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ブックマーク / noon.serio.jp (12)

  • 自分がくだらない人間であると言うブロガーほど信用できない生き物はいない (セックスなんてくそくらえ)

    別に「くだらない」に限ったことではない。 同じように「無知」や「文章が下手」や「アルファブロガー」といった、あらゆる自己卑下の形式に当てはまることではあるのだが、この手の人間の手口というのはいつでも見え透いている。 つまりこの手合いは、実のところ、自分は当は馬鹿でも無知でもないと思っているのである。 いや、自分は頭が悪いですから、自分はくだらない人間ですから。 そう平然と言う人物の口には薄く笑みが浮かんでいるのを、あなたは目撃したことがないだろうか? 自分を「無知」であり「馬鹿」であり「アルファブロガー」であると、「謙虚に」認めて見せるまさにその瞬間、その自意識は密かに無傷のまま保たれる。 自分が真にくだらなく、愚かで、無知な人間であるという、その矮小なプライドにとってもっとも受け入れがたい、かつ動かせない事実。 自己卑下をパフォーマンスして見せることにより、そういった受け入れがたい事実

    Masao_hate
    Masao_hate 2007/07/26
    と日々真実を叫び続けている俺は、ブロゴスフィアで最も信頼の置けるブロガーのひとりと見られて、当然間違いないわけですよね!g(’ー^)
  • 知性なき「はてな」(2)―乞食より貧しいはてなブックマーカーたちの精神 (セックスなんてくそくらえ)

    あるブログの書き手のあまりにひどい言語障害、そしてそのようなブロガーが書き捨てるエントリに盲目的に追従する、頭が悪いとしかいいようがない数多くの読者の姿。 この二つが渾然一体となってかもしだす、なんともいえない雰囲気こそが、ブロゴスフィアという人生劇場の醍醐味であり、その舞台で日々行われる悲喜劇を、軽いめまいと頭痛を覚えつつ眺めるということが、私たち現代に生きるものの楽しみである、と言えないこともないだろう。 そしてそのような光景は日常茶飯事である。 さて、日私noon75が皆さんにご紹介したいと思うのは、次のようなブログである。 不謹慎な箱男: ホームレスになってみよう。 世に曰く 「乞は三日やったらやめられない。」 らしい。 そいつが当かどうか試してみてぇ! ということで、6/7~6/9にかけて新宿において2泊3日のホームレス生活をやってみた。 そしてこの人物は、事にも

  • ブログをくだらなくするたった一つの方法 (セックスなんてくそくらえ)

    あなたはこんなことを知っていただろうか。 毎日更新されるようなブログに掲載されている99.999999%のエントリは、誤字、脱字、ほのめかしだらけで、内省のカケラも見あたらない、愚にもつかない内容の文章であるという事実が、統計によって明らかになっているということを? そしてあなたはこんなことを知っているべきではないだろうか。 自分のブログを何があっても毎日更新し、読む価値のない、書く価値のない、誰も読まず、そして誰の心も動かさない三流テキストを毎日のようにネットに公開することで、ブロゴスフィア全体の品質を落とすことができるのだということを? さらにあなたはこんなことを知っているべきではなかっただろうか。 開放されたコメント欄やトラックバック欄に群れをなして集まるかわいらしき子犬のようなアクセス乞、白痴コメンテーター、顔も名前も文才もない、圧倒的大多数のネットにしか居場所のない人々の、何一

    Masao_hate
    Masao_hate 2007/06/05
    それで最近のnoon75さんは毎日更新しているわけか。
  • 女をけなすのは男の仕事 (セックスなんてくそくらえ)

    現代というのは女の発言権というものがこれまで人類史になかったほど強まっている時代である、と考えてしまって差し支えないのではないかと思ってしまうほど、インターネットにしか居場所がない女たちというのは口やかましく、性的魅力をまったく感じさせず、慎み深さというそれ自体には何の罪もない概念に唾を吐くような行為を毎日のように繰り返す自己顕示欲の固まりであり、そういう存在自体薄ら寒いネットの現状を最大限に象徴しているような存在であると思うわけだが、こういったつまらない女たちがパソコンの画面の前で眉をひそめてキーボードを叩いている正直美しいとはとても言えない姿が目に浮かんでしまって仕方がないわけで、メンヘラーという意味のよくわからない日語に自らをはめ込むことで自虐的な満足を得る奇妙な女たちをはじめ、ネットに住む女たちの姿はまったく奇妙であり奇怪であると考えるのだが、そのような魑魅魍魎が跋扈するブロゴス

