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ブックマーク / qushanxin.hatenadiary.org (20)

  • 自己責任論再考 - 狂童日報

    個人の貧困の問題が「自己責任」であるか否かについて、知的な人たちや良識のある人たちの間では一蹴されているが、現実社会ではまだまだ根強いものがある。 それは決して理由のないことではない。世襲的な身分制度がそれになりに残っていて、貧しい農村に生まれ育った人たちが多かった時代に、その人の不幸が自己責任に着せられることは基的になかった。それは、生得的に押し付けられた伝統や貧困の問題であって、個人の問題では決してないことは暗黙の了解として存在していた。犯罪者に対してさえ、「育った環境が不幸だっただけで根は悪人ではない」という言い方がかなり通用していた。また知識界ではマルクス主義の影響力が強く、資主義は自由をもたらすのではなく人々の自由を抑圧するという理解が広く共有されていた。 ところが、1980年代以降になると目に見えるような厳しい貧困や差別は少なくなっていく。それなりに裕福なサラリーマンの家庭

    自己責任論再考 - 狂童日報
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    REV 2009/06/09
  • 最近の地方首長の「小さな政府」路線について - 狂童日報

    市民税のカット目標は1割、250億円。納税者とその配偶者、子どもを含めると180万人が恩恵を受けると説明。手法は、定率か定額かなど今後、検討する。税金を支払っていない層にも現金の支給を考慮する。 カット分は役所内の「無駄遣いを根絶」し補う。各局長にカットすべき予算枠を指示して査定権も与える「庁内分権」を実施し、どの事業を廃止するかは職員が自ら判断できる態勢をつくる。 地域委員会は、選挙で選ばれた地域の代表で委員会を構成し、福祉や防犯、まちづくりなど地域の問題を解決するために、予算の使い方を自分たちで決める。実際の施策は職員や、委託された民間団体が行う。 市職員は、雇用を維持しつつ、人件費の総額を1割カット。幹部職員を中心に給与を見直し、給与が500万円以下の若手職員は対象としない。市長退職金は廃止し、市長給与も大幅に削減する。 議会改革を進め、議員の定数を1割カット。議員に支給される政務調

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    REV 2009/04/29
  • 先生いじめ - 狂童日報

    愛知県半田市の市立中学校で、担任に不満を抱いた1年生の男子生徒十数人が「先生を流産させる会」と称し、妊娠中の30代の女性教諭に対し、いすのねじを緩めたり、給に異物を混入したりしていたことが分かった。 同市学校教育課によると、生徒らは今年1月から2月にかけて、教諭の車にチョークの粉やのりなどを混ぜ合わせてふりまいたり、いすの背もたれのねじを緩めたりしたほか、消臭や殺菌、品添加物などに使われるミョウバンを理科の実験の際に教室に持ち帰り、教諭の給に混ぜたという。 http://www.asahi.com/national/update/0328/NGY200903280011.html この記事のブックマークにある「犯罪, 少年犯罪 そらひどいし罰されたほうがいいけど、「こんな中学生おかしい」とか「昔はこんな事件なかった」といってるひとはなんなの。中学生やったことがないの?記憶喪失なの?」

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    REV 2009/03/29
  • 究極の弱者 - 狂童日報

    加藤容疑者に関する報道を見るにつけ、彼は現代社会における究極の「弱者」であったのではないか、という感を拭えない。 従来弱者というと女性、外国人、身体障害者、あるいは何らかの出自で差別を受けている人々であった。こういう人々が社会的な困難に直面すれば、周りの人は「世の中の不当な差別が原因だ」と直ちに理解し、(現実には依然不十分だとしても)様々な支援・救済の手が差し伸べられる可能性がある。なにより当事者自身が、「弱者」というカテゴリーの中に入ることによって「差別は社会の問題であって、当の自分はまっとうな人間だ」であると考えることができる。また周囲の人々も、まず「差別的な人間」だとは思われたくないので、そのような考え方をしようとする。 しかし加藤容疑者は、どこにでもいる普通の、しかも比較的教育熱心な日人の家庭に育った男性であり、しかも地方の伝統進学校出身である。いわゆる「勝ち組」になるための社

