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ブックマーク / www.aikis.or.jp/~kumagusu (2)

  • 《対談》 南方学の基礎と展開-テクスト、マンダラ、民俗学-

    中沢  平凡社の『南方熊楠全集』はどういうふうにしてつくられてきたのか、その前の乾元社版がどうやってつくられてきて、いまの南方学の基礎がつくられてきたのか。そうしたことについて南方の著作を読んでいる読者は知りたいと思いはじめています。そこで、今日は長谷川さんにそのあたりのことをおうかがいしたいのです。長谷川さんが中心になっておつくりになった平凡社版の『南方熊楠全集』と、以前の乾元社版の『南方熊楠全集』が、熊楠研究の土台をつくっているわけですから、その土台の部分がどうやってつくられてきたのか、とても興味ある話題です。 まず、南方がいろいろなところに書き散らした膨大な論文や書簡などをまとめて乾元社の全集にまとめていこうとする動きはどのようにして始まったんですか。 長谷川  その経過は岡書院の岡茂雄さんが一番ご存じだったんです。岡さんが編集者としては南方さんに一番近かった方ですから、岡さんの『

  • 南方マンダラ

    1903年7月18日付けの土宜法竜宛書簡に見られる図。この時期の熊楠は、和歌山県那智村(現那智勝浦町)市野々(いちのの)の大阪屋に籠って読書と植物採集、論文執筆に没頭していた。その那智山中から、熊楠はたびたび「小生の曼陀羅」と称する、科学と大乗仏教を接合する世界認識の方法を、土宜に向けた書簡において論じた。この図は、そうした試みの一つとして熊楠が描いたもので、中村元が「南方マンダラ」と呼び、鶴見和子が熊楠思想の根源をなすモデルとして紹介したために広く知られるようになったものである。 従来、数度のコピーを経た図が流布していたが、今回公開するのは南方旧邸調査の過程で、原書簡から直接デジタル撮影を行った写真である。濃淡から熊楠がこの図を描いた際の筆の流れが読みとれる。(松居竜五) このページに掲載された資料は、田辺市が所有しています。如何なる形でも、田辺市の了承なしに図版を再利用することはできま

    Labyrinthos
    Labyrinthos 2005/10/28
    |´・ω・`) 線が交差するところに○してある。交差点と交差点の中間にも○してある。終点にも○してある。
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