山: しかし今日も暑かったなー。酒は旨いし。まいったな。蝉時雨がなかなかいいですな〜。 武: 夕涼み 麦焼酎と 蝉の声
武&山根の展覧会レビュー 絵を観る楽しさ「パウル・クレー展」 ── 武 盾一郎&山根康弘 ── 投稿:2006年08月09日 著者:武 盾一郎&山根康弘 武: こんにちは。 山: どうもー。昨日はお疲れ様でした! 武: いやー、良かったねー! 日暮里のラーメン屋。 山: そっちかい! 武: ウーロンハイ1杯180円だし。なんこつ美味しかったし。鳥なんこつじゃなくて豚ですからねー! 山: かなり硬かったで。うまかったけど。今日は思わずチャットすんの忘れて飲みに行こうと考えてましたわ。あぶないあぶない。ま、今飲み始めたんやけどね。 武: 暑い一日が終わろうとして涼しくなった黄昏時は呑みたくなるのう。って呑んでるんかいっ! 山: ま、夜は長いですやん。 ●「パウル・クレー展 創造の物語」/川村記念美術館 武: はは。夏だねー。ってことでですよ。今回は「パウル・クレー展 創造の物語」を観に川村記
武&山根の展覧会レビュー この夏、岡本太郎ツアーに行こう! ── 武 盾一郎&山根康弘 ── 投稿:2006年07月31日 著者:武 盾一郎&山根康弘 ●まずはMKオマージュ 武: こんにちは! MKチャット[#2015]でいじって頂いて光栄です! 山: こんちはー。何を隠そう、あれはオマージュです(笑)。 武: そうそう。オマージュなんです。ってのはね、実はフラッシュと出会ったのはまつむらまきおさん主宰のバカ@フラなんですよ。 山: あー、バカフラってよく言ってましたねー。 武: で、フラッシュに衝撃を受けて、笠居トシヒロさん主宰のフラッシュメーリングリストに入ったんですよ。 山: そうなんや。それって、ファンやったって事やな? 武: そーなのよ。で、ひたすらロムって、まつむらさん著の「おしえてフラッシュ」買って、バカフラに投稿することを目標に掲げて「新宿西口地下道段ボールハウス絵画集
<なんせオマージュやしな> ■武&山根の展覧会レビュー 特別編 盗作について 武 盾一郎&山根康弘 ■グラフィック薄氷大魔王[60] 濃い! ピクサー展 吉井 宏 盗作について語ろう 武 盾一郎&山根康弘 ─────────────────────────────────── 山: いやー、昨日も飲んだな。 武: 呑んだねー! 痩せたよ。 山: ほんまかいな!? なんで痩せる? 武: 朝まで二人で焼酎3本飲んで、肴はきゅうりと酢蛸だけじゃあ痩せるだろっ! 山: 食えって言ったのに食えへんかったんは誰や! 武: ははは。身を削って飲んでるんだよ。いやそれでね、今回レビューじゃなくて行こうと思うんさよ。 山: ほう。と言うと? 武: どうしても絵描きとしては無視して通れない、例の盗作についてちっと突っ込んでみようか、と。あちこちでさんざん言われて一段落してるけど、もう一度、俺達絵描きとしてこれ
人類は生き残りをかけて宇宙へと旅立たねばならない=S・ホーキング博士 [ライブドア・ニュース] http://www.asyura2.com/0601/bd44/msg/312.html 投稿者 white 日時 2006 年 6 月 15 日 00:45:08: QYBiAyr6jr5Ac □人類は生き残りをかけて宇宙へと旅立たねばならない=S・ホーキング博士 [ライブドア・ニュース] http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2082302/detail?rd 人類は生き残りをかけて宇宙へと旅立たねばならない=S・ホーキング博士 【ライブドア・ニュース 06月14日】- AP通信によると、イギリスの理論物理学者で「車椅子の物理学者」として知られるスティーヴン・ホーキング博士は13日、滞在中の香港で記者会見し、人類が生き残るためには、究極的
飯田 今日はこれだけは言おうと思ってきた。松本零士の『銀河鉄道999』と根本敬の『因果鉄道の旅』、このふたつの名作の親っていうだけで最高の作品ですよ! 麻野 ああ、『999』はこれなかったらないな、機関車が空を翔け上って行くっていうイメージはすごい。 飯田 あとは何書いてあるんだかよくわかんなかった(笑)。十年ぶりくらいに読んだんだけど、読んでも読んでも内容がつるつるすべって脳の皺に入っていかない、三回目くらいにちょっと意味わかってきた。 麻野 この話って熱あってだるくて寝てる時とかに湧いてくる妄想に近い。身の周りのものが勝手に動きだしたり入れ替わったりするような感じで、わけがわからん。。 飯田 ドラッグノベル*だね。 麻野 またドラッグかい(笑)。オレは昔から宮沢賢治好きだったんだけど、『銀河鉄道の夜』っていちばん面白くないと思ってた。ほかのやつって、いちおうストーリーがちゃんとして
エクスターズする文化へ デジタル社会における内包空間の発現 Toward a Culture of Ex-stase: The Appearance of Inner Space in Digital Culture 「移動する聖地―テレプレゼンスワールド」展 トークセッション「ネオシャーマニズム」 港千尋+ 中沢新一+ 細野晴臣+ 伊藤俊治 MINATO Chihiro,NAKAZAWA Shinichi, HOSONO Haruomi (http://www.daisyworld.co.jp) and ITOH Toshiharu なぜいま,ネオ・シャーマニズムなのか, それはリアルな問題だから 伊藤──「移動する聖地――テレプレゼンス・ワールド」展のトーク・セッション最終回は,「ネオ・シャーマニズム」というテーマで行ないたいと思います.シャーマニズムというのは,シャーマン(霊媒)を軸
高 橋 竹 山 (1910-1998) 明治43年(1910)6月、青森県東津軽郡中平内村(現・平内町)字小湊で生まれる。本名定蔵。幼いころ麻疹をこじらせ半ば失明する。近在のボサマ(戸田重次郎)の内弟子となり三味線と唄を習い、東北から北海道を門付けして歩いた。昭和19年(1944青森県八戸盲唖学校に入学し、針灸・マッサージの免状を取得。戦後は津軽民謡の神様と言われた成田雲竹の伴奏者として各地を興行、竹山を名乗る。この間、雲竹、竹山の名コンビにより津軽民謡の数々を発表。(りんご節、鰺ヶ沢甚句、十三の砂山、弥三郎節、ワイハ節、津軽願人節等は二人の作による。)昭和39年に独立、独自の芸域を切り開いて津軽三味線の名を全国に広く知らした。昭和50年、第9回吉川英治文化賞、第12回点字毎日文化賞を受賞、昭和58年には勲4等瑞宝章を受ける。東京渋谷にあった、「ジァンジァン」でのライブは多くの若者の心を捕
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