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    REV 2008/06/29
  • 高級志向 - 狂童日報

    最近日社会のなかに「高級志向」が復活しつつあるように思われる。これは日だけじゃなく、韓国中国でも同じ現象が見られるようである。 90年代半ばには、バブル時代の記憶もあって高級志向はほとんど軽蔑の対象であった。それはとりもなおさず、不況で収入が頭打ちになって全員が「高級」になれるという神話を共有できなくなったこと、また高度成長以降に育った世代は必然的に上昇への意欲を失っていたからである。その代わりに価値を持ったのが、まさに「自分らしさ」「好きなこと」であった。 90年代半ばから公共事業は批判の的だったが、それは単に「無駄」というだけではなく、地方の隅々まで東京と同じ高水準の生活様式を広めようとする「高級志向」そのものにも向けられていたように思われる。その頃の公共事業を正当化する論理は「景気回復」という経済成長モデルであって、今のような「生活」の論理はあまり語られていなかった。 現在高級

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    REV 2008/06/29
  • 中国問題など存在しない - 狂童日報

    最近中国に関していいニュースを聞かないくらいだが、私は敢えてこれを「中国問題ではない」と言うことにしたい。「中国問題」というのは、「中国に特有の文化や国民性に由来する問題ではない」という意味である。 冷凍餃子問題について言えば、前にも書いたように、品の生産や加工が海外で行なわれるようになれば、日と同水準の衛生管理制度を隈なく行き渡らせることが困難になるというだけの話である。それに日で「健康」というのは「安全な品をバランスよくべる」ということかもしれないが、中国のように分厚い貧困層を抱えている国では、多くの国民にとって「健康」というのは「べ物を腹いっぱいべる」という以上のことを意味しない。それに加えて、中国の農業は市場競争からの保護も弱く、生き残るためには「大量に安く」売らなければならないので、自ずと「品の安全」ということは「大したことではない」ということになる。当たり前だが

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    REV 2008/02/26
  • コンビニ問題 - 狂童日報

    コンビニ 不都合な真実 (ベストセレクト 767) 作者: 月刊「ベルダ」編集部出版社/メーカー: ベストブック発売日: 2007/11/01メディア: 単行購入: 23人 クリック: 844回この商品を含むブログ (14件) を見る 2ヶ月くらい前にも取り上げたこの、ネット上で散見される評判は決して悪くないのだが、いつのまにかどの書店でも見かけなくなり、amazon書評欄もひと月以上前の1件と、完全に忘れ去られている感じになっている。まさかとは思いたくないが・・・・。 コンビニの問題点をあらためてまとめると、以下のように列挙することができるだろう。 (1)従業員を「ワーキングプア」にしている 上記のでも指摘されている通り、コンビニ企業の莫大な利益は事実上、売れ残った商品や万引きされた商品を店長の給料から天引きする「ロスチャージ」で成り立っている。しかも24時間営業のため、肩書きは

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    REV 2008/01/13
  • 既得権 - 狂童日報

    「既得権」という言葉がニュースを賑わすようになったのは、90年代後半くらいだろうか。「改革」を連呼する政治家や経済学者が、敵対的な政治家や成果の悪い官僚組織や企業経営者を「既得権にしがみついている」という名の下に一刀両断し、政治家は誰もかも「しがらみのなさ」を賢明にアピールしていった。最近「格差社会」が問題にされるようにつれて、流動性の高い市場競争社会に対する不信や不安が広がっているが、「既得権に胡坐をかいて・・・・」という批判は一向にやまないというか、むしろ強くなっている。こないだの佐世保の銃乱射事件でも、「警察官が保身に走って対応を怠った」という解説が真面目に行なわれていたのには、さすがに唖然とした。 少しでも社会について真面目に物事を考えたことにある人なら、「既得権」批判が何の意味もないことはすぐわかるはずである。最貧困層以外のほぼ全ての人が、必然的に「既得権を守る人」に当てはまるだ

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    REV 2007/12/20
  • 自己責任論 - 狂童日報

