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ブックマーク / quppa.hatenadiary.org (25)

  • 「参照文とコンテンツ本体の違い」は単なる屁理屈 - くっぱのブログ

    「過去の写真集のこれこれというページに児童ポルノがある」というようなことを書いても逮捕されそうな勢いですね。参照文とコンテンツ体の違いを理解出来ない可哀想な人達が法律を運用してるみたいなんで http://pastorale.jpn.org/2009-07-08-1.html そうではなくて、「『児童ポルノ』として楽しむということ以外の筋の通る別文脈が存在しないのではないか?」と疑われたからこそ逮捕されたということなのではないでしょうか。たとえば、同じ「過去の写真集のこれこれというページに児童ポルノがある」と書くにしても、「その写真集は古書店でいくらでも入手できるのだが、国家は古書店がその写真集を販売できなくなるように早急に手を打つべきではないのか?」という文脈のもとでならば話は別のものになるような気がします。 つまり、「参照文は常にコンテンツ体と同じ扱いをされる」を否定したからといっ

    「参照文とコンテンツ本体の違い」は単なる屁理屈 - くっぱのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2009/07/14
    論文等の後ろのリファレンスとの違いはアクセス性能だけだと思う。
  • 「ジャニーズ上半身裸」は児童ポルノではないのか? - くっぱのブログ

    私は、「ジャニーズがショーの途中で上半身を脱いだ写真」は、「児童ポルノ」として扱うべきでないと思うし、個人的には、現行法上、「児童ポルノ」に該当しないのではと考えている。 というのは、ジャニーズのショーは、そもそも、歌唱・ダンスを見せ、聴衆を元気づけるもので、ストリップショーのような性的なショーとは明らかに異なり、ジャニーズのショーの過程で、上半身裸となって歌う写真が撮られたとして、それは、「1つの思い出」であり、「性欲を興奮させ、刺激する」ものでないため、「児童ポルノ」から除外されると考えるからだ。 http://www.hanashiyasuhiro.com/modules/news/article.php?storyid=194 『ショーの主催者側はそれを「ポルノ」という文脈で提供しているのではないのだから、たとえ上半身を脱いだ姿で撮影されている被写体が「児童」であったとしても、ショ

    「ジャニーズ上半身裸」は児童ポルノではないのか? - くっぱのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2009/07/06
    確かにそう考えることができるよなあ。政治側でも理論付けが人それぞれなわけで、目的ありきなことが伺いしれる。もちろん弊害は無視、と。
  • 自分が同じ事をされてもそれに寛容であるべきか? - くっぱのブログ

    おそらく前回の記事の 「Aは(Bに対して)無責任な行為をしたのだから、Aは他人から同じ無責任行為をされても文句を言える筋合いにない。だから、俺がAに同じ無責任行為をしたとしても問題はない」は論理に無理がある AがBに何かをしたら、CはAに同じことをしてもいいのか問題 - くっぱのブログ の部分に対してだと思うのですけど、id:ekken氏からブックマークの形で 「問題がない」とは思わんけど、少なくとも当事者が文句をいう筋合いはないと思うんだよね。他人に罵声を浴びせている人は自分が同じ事をされてもそれに寛容であるべきみたいな感じかな。 はてなブックマーク - ekkenのブックマーク / 2009年5月16日 とのコメントをいただきました。つまり、文脈から察するに「AがBに対して無責任な行為(たとえば罵声を浴びせるような行為)をしたら、Aは他人から同じ無責任行為をされても文句を言える筋合いに

    自分が同じ事をされてもそれに寛容であるべきか? - くっぱのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2009/05/17
    おお、なんとなくわかるぞ/自業自得が適用される範囲の問題的。寛容というのとは違って、戻ってきたブーメランにしばかれる責任は誰かの問題。Cは他者として登場しているが、行為の象徴でもある。
  • 人の嫌がることをしてはいけないのか? - くっぱのブログ

