中沢 平凡社の『南方熊楠全集』はどういうふうにしてつくられてきたのか、その前の乾元社版がどうやってつくられてきて、いまの南方学の基礎がつくられてきたのか。そうしたことについて南方の著作を読んでいる読者は知りたいと思いはじめています。そこで、今日は長谷川さんにそのあたりのことをおうかがいしたいのです。長谷川さんが中心になっておつくりになった平凡社版の『南方熊楠全集』と、以前の乾元社版の『南方熊楠全集』が、熊楠研究の土台をつくっているわけですから、その土台の部分がどうやってつくられてきたのか、とても興味ある話題です。 まず、南方がいろいろなところに書き散らした膨大な論文や書簡などをまとめて乾元社の全集にまとめていこうとする動きはどのようにして始まったんですか。 長谷川 その経過は岡書院の岡茂雄さんが一番ご存じだったんです。岡さんが編集者としては南方さんに一番近かった方ですから、岡さんの『本
宮坂宥洪×中沢新一対談 仏教を越えて仏教へ 中沢 最近ときどき真言宗の若いお坊さんたちと話をしてみる機会があります。熱心な若い人たちが多いのには感心するのですが、話しをちょっとつきつめると、ずいぶん悩んでいることにも気がつきます。瞑想とは何なのか、今こうやって自分たちのやっていることには、それをやることにどんな意味があるのだろう。そもそも自分たちは僧侶をやっているけれども、それが何かの役に立っているのだろうか。あるいはもっとつきつめてしまうと、仏教とは何なのか、仏教というものは今自分たちが生きている現代の世界の中でどういう意味をもっているのか。そういうことが本当にわからなくなっているんですね。たぶん昔の若い学僧などというのも、やっぱりそういう悩みは持っただろうけれども、そのときには、そういう問いかけをちゃんと受けとめて、自信のある答えを返してくれたり、一緒に悩んでくれたりする先輩や大先輩
数々のFlash作品の中から個人的・時期的に印象に残った作品をここで紹介させて頂きます。 移転や所在不明によりリンク切れとなった作品が含まれてる可能性もありますがご了承下さいm(_ _)m。
亡くなった方の棺に収まった顔写真を撮るのは、倫理的におかしな事だと思っていたのですが、その様な風習のある地方も有るようです。(聞いた限りでは岐阜県の奥地はそうらしい。私は名古屋です) 亡くなった方を棺に収めた顔写真を撮影する事に関する、道義上、または地域の風習の観点から意見、情報を募集します。 ■ルール ・経験者の御意見、高ポイント配当 ・urlのみの回答は望みません。必ず自分の意見や体験を書いて下さい。 ・地域の風習に関する情報も高ポイント配当 ・多くて10件くらいで締め切ります。
コクヨグループのコクヨS&Tは12月15日、電子暗記カード「memoribo(メモリボ)」を発表した。従来の暗記カードのデジタル版で、カード2000枚分の質問と解答を持ち運べる。2006年1月10日より、7140円(税込み)で発売する。年間5万台の販売を目指す。 付属の専用ソフトをパソコンにインストールして、覚えたい語句を1ページに全角48文字まで入力する。パソコンのUSBポートにmemoriboを接続し、情報を転送すれば、いつでもどこへでも持ち歩いて学習することができる。なお、専用ソフトは暗記モードを搭載しているので、パソコンでの学習も可能。 memoriboの操作は、ボタンを押すだけで問題と解答を切り換えられる。ページを自動的に送る「自動再生機能」や問題をランダムに表示する「シャッフル機能」、覚えた語句を隠す「非表示機能」、問題と解答の双方から学習できる「問題答え入れ替え機能」、電源
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