「脱オタクファッションガイド」はオタク以外の人は買わないと思います。私も正直手にとるのも抵抗があったし読み進むのも苦痛でした。(内容が悪いといっているのではなく、全部がオタク系漫画で占められていることが)でも、それがオタクではない者(特に女性?)の正直な気持ちだと思います。 私はそのような本にはしたくなかった。「脱オタクファッションガイド」は出版社との企画段階で目にしたのですが、私はオタクだけでなく「オシャレになりたいと思っているすべての男の子」に読んでもらいたいと思ったのです。 『電車男スタイリング・バイブル』の著者の菊池さんの、Kammy+さんのレビュー記事へのコメントより。うん。お気持ちはわかります。しかしですねー、ぼく(という一オタク)からすると「バイブル」に載っているようなファッションデザイン画をどう見ればいいのかよくわからないわけですよ。それが「バイブル」の実用性にかなり影響し
<ぼくの思う、価値ある人間像‥‥ってやつ?> 小学校のときに、なんとなく思った。 どうして、そんなに競争させるのだろうと。 いや、それほど整理されていたわけではないのだけれど、 とにかくなんでもかんでも「よーいどん」で、 なんでもかんでも順番をつけられていたような気がしてた。 もちろん、ぼくは特別に勝ち気でもないガキだったから、 そういう風潮に反抗してやろうというつもりもなく、 あんまり努力もしないで勝てるものなら勝ちたい、 程度の調子のいい考えでいたように思う。 ただ、知ってしまったのはこういうことだった。 クラスで一番だの、学校で一番だのといっても、 クラスの数だけクラスで一番の人間がいるし、 学校の数だけ学校で一番のやつがいる。 ひとつの市のなかだけでも、学校なんか山ほどあるのだ。 学校で一番のやつは、山ほどいる。 だとしたら、日本中に、 学校の数だけ学校で一番のやつがいると考えると
<こだわりは、ゴメン> 嫌いだ、と強くいうのもおかしいので、 自分からはできるだけ言わないようにしているのが、 「こだわり」ということばだ。 応援してくれるような意味で、 「さすがに、こだわってますねぇ」などと言われたとき、 とっさに、「いや、そんなことないです!」とか、 つい言ってしまうこともある。 相手の方は、「だからいい」んですよねと、 好意でこのことばを使ってくださってるので、 わざわざ否定するのも失礼だと思うのだけれど、 ああそのほめられ方はアブナイ、という気がするので、 やっぱり否定しておきたくなる。 「こだわり」を持つんじゃない、とか、 「こだわり」すぎなんだよ、とか、 そういうわるいこととして使われていたことばが、 いつのまにか、逆にほめことばになってしまった。 おなじように、 「頑固(がんこ)」ということばもそうだ。 頑迷だとか強情だとか因業だとかの意味が強かったのに、
「オタクにオシャレな服を売る」ための発想 あけましておめでとうございます。 新年早々どうでもいい話を。はてなブックマークを眺めていると、脱オタ、ファッションの話をいくつか目にする。で、「脱オタしてオサレ軍に入るためのガイドじゃなく、服に関心のない人、最低限バカにされない程度の服が買えればいい人向けのファッションガイドが欲しい」てな話を読んだ。 私がいま持ち合わせている感覚で単純に考えると、こういう人たちはそもそも服に金をかけたくないんだから、そんな本を出しても誰も買わないだろう、という結論になる。「パソコンなんて動けばなんでもいい」という人がパソコン本を買わないのと一緒で。「ファッションセンス磨いて脱オタじゃぁー!」と気合の入った層にターゲットを絞る企画は正しいと思う。 商機があるとすれば、体験談など集めて書籍化、という形か。いわゆる「モノを売るのでなく体験を売れ」という発想に基づいて、「
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