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ブックマーク / shirooo305.hatenablog.com (7)

  • 『恋する小惑星』のEDについて - Paradism

    感傷が染みわたるような映像と楽曲。物想いに耽る少女たちの表情を一枚一枚切り取り、じっくりと見せていく構成には情感がたっぷりと乗っていました。1話を観てもみらとあおの関係性が物語の軸になっているのは間違いないのだと思いますが、その物語の中で出会うことになるそれぞれの少女たちの物語までも微かに匂わせてくれていたのがとても良いなと感じます。そして、多くのカットが “少女がなにかを見つめる” ことへフォーカスを当てたものであったことはきっと意図的で、そこには作にとってとても切実な意味があったのだと思います。 それはこういったカットでも同様でした。ストラップをつつき、見つめるあお。暗がりの部屋の中で屈むその姿は、それこそ作中でも描かれたように奥手になってしまった彼女の心模様を写し込んでいるようでした。しかし、その光景とは対照的なあおの優しい視線、月灯りが差し込むことで生まれるビジュアルの質感変化は

    『恋する小惑星』のEDについて - Paradism
  • 『HUGっと!プリキュア』16話の演出について - Paradism

    全てにおいて素晴らしいとしか言いようがなかった話ですが、まず最初に目を奪われたのは構図やレイアウトの良さでした。特に日常パートでの人物配置などは素晴らしく、それぞれの芝居や表情を一つの画面に乗せることで、その空間でのやり取りを楽しく生き生きと伝えてくれていました。一人一人にカメラを寄せ映していくことも出来たはずですが、そうはせずワンカットの中に個性的で豊かな芝居・表情を詰め込んでくれたことが序盤のやり取りの面白さにも繋がっていたはずです。 こういったカットも同様です。手前で面白いやり取りをしている二人を描きながら、その奥にもちゃんとほまれたちを映して彼女たちの反応を描く。些細な反応ですが、それと分かるくらいの距離感・絶妙な配置がとても巧く、彼女たちの関係性が見える空間と空気感を感じられるのがとても良いです。 今回のコンテを担当されたのは渡邊巧大さんですが、こういったレイアウト・構図は他の

    『HUGっと!プリキュア』16話の演出について - Paradism
  • 高雄統子演出の視線 『ダーリン・イン・ザ・フランキス』5話 - Paradism

    ゴローがヒロに視線を向けるカットの多さが目立っていたのは序盤。ヒロの変化やゼロツーとの関係を見つめる彼の目は特に印象的に描かれていました。レイアウト的にも巧く、どれもヒロとは目を合わせない位置に置かれ、さりげなく彼を見つめるスタンスが際立ちます。これまでもヒロの傍に寄る立ち振る舞いをしてきた彼ですが、おそらくは立ち直り始めたヒロを見守る役目を彼が担っていることも今回そういった立ち位置で描かれた理由の一つなのだと思います。ですが、きっとそれだけではなかったのでしょう。感じる違和感や、異変。そういったものを含めての視線。だからこそ印象的に映る “傍に居ながらのこの距離感” はかなり独特です。 事のシーンではイチゴに対しても同じような視線を見せます。バストショットから視線を横に映すと次のカットでカメラは引き、イチゴが前部に映る。ここでも丁度影にかかるイチゴのレイアウトが巧く、ゴローとの対比と距

    高雄統子演出の視線 『ダーリン・イン・ザ・フランキス』5話 - Paradism
  • 『宇宙よりも遠い場所』5話の演出について - Paradism

    南極へ旅立つマリの話から一転、めぐみの心情を多分に含んだ話へとシームレスに変遷する物語とフィルムの構成。すっと上手が入れ替わり、話の主体がマリからめぐみへと変化していたことをカット単位で寡黙に伝えてくれる巧さに心がざわつきました。二人の関係と向き合うことを強要するような横の構図がもたらす印象はとても強烈で、対立的。なによりゲーム機のコードをわざと引っかけたことや前話のCパート、遡れば意味深だったこれまでの彼女への映し方なども含め、今回の話はそうして彼女が溜め込んでいたものを直接的に映すことへ余り躊躇 (ためら) いがありませんでした。 淀みを含んだ感情。それを覆う壁。押し流すことが出来ない心の弱さ。フレーム内フレームで閉ざされた空間にめぐみを映したのも意図的で、マリとの距離感を感じさせる上、そこから想起されるものはやはり作の代名詞とも呼べるあの水たまりのカットに他なりません。それは普段の

