⇒はてなブックマークプラス 特定ユーザーのブコメは非表示にできるとかの機能があったら、いいのに。 と、見ると、あれか、プラスがついてないぶこめをdegradeする働きがあるのか。ふーむ。
⇒はてなブックマークプラス 特定ユーザーのブコメは非表示にできるとかの機能があったら、いいのに。 と、見ると、あれか、プラスがついてないぶこめをdegradeする働きがあるのか。ふーむ。
⇒はてなブックマーク - 『使えない個性は、要らない個性。』 - シロクマの屑籠(汎適所属) とか私もちょっと釣られてしまったか。 y_arim society, education, life, communication, mentality, humanity id:p_shirokuma 哀悼の意を表します。こういう高踏的なスタンスで盛り上がるのは2007年が限界だったように思います。今の娑婆は「個性がどうあろうと会社に切られる」真の地獄。個性云々の前に「この先生きのこるには」。 2009/02/27 とか親切に書ちゃうのが、亜里夢の・や・さ・し・さ。 Midas 誰も言ってない様なので書いとく。「使える」が功利主義的な概念ゆえ論調に無理をきたしてるのでは。例・ファッション雑誌「使える着回しテク」記事←これらは普段着。使える使えないのレベルでは未だ個性以前の問題 2009/02/2
批判ではないよ、為念。 ⇒404 Blog Not Found:レポートのコピペがダメな理由とそれを防ぐ意外な方法 確定申告の季節がもうすぐやってくる。というわけで2008年分の支払調書を仕分けたりしているのだが、今回はその数に圧倒されかけている。 なぜそうなったかといえば、本blogの書評を広告に使いたいという出版社がものすごい増えて、使われる都度謝礼を頂けるようになったから。一年分まとめて来るところもあれば、都度レポートを送ってくるところもある。いずれも数万円から多くてもぎりぎり二桁。塵も積もれば山となるで、全部あわせるとAmazonやAMNのような大口にひけをとらなさそうな勢いだ。 微妙な思い。 うまく言葉になってこないのでメモ書き的になるが。 まず、前提は、ブログでお金が儲かるのことはよいことだ、やれやれ、というのはある。 そして、その成功者が前にずーんと進むのは良いことだ、ダンコ
⇒はてなブックマーク - まじ難しい問題かな - finalventの日記 2008年10月28日 ekken はてブ はてブでコメントするのもブログでコメントするのもたいした違いがないと思っているので、100字でおさまるときはブコメで良いやの人です。 違いがあるんだよ。たぶん越権さんには通じないと思うけど。 というか、こう言うべきかな。 ブログでコメントするとき、そのブログに、他のブ米もずらっと並べるかい? (無規制で) あるいは、怒号ワンストップっていうのが問題で、問題というのは、ブ米ページって誰の管理なんだよということ。あー、あれってようするに掲示板だから、2ちゃんですらいちおう形式的に管理しているわけで、そこをブ米ページが管理なしで逃げている。 本質的じゃないとかいう批判は先回りして理解はしているけど、ブ米ページなんていうものは、CGIに各人がコマンドを送って見たい人が随時生成すれ
⇒うさんくさい - jkondoの日記 例えばはてなブックマークの人気エントリーを読んでいる人はほとんどいない(昨日の彼は「そういえば最近はてブというのを見ることがあるけど何なの?」という感じだった)。だから、なんだかよく分からないネットでちょっと話題の揉め事とか、意味も分からず怒っている人の存在すら知らないという人ばかりだ。 はてなブックマークは意味論的に、いやもっと簡単にいうと、カテゴリー的に分けて、多様な関心のインタフェースを作らないともう使えないレベルになっている。 それと、やっかみにとられるかもしれないけど、一部のブロガー/ニュースサイトのファンぶくまみたいのが実際にはもうノイズになっているので、そこを実質抑止というか別カテゴリー化する仕組みがないとね。もちろん、そこが話題の焦点になることが多いので抑止だけでいいわけはないけど。 ついでにいうと、ネガコメ論がはてな村的に盛んで、い