    「人の嫌がることをしてはいけないのか?」という問いに対して、単純に「してはいけない」と答えたくなる人も多いかと思いますけど、一方で、相手が嫌がるかどうかのみで「していけない」かどうかが決まるというのは、ちょっと不公平であると考える人もいることでしょう。 そのようなもののひとつに、セクハラ問題があると思います。相手に性的な言葉を投げかけたら、「性的な嫌がらせやめれ」と言われてしまうケースです。それまでお互いに性的な話題を題材に会話をしていて、その文脈の延長上で投げかけた言葉の一つを取り上げて「性的な嫌がらせやめれ」と言われたら、言われた側としては、「それは違うんでないの」と感じてしまうのも自然なことでしょう。つまり、相手の価値観のもとで好みに合わない言葉を発して相手に嫌な思いをさせることになったとしても、その行為が直ちに「してはないけない」行為であったとはいえないような気がするわけです。 で

    人の嫌がることをしてはいけないのか? - くっぱのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2009/02/22
    「してはいけないこと」は簡単には決められないってだけだよね。原理がないから。ルールを決める社会の機能を否定しても仕方ない。
  • 「言及される前に消滅させたい」対「消滅させられる前に言及したい」 - くっぱのブログ

    無断リンク禁止問題における天王山はここにあるのではないでしょうか。 ここで「消滅させる」という言葉は象徴的に使っていて、より詳しく表現すると「言及されても構わないと自分自身で納得できるように対策をとる」ですけど。 ある意味、「不手際は直せばいいだけじゃん?(という自分に甘い態度)」対「不手際は晒されるべき!(という他人に厳しい態度)」みたいな構図になっているような気もします。 言及レス 申し訳ないですが、トップページよりお入りください」 とでるように、ちょこちょこっと設定変えれば問題解決ですよ。 http://d.hatena.ne.jp/oredoco/20080509/1210339503 トップページから入る入らないレベルの話を扱っているのではないのですけど。 wwwの世界ではリンクが前提で世界が構築されているのに、 くっぱさんくっぱさん - ネットランダム改 リンクが前提はいいので

    「言及される前に消滅させたい」対「消滅させられる前に言及したい」 - くっぱのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2008/05/09
    リンクしないと言及できないならそうかも/なんか単なる嫌悪感の問題に還元されてきてる。
  • 続・「無断リンク禁止」に対する喩えで忘れられがちなこと - くっぱのブログ - コメント欄

    一つ前の記事に対してtakoponsさんから 続・無断駐リン禁止 - takoponsの意味 という反応をいただきましたので、私が注目した点の中から突っ込みどころはとりあえず置いておくこととして、謎と感じた部分についていくつかを書いてみたいと思います。 私が最も注目した点は、私の記事に対してtakoponsさんによってなされた要約で、この要約をもとに話が進んでいる部分があるのですが、まず私の書いた文面はこれ。 この手の結論を導くような喩えにおいて、考慮することを無視されがちな特性が「無断リンク禁止」には含まれているような気がします。それは、無断リンクをされる側がしようと思えばいつでも、自分の書いたものを変更したり削除できるという点です。つまり、「無断リンク禁止」を宣言している人が、「リンクをされる前に自分の書いたものを変更したり削除したりするかどうかを判断したい」と考えている可能性です。

    続・「無断リンク禁止」に対する喩えで忘れられがちなこと - くっぱのブログ - コメント欄
    NOV1975
    NOV1975 2008/05/03
    ぐーるぐる、ぐーるぐる/結局「こうだと思うけどこうでないかもしれない、でもこうだよね多分。反論は認めません」という確信がないけど確信がある的結論に基づく議論(というには論理性にかける何か)。
  • 喩えの用い方 - くっぱのブログ:コメント欄

    喩えを用いると相違点についての突込みが入ることがあるのですが、単なる妨害工作なのか、それとも反論として成立しているのか、そのあたりについて論じてみます。 具体例として、100人の人間からなる集団2つと100円玉2枚について考えます。 まず、グラウンドで待っている100人のある集団に別の100人の集団が合流すると200人になるのかどうかを論じる場合に、100円玉が1枚あって更にもう1枚もらって200円になるようなものだと喩えたとします。しかし、ぴったり200人であるかそうでないかが重要であるとき、例えばグラウンドで待っている100人のうちの誰かが貧血で倒れて保健室に運ばれて人数が少なくなると成立しなくなるような論の前提として用いようとしている場合には、100人の集団を100円玉に喩えることには無理があるということになります。 次に、100円玉が1枚あって更にもう1枚もらって200円になること