    『宇宙よりも遠い場所』5話の演出について - Paradism
  • 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』1話の手の芝居と演出について - Paradism

    輪郭線や反射光・影の多さなど、これまでの京都アニメーション作品を振り返っても特筆して線量の多いデザインと言っても過言ではない今作ですが、その中でも特に印象に残ったのは手の芝居に関してでした。それも感情や想いがその手を動かしているよう感じられたものが多く、例えば冒頭でヴァイオレットが自問自答するシーンに合わせ描かれた芝居はそういった感情の表出がとても顕著だったと思います。 ぎゅっと胸元を押さえるような動き。言葉にできないものに触れようとする指先の加減。「心を持たない」と言われ、普段の表情も決して豊かとは言えないヴァイオレットですが、この芝居はそんな通説に反してとても感情的だったと思います。芝居自体は大袈裟なものではありませんが、「こういうの、なんと言うのでしょう」と語るヴァイオレットの言葉を体現するような手の動きがよりこの芝居を感情的なもの足らしめてくれていました。なにより、こういった芝居こ

    『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』1話の手の芝居と演出について - Paradism
  • 『響け!ユーフォニアム』 11話の感情、或いは吉川優子の物語 - Paradism

    些細な噂からオーディションのやり直しにまで話が大きくなってしまった『響け!ユーフォニアム』第11話。それもその舞台上をドタバタと駆け回り、まるで高坂麗奈への嫌がらせのように不正を叫び続けた吉川優子に至っては心底辟易とさせられていたわけですが、むしろ “過ちを犯していた” のは自分の方で、この挿話を視聴するに辺り私は彼女に対しての理解を大きく間違えていたのだと思い知らされたようでした。 それこそ今回の騒動における彼女の一挙手一投足は決して褒められたものではないと思います。ましてや頭を下げ八百長を願い出るなど言語道断であり、愚の骨頂。ヒール役に徹するにも限度があると言いたくなる程に彼女の言動は我がままで稚拙だったように思えましたし、そんな彼女に対しどうしても嫌気を感じずには居られなかったのも事実です。それも自己主張するかのよう揺れる大きなリボンがこの目に入る度、溜息が出る程には彼女のことが好き

    『響け!ユーフォニアム』 11話の感情、或いは吉川優子の物語 - Paradism
  • キャラクターの見た風景を視るということ、その心に触れるということ - Parad_ism

    アニメ雑感私たち視聴者は大よそ物語や映像を客観視していることが多いわけですが、時折挟み込まれる主観のアングルやそれに準ずるカット・シーンを目の当たりにすることでその視線は一時飛躍し、それも彼らの見た風景・その視線へと重ねることが可能となるように思います。 またそれこそが俗に言う感情移入という現象でもあるのでしょうし、少なくとも私はそうすることで彼らの心に触れている、触れることが出来ると思い込むことが出来る。「ああ、だから彼 (彼女) はこの瞬間にそう想えたのだろう」 とか、言ってしまえばそんな視線の同化、登場人物たちの心情の読解。あるいは、キャラクターと同じ立ち位置をもって風景を眺めていると錯覚することのできる希少な瞬間の獲得。 *1 それも、その瞳に映り込む風景はどのようにして彼女たちにの心に広がっているのだろうという疑問に対し、ある種応えてくれるかのように描かれるカットの連続。表情のア

    キャラクターの見た風景を視るということ、その心に触れるということ - Parad_ism
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