    Masao_hate
    Masao_hate 2007/05/26
    こういうことを書いても(あんまり)炎上しないnoonの人は凄いといつも思う。エッセイ調だからかな。
  • カネが欲しくてたまらないブロガーたち (セックスなんてくそくらえ)

    まったくもって退屈で当たり前の認識から始めたいと思うが、カネをほしいと思うのは社会的な生き物である人として当然の欲求であって、アフィリエイトに精を出し、テレビのディレクターにごまをすり、編集者のところに足繁く通って「ブログには未来がありますよ!」と信じてもいないたわけた嘘をはき続ける一部ブロガーたちの行動は、別に非難されるべきものでないという意見もあるだろう。 またそういう行為をナイーブに批判するのは自分の力でカネを稼いだことすらない学生ニートであったり、創作オナニーにふける童貞であったり、口だけで何一つまともな文章を書くことができないはてなブックマーカーであったり、一定以上のアクセスがあるブログにだけ自分の三流ブログのURLを書き残していくアクセス乞だけではないのか、という声があるのも理解できることだ。 しかし、それにも関わらず私noon75が不可解だと思うことは、つまりカネがほしいと

    Masao_hate
    Masao_hate 2007/05/23
    プロブロガーワナビー話、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
  • ドリーミン・イン・アケルダマ (セックスなんてくそくらえ)

    長い夢を見ていた。 未来の日の夢だ。 夢の中の日では、民放のテレビ番組にブロガーが出演していた。なぜその彼がブロガーとわかったかというと、出演者のキャプションに「ブロガー」という肩書きが、まるでまっとうな職業か何かのように書かれていたのである。 田舎の母親に「お前、いま東京で何してるの?」と聞かれたとき、フリーターでもなく、ドリーマーでもなく、ニートでもなく、自由人でもなく、アーティストでもなく、まるで当然の職業であるかのように「ブロガー」と、満面の笑みを浮かべて答えることができる世界が、夢の中の日にはあったのである。 司会者は女性で、淡泊なセックスしかしてなさそうな顔をしていた。この司会者はブロガーのことを「~先生」「~先生」と呼んでおり、その呼び方はまるで漫画家のことを「先生」と呼ぶことで実は見下しているどこかの業界のことを思わせた。 彼女がブロガーを先生と呼ぶとき、その目にはか

  • 知性なき「はてな」―本の読めない技術者・伊藤直也 (セックスなんてくそくらえ)

    あなたの経歴を知っているわけではないが、少なくとも現代の先端を走る技術者はほとんど書籍には頼らない。なぜなら書籍がでるころにはすでにその技術はコモディティ化しているからだ。 もはや技術のスピードはがでるようなスピードでは進化していない。もちろん普遍的な技術もあるのでそういったものは書籍に頼ったほうが効率が良いだろう。だが最先端を進むには、普遍的な技術プラス新しい技術を見る目が必要なのだ。 あなたの記事を読んでいると、とてもここ最近のインターネットの事情について詳しいとは思えない。もう少し勉強してから批判をしてみてはいかがだろうか

    Masao_hate
    Masao_hate 2007/04/11
    最高に面白すぎる。爆笑した。素晴らしい/コメント欄の人たちが、かわいそうです(´・ω・`)
  • ブログ七つの大罪 (セックスなんてくそくらえ)

    ブログにおける七つの罪、あるいはブロゴスフィアの愚かさと罪を体現している七人のブロガーたちについて、僕は語ってみたいと思う。幼く、若く、男を知らない処女のようなウブなインターネットの中で、まともにものを考えるということはどういうことか。たやすくセミプロライター同士の派閥争いの道具として利用され、自称ジャーナリストたちの野心を実現する広告塔となり、性欲をもてあます男たちの女を買うための売春ツールに堕してしまう、まったく自分がしていることに無自覚な、無邪気で純粋なブロゴスフィアのために、僕は書いてみたいと思う。 だがしかし、これは僕らがいつか来た道だ。僕らの愚かさはさほど変わっておらず、新しい技術によって僕たちの姿が変わったかのように誤解するのはさらにバカバカしいことである。ブログ七つの罪。傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴、色欲と一般的に呼ばれる七つの罪についていま考えることは、かつて来た