    喩えの用い方 - くっぱのブログ:コメント欄
    NOV1975
    NOV1975 2008/05/02
    分割可能な100人と不能な100円玉じゃ喩えになってないじゃんかと。/そうだ、お釣りを出せばいいんだ!
  • 「揚げ足取り」という言葉の存在理由 - くっぱのブログ

    2つ前の記事 fujiponさんの喩え話への反応に対する違和感 - くっぱのブログ のコメント欄において 2008-04-07 のコメント欄においてなされた議論が「揚げ足取り」行為であるか否かについてotsuneさんと議論が続いているわけですが、fujiponさんの言葉に対して、 心の中ではそう思っていたが、文章では書かなかった。などの経緯が有ったとしても第三者からは観測出来ませんから除外します。 fujiponさんの喩え話への反応に対する違和感 - くっぱのブログ との方針に基づいて、otsuneさんは fujiponさんが道交法に無知で誤解している fujiponさんの喩え話への反応に対する違和感 - くっぱのブログ との判定を下し続けています。この態度というのはどうなのでしょう。 例えば、刑事裁判においては、たとえ被告人が検察側が用意した犯行シナリオに矛盾しない形で自白をしていたとい

    「揚げ足取り」という言葉の存在理由 - くっぱのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2008/04/24
    議題の中心を揚げ足とはいわんだろ
  • 「スゲー下手!」「これはひどい」判定こそミクシィでやれ! - くっぱのブログ

    ウェブにおける他人からの「スゲー下手!」とか「これはひどい」というコメントへの接し方について、 WWW にリソースを公開するという行為は、パブリッシングと同等であるという考え方に基づくものです。 簡単に言うと、を出版してるのと同じなんだから、知らないところで、知らないうちに、勝手に読まれたり、勝手に書評(しかもすげぇネガティブなやつ)を書かれたり、そんなことは当たり前、当然の事という解釈が成立する世界であると。 公開する事のリスクと儀礼的無関心 - カナかな団首領の自転車置き場ダイアリー ここまで敷居が低くなってしまうと、パブリッシングというより、WWW はパブリックな場所という世界観で考えるべきぢゃないのかという話になってきます。つまり、WWW は駅のコンコースや公園みたいなトコロだから、そういう場所で過ごすのと同じようにコミュニケーションを考えてほしいというもの。 ここでは、「儀礼的

    「スゲー下手!」「これはひどい」判定こそミクシィでやれ! - くっぱのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2008/04/09
    mixiでやる方が酷くないかなあ。特に当人に届いちゃう場合。場所の問題じゃなくて行為の是非の問題だよね、これだと。
  • 感想や批評での「面白い」「つまらない」は不必要 - くっぱのブログ

    映画などの作品について「面白い」や「つまらない」とだけ表明することは、はたして感想と言えるでしょうか。例えば、ある作品に理由を明かすことなく「つまらない」と表明し、その作品の熱狂的なファンに「つまらないとは何事だ」と非難され、「個人の感想なんだから、お前にとやかく言われることはない」と反論するというやり取りにおいて、はたして「個人の感想」っていったい何なのだろうと思うわけです。 他人が書いた感想や批評を読む人の目的というのは、どのあたりにあるのでしょう。例えば、まだその作品に目を通していない人にとっては、その作品に目を通すだけの価値があるかどうかの判断材料にしたいという目的はあるかもしれません。含まれていて欲しいものが含まれていないことが判れば、目を通す価値がないと判断するでしょうし、含まれていて欲しいものが含まれていることが判れば、目を通す価値があると判断するでしょう。また、既にその

