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政治と社会に関するPortunusのブックマーク (7)

  • http://econdays.net/?p=6039

    Portunus
    Portunus 2012/02/19
    アイン・ランドといえば『ウォッチメン』のロールシャッハのモデルとなったザ・クエスチョンの作者であるスティーブ・ディッコも信奉者だったらしく、それをロールシャッハの造形にかなり取り入れているそうな。
  • THE BRADY BLOG:ボヴァリー夫人と定規の目盛り

    学生デモの話を書きたくなったのには個人的な理由があった。 英国では“異様に算数が得意な人”と見なされてしまう日人の一人として、わたしは某リベラルチャリティー系教育機関でAdult Numeracyの教員補助として時々ボランティアしている。 なので、読み書き・算数がきちんとできない英国の成人たちを再教育する現場というものがどういうものなのか知っているし、そのために労働党がどれほどの予算を費やし、底辺の人々を引きあげようとしてきたかを知っている。 はっきり言って、日なら不合格になる12歳はいないだろう。というような超ちょろい算数のテストに合格するために勉強しているイングリッシュ・アダルトがどれほどいることか。 掛け算、割り算はおろか、足し算、引き算で躓いている。定規の目盛りも読めない。 これ、元ドラッグ中毒とか13歳で妊娠したとかで学校を中退した若人ばかりではない。 わりと普通に働いている

    Portunus
    Portunus 2010/12/16
    「というか、やっぱ現実的に考えて、定規の目盛りが読めない階級からは政治家は出ない。」
  • 3日および7日の石原発言、および「東京都青年の家事件」について(追記あり) - こぐま座

    都内のPTA団体などが3日、都青少年健全育成条例改正案の成立を求める要望書を都に提出した。石原慎太郎知事は「子供だけじゃなくて、テレビなんかにも同性愛者が平気で出るでしょ。日は野放図になり過ぎている。使命感を持ってやります」と応じた。 http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20101204ddlk13010267000c.html いうまでもなく同性愛者に対する許しがたい差別発言である。この男がこんな発言をしても今さら何の驚きもないけれど、少なくとも記事を読む限りではこの発言の場で誰も異議を唱えた形跡がなく、この記事自体にも知事のこの発言につき批判する文言が全くないことには、改めて絶望せざるを得ない。粛々とスルーされ続ける差別発言。日って、酷い国ですね。 もちろん、一般的に日の新聞は、こうした記事を書く際に「事実のみ述べる」スタイルに徹するのが通例だ。

    3日および7日の石原発言、および「東京都青年の家事件」について(追記あり) - こぐま座
  • 2010年秋の情勢について(1) 軍事的「平和国家」日本の成立(上) | 私にも話させて

    1.尖閣諸島(釣魚島)問題について このところの政治・言論上の、一連の大きな動きについて、まとめて書くつもりだったのだが、長くなるので全体を分載することにした。延坪島砲撃事件とその日への影響や、沖縄知事選についても述べたいのだが、それを論じる前に、尖閣諸島(釣魚島)問題について述べなければならない。 この問題については、浅井基文氏が、日共産党の主張の支離滅裂さや、安全保障問題との関係、中国側の主張など基的な点に関して、詳細かつ極めて説得的に論じているので、未読の方はまずはそちらを参照されたい(私は尖閣諸島は中国領だと考えているので、浅井氏とは立場が異なるが)。 今回の一連の尖閣問題に関する日の言論状況への批評として、メディア上で一番的確だったのは、韓国の保守紙、朝鮮日報(日語版)の2010年9月27日付の記事ではないかと思われる。記事には以下のようにある(強調は引用者、以下同)。

    2010年秋の情勢について(1) 軍事的「平和国家」日本の成立(上) | 私にも話させて
  • 2010年秋の情勢について(1) 軍事的「平和国家」日本の成立(下) | 私にも話させて

    3.「戦後社会」の正当化とレイシズム だが、今回の一連の言説に関して、公正性の消失を指摘するだけでは十分とは言えない。矛盾した話ではあるが、他方で、「正義は我にあり」として、普遍的な次元において自分たちの正しさは担保されているのである。そのような姿勢を可能にしているものが、私が論文「日は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか」で指摘した、「戦後社会」の擁護と「平和国家」日という認識である。 「戦後社会」の擁護とは、戦後日が過去清算を概ねまともに行なっていた、という認識と表裏一体である。さすがにこのような主張を大真面目に語る人間は少ないが、以下のような薬師寺克行・朝日新聞論説委員(元『論座』編集長)の主張がその一例である。 「戦争によって完全に崩壊したアジア諸国との外交関係を回復するため、戦後、日政府は腰を低くして自らの行いの非を認めて謝罪するとともに、各国の経済発展

    2010年秋の情勢について(1) 軍事的「平和国家」日本の成立(下) | 私にも話させて
  • とあるアルファブロガーのSophisterei(詭弁)――あるいは正統的な暴力も暴力であることについて - 過ぎ去ろうとしない過去

    はじめに結論から書いておこう。「国家が暴力を独占する」の意味は、国家が自らの暴力の行使に対してのみ、正統性を付与するということである。国家というのは、征服によるものであれ、共和主義的な統合によるものであれ、その集団がある領域内を実効支配した時点で、定義上、その領域内には少なくとも国家に匹敵しうるような暴力を行使可能な集団は存在していないはずである。だが、国家はなお支配のために「暴力を独占」する。それは、自前の暴力組織にのみ正統性を与えることによってであって、そうやって正統性を与えられた暴力組織を「軍隊」や「警察」と呼ぶ。ウェーバーによればその正統性の源泉は、近代国家においては「合法性」である。その正統性(=合法性)に基づいてはじめて、政府は国家内の自律的な暴力集団を規制したり弾圧することができるのである。 軍隊や警察は、人を殺しうる力を持っている。たとえ侵略軍から「国家を防衛」するためであ

    とあるアルファブロガーのSophisterei(詭弁)――あるいは正統的な暴力も暴力であることについて - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 私はいかにして死刑廃止の論拠について心配するのを止めたか - apesnotmonkeysの日記

    私も以前は「なぜ死刑を廃止すべきか」の論拠をどう表現するかいろいろと考えたものですが、最近は実にシンプルな主張に落ち着きました。「殺すな、という主張に根拠は要らない」です。 こういう境地に達するうえで、南京事件否定論者の言動をフォローして来たことは大いに関係しています。「捕虜を殺したのは正当である」と主張するために様々な詭弁を弄する人々を見ていると、そうした主張に対して国際法やら当時の軍事的情勢やらを引き合いに出して「いや、あの捕虜を殺すのは不当だった」と反論するのは実は間違っているのではないか、とすら思えてきますから。 死刑存置論はしばしば「国民の正義感情」を論拠にしますが、しかしこの「正義感情」たるや、被害者の数が膨大で“顔が見えなくなる”とかえって被害者への関心を失ってしまうようなシロモノです。だって、9割近くが死刑を支持するその社会で、万の単位で被害者のいる大虐殺を否定するために詭

    私はいかにして死刑廃止の論拠について心配するのを止めたか - apesnotmonkeysの日記
    Portunus
    Portunus 2010/11/11
    恣意的な「国民の正義感情」を論拠にする果てには「下克上の気風」が待ってそう。http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1564829.html
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