    Masao_hate
    Masao_hate 2007/03/23
    凄い人間観察力だ。とても真似できない。
  • アジア、暴力、喪失に関する記憶 (セックスなんてくそくらえ)

    自分というものがどこにもいないというように思い始めたのは、日のバブルが惨めな終末を迎えてさほどたっていなかった頃、東京に帰国して住み始めた1994年頃のことだった。個人的な感傷を語ることにさほど意味はないし、そういった飽きもせず繰り返される定型をなぞり、読者と悲しみを共有する退屈で見え透いた仕組みが文学であるということが可能であれば、匿名ブロガーである私は別の方法を選択しなければならないだろう。すなわち個人的な痛みを語ることはそれがどれほど人にとって切実な意味を持とうが無意味であり無価値であり、個人の出来事や感情を語りながらかつそこに留まらないという、知的で運動的なアプローチが必要なわけである。 さて話を戻す。子供時代を元イギリスの植民地で過ごした私は、日国民として当然与えられるはずの義務教育を満足に受ける機会を奪われ、当然のことだが日語を正しく話し、書く能力というものを大きく損ね

  • 女は花であり、枯れて腐れば無価値である (セックスなんてくそくらえ)

    女にはある種のべ物と同じように賞味期限があり、30を過ぎたころからその金銭的価値というのはどんどん下がっていく、というのがどのような美辞麗句を用いても否定することができない一般的通説であり、実際にたとえば買春業界の相場というものを注意深く見ていれば、また資主義という巨大な歯車の間にはさまれ、粉々に砕かれて生きなければならない僕らの生活における女の立場というものを鑑みれば、女の年齢というものが、いかに単純明快なルールによって意味付けられ、分類され、ラベリングされているか、理解できようというものである。つまり年を取った女は、無価値に近づく。 以前買った三十代の女が、しきりにおばさんでごめんなさい、ごめんなさい、と言っていたことを奇妙に覚えている。人間というものは、まったく覚える必要のないように見えるものも、きちんと記憶しているものらしい。女は何に対して、たとえば体を売らなければ生きていけな

  • やらせてくれる女には飯を奢るのは当然 (セックスなんてくそくらえ)

    男はなぜ女に飯を奢るか。なぜこんな簡単な質問に悩む多くの人間がいるのだろうか。女は股を開き、男はそれにカネを払う。そこに何も不健全なことはなく、まったくもって当然なことである。 先日たまたま銀座の歌舞伎座で「出刃打お玉」を見る機会があった。売春婦に助けられてあだ討ちを成し遂げる侍の話である。僕が驚いたのは、女を買うということが至極当然のこととして表現の中に取り入れられていたことである。買春は別に騒ぐようなことでもなんでもないはずなのに、それについて語ることがあたかもスキャンダラスな何かであるかのように語られる現在日の状況というのは非常に不可思議マカ不思議であり、少なくともかつての日においては、現在のように買春行為を自分探しツールとして過剰に祭り上げたり、または汚れたものとして過剰に無視したりといった、まるで女にモテたことがない男たちが考えたような女に対する幻想に支配された陰気で柔弱でヘ

    Masao_hate
    Masao_hate 2006/12/04
    基本。まぁ僕はイケメンなので、カネとカラダを交換するまでもなく、カオで女のカラダを買えますけど、なにか?
  • 罵倒商売はじめました (セックスなんてくそくらえ)

    ブログを書き始めて数ヶ月が過ぎたころ、新人ブロガーのあなたはちょっと調子に乗ってしまい、ついうっかり勝てるはずのない有力ブロガーに議論を挑んでしまって、ぼろぼろに言い負かされてしまった……そんな経験はありませんか? 悔しくてたまらないけれども、正面からでは勝てないこともわかっている……。 だからといって、匿名で相手のコメント欄に粘着したり、誰も読まない自分のエントリで相手の悪口を一人寂しく書いたり、はてなブックマークで健気に吠えてみたりしたとしても、あなたの傷ついた心はまったく癒されず、むしろますますやさぐれるばかりなのではないでしょうか? そんなあなたにおすすめしたい、「ブロガー罵倒サービス」。 あなたの憎いあのブロガーを、あなたに代わってnoon75が徹底的に罵倒します。 お問い合わせは罵倒相手について詳しく記した上で、100,000,000はてなポイントをnoon75のはてな口座ま

    Masao_hate
    Masao_hate 2006/11/17
    高けーよ!
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