    感想や批評での「面白い」「つまらない」は不必要 - くっぱのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2008/03/29
    「面白い」「つまらない」と「誰にも納得してもらえない理論の垂れ流し」とでどのくらい存在価値が違うというのか。
  • 表現規制運動は無理解による恐怖に基づくのか? - くっぱのブログ

    人間って理由がつけられないことについて恐怖を覚えることが多いわけだ。昔の人は妖怪の仕業にしたりたたりのせいにして説明をつけていたし、妖怪がいなくなった今、科学的な説明が試みられているし、とにかく、意味不明というのは怖い。あと、暴力も怖い。暴力の伝説も時に鬼になったり神隠しになったり。そういった怖いものに蓋をすればするほど、閉じ込めている妖怪たちが邪悪な度合いを増すように思えてしまうのは、閉じ込めている罪悪感のなせる業なのかもしれない。 直視できないならそれでも構わないけれども、お化けの森を破壊しておいて復讐を恐れるようではどうしようもない。 目に入って傷つくのは普通のことだけど - novtan別館 これを読んで、論旨はよく読み取れなかったけれど、関連しているかどうかは別として少し思うことがあったので書いてみたいと思います。 児童ポルノ表現規制に関する意見をブログなどで読んでいると、表現規

    表現規制運動は無理解による恐怖に基づくのか? - くっぱのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2008/03/24
    まあそうかもしれないけど、食欲とか、権勢欲の発露はそれほどグロテスクに捉えられないよね。なんでだろ/と書いてなんかデジャブ/にしても、全然絡まないなら引用しなくていいのに。
  • 公開とは - くっぱのブログ

    前回の記事で「公開」という行為の概念について(あるいは、他人のなした公開という行為について)、人によっては過剰な前提をおいて解釈しているのではないかということを書いたのですが、そのあたりについてもうちょっと詳しく考えてみたいと思います。 まずはじめに、たたき台としての「公開」という概念として、 特定の手順を踏めば誰でもそれに接することができるようにすること としましょう。あくまでもたたき台ですので、前提条件が少ないという意味でより原始的な概念をどなたかから提案していただけたら、そちらに変更して議論を進めることにやぶさかではありません。現状では、例えば、そのを売っている書店で自分のお金を払えば誰でもそこに書かれている内容に接することができる、ウェブでそのサイトのURLを自分で指定すれば誰でもそこに書かれている内容に接することができる、というようなイメージです。 さて、ここで気になるのが、「

    公開とは - くっぱのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2008/01/04
    ブロードキャストにID/PASSWORDが含まれているのを盗聴されたのに「俺は公開してない」と言い張るようなそんな世界の話?/やっぱり前提が違うからかみ合わないんだな。以上にしておこう。
  • 実名晒し行為と無断リンク行為の共通性 - くっぱのブログ

    このところ、ブログ主が自分の実名を明かさないで欲しいとの意向を表明している状況のもとで、その人が過去にネット上で明かしたことのある実名を他人が自身のブログで晒すという行為に関して話題になっているようですけど、どことなく無断リンク禁止サイトに無断リンクをする行為と構造上の類似点があるような気がします。 たとえば、 結果としてわかっちゃうのは仕方がない。けれど、いくつかのステップを踏まないでも情報が明らかになるようにすることには人の意思が介在している。であるならば、原則としてもっとも尊重されるのは人の意思ではないのか。 実名晒しの顛末は如何に - novtan別館 というような意見があるのですけど、この部分だけを読む限りでは、実名晒しについてなのか無断リンク行為についてなのか、ちょっと判断がつかない人も多いのではないでしょうか。 で、この両者における共通点として存在しているのが、「公開」とい