元⇒世界よ、もっとウインプ達の憎しみで満たされろ - NWatch ver.X ぶくま⇒はてなブックマーク - 世界よ、もっとウインプ達の憎しみで満たされろ - NWatch ver.X 2008年03月18日 fromdusktildawn この話題関連で、もっともすばらしい記事の一つ。/ニーチェじゃのー。 それはニーチェの逆では。 と少し釣られる。 ニーチェ入門 (ちくま新書): 竹田 青嗣 たいていの若者は、時代の中で多くのことに違和感を抱き、異議を申し立て、反感をもち、不平を鳴らし、批判する。そういう場所からやがて思想を扱うようになった人間は、ますます多くのことに異議を申し立て、悲憤慷慨し、批判することになる。世の中はそれほど調和的には出来ていないからだ。しかし、ほとんどの思想家はこの異議や不満を才気に満ちた言葉のうちに遊ばせて(戯れさせて)おく。というのも、もしそれをほんとうに真
⇒asahi.com:米兵釈放 「そっとしておいて、と」 地検「適正捜査」 - 社会 告訴が取り下げられなければ起訴できたのかどうかについても「事実が存在したかどうかではなく、告訴がないと公訴が提起できない。訴訟条件がなくなっているわけで、それ以上でも以下でもない。コメントすることは適切ではない」と述べるにとどめ、隊員の供述内容についても明らかにしなかった。ただ、県警による逮捕など一連の捜査の是非について問われると、険しい表情を浮かべて「適正だった」と語気を強めた。 告訴がなくても立件できる他の罪名で捜査を続ける可能性については「被害者の気持ちを考えると、他の罪で公訴提起するのは適切でない」と述べ、否定した。 結局迷宮入り、そして、であれば推定無罪か。 今回の事件を海外報道側で見ていて、アウチのラインになっているのは少女の年齢。つまり、14歳の少女を38歳の軍人がというところで完全アウト
ネットでこの人と友だちになりたい、という発想は持ったことがない。っていうか、長いネット生活だが。 っていうか、自然になる。 で、ここが微妙なんだけど、リアル世界の友人というのは違う友だちというか、友愛というか。 経験的に言うと、男の場合、子供の頃の友だち、青年期の友だち、社会に出てしばらく後の友だちという三層があるかと思う。で、それはそれなりのライフサイクルの必然性や社会の機運みたいのがある。 ネットの場合は、そういうのと違う、け・ど、30代前半くらいまでは、リアル世界と混乱するというかしかたない。 ただ、原則的というのは、「友だちになりたい」というより、硬い言い方だけど、「友愛」を感じるということだと思う。 で、そういうのは普通の展開でいいのだと思う。 ネットというウィンドウ(窓)があればつながっている。それでも消えていく。ある時期親近感を持つ・持たれる、あるいは憎悪を向けられる・忘れさ
その否定性がけっこう限定的なのに、人格攻撃的になるのはなぜなんだろ。 ま、直感的にはわかりやすい感じもするけど、よくわからないといえばわからない。 xxxxxxxはダメだ、と言う場合、実は、特定のトピックや政治ポジションへの否定と限定されていて、別側面の話題は、さらりと捨象されている。 しかし、xxxxxxxの言説というのは、人にもよるけど、そう単様的ではないことがある。だが、といいながら、思ったのは、人格否定的な欲望があって、そこに否定関心の言説が従属するからなのではないだろうか。 ま、どうでもいいし、少しずつ賢くならないといけないと思うのは、自分については、それほど関心のない領域で、しかも語れば否定的にしか受け止められない部分は、ま、黙っているほうがいい。 つまりは、お前は語るなという一種の権力に調和していろみたいなものでもある。だが、自分もそれほど関心ないしなというのもある。 逆に、
私はかなりたぶん痴漢とかいうのはしないというかそういう嗜好がない。が、夏場など女性と限らず骨格をよく見ているというのはある。ま、それもかなり変な話だが。 で、売春と売春に似たもの、たとえば、性産業というのか、そこに差があるのか、あるいは段階があるのか、あるいはスペクトルがあるのか、私は知らない。たぶん、売春というのは古典的には性交を対価させるもので、岸田秀がいうように、育児をしない代価というふうな議論もありうるのかもしれない。 ただ、これは男の性欲の側からすれば、ようするに性欲なるものの対価に見えるので、売春が古典的だろうがどのようなスペクトルがあろうが、けっこうどうでもいいものかもしれない。話をめんどくさくしているみたいだが。 で。 性交でなくても、たとえば、女性の身体を触る、というのでも、その場合、それが対価の商売たりえる。というとき、そこで、違法と商売という契機がある。単純な話、見知
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く