    実名晒し行為と無断リンク行為の共通性 - くっぱのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2007/12/28
    誰かがいうと思ってたけどw/気がするじゃなくて論理的な解説を望みたいのだけど。
  • sci98さんの備忘録の謎 - くっぱのブログ

    sci98さんがこれまでのやり取りについて何だかまとめていらっしゃるようなのですけど、謎深いというか、ちょっとついていけない部分もあるのでツッコミを少々。 幾度かのやり取りをして、くっぱさんが私の主張を謎に感じている理由が判明した。簡単に書くと、くっぱさんは 他人の「正当な行為」を、さも「不当な行為」であるかのように論う行為 他人の都合を考えず、自分の都合だけを考えて他人になにか命じる行為 以上の行為が「なぜ不当な行為であるのかがわからない」ということだそうです。 1.始まり | sci98の備忘録 「なぜ不当な行為であるかがわからない」って、早い話、「様々な行為がある中で、なぜその行為が世の中において『不当な行為』として設定されているのかわからない」ではなくて、「なぜその行為が『世の中において不当な行為として設定されている』と言い得るのか、その結論を導く際にsci98さんが用いている論法

    sci98さんの備忘録の謎 - くっぱのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2007/12/02
    「誰がどのような論法を用いて言い得るのか」⇒これは俺たちが掘った井戸だ!じゃないかな?
  • リンク・被リンク論(暫定第2版) - くっぱのブログ

    (この暫定版は新しい版に改定されました。最新版は当ブログサイドバーの「リンク集」から参照ください。) リンクをした人は、リンクをされた人から「リンクをやめろ(さもなければ俺を納得させろ)」と要求されたときに、以下の3つの中から自身の責任のともに自由に1つを選択することができる。(A)リンクをやめる。(B)相手を納得させたうえでリンクをする。(C)相手を納得させることなくリンクを継続する。 (C)を選択することは、「相手を不可逆な状態に陥れることになる可能性があるにもかかわらず、その行為をその人を納得させることなしに実行しても構わないと自分の価値観に基づいて一方的に判断し、それを実行した」という事実を生じさせる。 相手からのリンクについて納得していない人は、以下の3つの中から自身の責任のもとに自由に1つを選択することができる。(a)リンクされたコンテンツを書き換えたりウェブから削除する。(b

    リンク・被リンク論(暫定第2版) - くっぱのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2007/11/07
    トラバした。あまり変わらない。/ちゃんと読まれなかった
  • 無断リンク・無断リンク禁止論(暫定第2版) - くっぱのブログ

    無断リンク禁止宣言のなされたサイトへの無断リンク行為は、「その行為をすると人が望まない不可逆な状態に相手を陥れることになる可能性を認識しているにもかかわらず、相手ではなく自分自身の判断で、相手に問答無用にその行為を実行した」という事実を生じさせるという意味で、相手を問答無用に殺す殺人行為と共通性をもつ。(「不可逆な状態」とは、無断リンクによってそれまでそのサイトの存在を知らなかった人が、そのサイトの存在を知ってしまうと、知らなかった状態に戻すことはできないということ。「相手ではなく自分自身の判断で」とは、リンクをすることを事前に通告して削除や書き換えなどの措置をとる猶予を相手に与える自由が制限されていないにもかかわらず、自分の判断でそれをしていないということ。) リンクをする前に相手に通告し、リンク先のコンテンツを削除したり、書き換えることによってリンクされるのを回避する措置をとる猶予を

    無断リンク・無断リンク禁止論(暫定第2版) - くっぱのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2007/11/02
    議論した意味が全くない。自分が正しいと思って考えを変える気がないなら議論という体裁をとらなければいいのに。
  • ウェブそもそも論の謎 - くっぱのブログ

    ウェブにおけるリンク・被リンクに関してウェブの理念なるものを持ち出して主張がなされることがあります。しかし、そのような主張をよく読んでみると、もしかしたらその人の個人的なローカルな価値観のもとでは成立しているかもしれないけれど、それ以上のことは言い得ていないのではないかと感じられるものを目にすることもあります。 最近目にしたものの中では比較的丁寧に理由を書いてあると感じられるという意味で 2007-10-02 を例として取り上げさせていただいて、論理に飛躍があると感じられるいくつかの点について指摘してみたいと思います。 ネットワーク化することが嫌なら、WWWに公開するべきではない。WWWに公開することとはすなわち全世界に公開することであるし、誰でも自由にリンクできるということなのだ。 2007-10-02 全世界に公開するというのは、そのサイトの存在を知った人は誰でもそのサイトにアクセスす

    ウェブそもそも論の謎 - くっぱのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2007/10/14
    接続料するためにお金を払って使っているわけだが、使用条件に公開する義務を含んでいるようなものじゃないかな、システムって話だと。ATMが時間外手当てを取る理由はわかるけど俺はいや、って表明が意味ないような話
  • 無断リンク・無断リンク禁止論(現時点での暫定版) - くっぱのブログ

    (この暫定版は新しい版に改定されました。最新版は当ブログサイドバーの「リンク集」から参照ください。) 無断リンクをされても相手に文句を言える筋合いにはない。(ウェブにおいて相手は無断リンク行為をする自由を制限されていないし、自分がウェブを利用しない自由も制限されていないから。つまり、自己責任。) 無断リンク禁止宣言のなされたサイトへの無断リンク行為は、「その行為をすると人が望まない不可逆な状態に相手を陥れることになる可能性を認識しているにもかかわらず、相手ではなく自分自身の判断で、相手に問答無用にその行為をなした」という事実を生じさせるという意味で、相手を問答無用に殺す殺人行為と共通性をもつ。(「不可逆な状態」とは、無断リンクによってそれまでそのサイトの存在を知らなかった人が、そのサイトの存在を知ってしまうと、知らなかった状態に戻すことはできないということ。「相手ではなく自分自身の判断で

    無断リンク・無断リンク禁止論(現時点での暫定版) - くっぱのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2007/10/10
    何がおかしいかって考えてたんだけど、同じ行為が事前の通告の有無で全く違う意味合いを持つって所か。わかってきたんだけど、無断リンク禁止で不可逆な事態が生じる所は連絡してもリンク不可なんじゃないか。
  • 続なぜ人を殺してはいけないのか? - くっぱのブログ

    前回のエントリーでは、「相手を殺そうと思って問答無用に殺す」という行為が、 その行為がなされたという事実をなかったものとして扱うことのできない行為をその人にすることを決定し、それがなされるのを回避するだけの猶予を相手に与えることなく、その行為をなした という事実が生じさせることになることを指摘し、 相手が大切にしている思い出の品を問答無用に破壊する 相手が親身に見守っている道路の隙間に生えた大根を問答無用に切断する 相手が無断リンク禁止を宣言しているサイトに問答無用にリンクをする という行為も同じ事実を生じさせる行為であるということを論じたのですが、この事実における注目点がどこにあるのかについてエントリーでは論じてみたいと思います。 仮にこの事実が「その行為がなされたという事実をなかったものとして扱うことのできない行為をその人にすることを決定し、その行為をなした」であったとしましょう。ど

    続なぜ人を殺してはいけないのか? - くっぱのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2007/09/29
    ↓昔そんなニュースがあったような/なんで猶予っていう条件が重要パラメーターになっているのかどうしてもわからない。任意に持ち込んだパラメーターに思える。
  • なぜ人を殺してはいけないのか? - くっぱのブログ

    「なぜ人を殺してはいけないのか?」という質問に対して、どのような回答をしたらよいのかということが話題になることがあります。「法律で禁止されているから」と答える人もいるかもしれませんけど、たとえ仮に法律で禁止されていなかったとしても、「相手を殺そうと思って問答無用に殺す」という行為に関しては何かが言えそうな気がするので、そのあたりについて考えてみたいと思います。 まず、「してはいけない」については、もしそれが「それをする人は悪人である」を意味するのだとしたら、当ブログのスタンスとしては「相手を殺そうと思って問答無用に殺す」という行為が「してはいけない」行為であるという結論を導くことはできません。なので、善悪とは関係なく単に「相手を殺そうと思って問答無用に殺す」という行為をすることが、どのような行為をなしたという事実を生じさせることになるのかという観点のみの話になります。 で、いきなり結論です

    なぜ人を殺してはいけないのか? - くっぱのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2007/09/22
    なんか先手をうってエントリ書いたみたいになったな、僕は。