    「自己責任論」再浮上 韓国政府、拉致被害者らに費用請求検討 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070831-00000904-san-int かつて日でも散々話題になったが、これは一体全体「自己責任」なのか。実は日では、あまり議論が詰められることなく終わってしまったのではないかと思うが、また起こる可能性の十分にある問題である。 私の結論は「まったく自己責任ではない」、つまり国が被害者に医療費や輸送費などを請求することなど断じてあってはならないというものである。理由は単純で、日の国籍をもつ人々の生命財産を無条件に保護するということは、日という国家の基的な義務であるからである。 たぶん「自己責任」論というのは、「現地の危険さに対する十分な備えもせずに渡航した」ことへの甘さに対する叱責なのであって、それ自体はその通りかもしれない。ただ、救出にかかっ

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    REV 2007/09/01
  • なぜ年金未納が多いのか - 狂童日報

    自民党のぼろ負けが確実視される参議院選挙に向けて、年金問題が焦点になっている。相変わらず与党は野党の攻撃に対して「財源は何処に?」と開き直って、「景気回復で対応」などと世迷いごとを繰り返してる。年金改革の中身云々以前に、この段階で与党の言うことは全て破綻している。 そもそも国会議員たちは、なんでこんなに「未納」(3割強)が多いのかという根的な問題を真面目に考えたことがあるのだろうか。 だいたい年金というのは「老後が不安」ということを前提にしている。「老後が不安」という感情は、裏返して言えば「いまはそれなりの安定した給料をもらって働いている」からこそ、言い換えれば「定年」というものをリアルに想像することが出来るからこそ起こるものである。「来月は仕事があるだろうか」という不安を日々抱えている派遣社員やフリーターにとって「定年」など頭の片隅にすら上らないだろうし、そういう現実味のない「定年後」

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    REV 2007/07/13
  • 「左翼」が支持されない理由 - 狂童日報

    最近、「フリーター」などの若者弱者が自民党に投票したり、女性が「男女共同参画」を訴える浅野史郎ではなく、女性蔑視発言をしばしば行なう石原慎太郎に投票したりという奇妙な現象が起こっている。 多くの人々は当惑しながら「右傾化」のレッテルを貼って終わりにするだけだが、私が考えるには従来の「左翼」と呼ばれる人々が「中流幻想」からなかなか抜け出せなかったことにあることが背景にあるように思う。1970年代以降にマルクス主義の凋落によって「左翼」の学者やジャーナリストが選択した戦略が何かといえば、(1)女性の社会的な地位向上を訴えるフェミニズム、(2)中国韓国戦争被害者に対する補償を求める戦争責任論、(3)「在日」や移民の社会的権利付与を支援するマイノリティ運動などであった。こうした戦略を通じて、戦後の日社会は経済的な豊かさを達成したものの、それが様々なマイノリティを排除することによって成り立って

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    REV 2007/04/30
  • お上意識 - 狂童日報

    人は「お上意識」が強いといわれる。 確かにそうだ。「お上意識」を批判し、公務員の「特権」を批判し、その数を削減せよとのたまう人が、「行政は何をやっているのか」「政府の責任だ」と平然と言う。「お上意識」を強く批判する人の論理の中に、強固な「お上」願望がある。「お上意識」への批判は、ほとんど日社会のお約束であると言っていい。私の「お上意識」も相当なものだと思うが、こういうお約束的な「お上」批判を平然と繰り返す人たちほどではないと思う。 日人は「お上」というのは絶対になくならないものだと思っている。「下」がどれだけ批判し、「お上」の力をそぎ落とそうとも、天から降り注ぎ続けるものだと考えている。日中国との違いに何があるといわれたら、真っ先にこの「お上」意識を挙げるだろう。中国では「お上」の力なんていい加減なもので、砂上の楼閣でしかない、ということが暗黙の前提になっている。「お上」に対す

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    REV 2006/12/16
  • 希望は戦争 - 狂童日報

    格差社会論も傷気味と思っていたところに、『論座』1月号に赤木智弘「「丸山眞男」をひっぱたきたい」という文章を読んだ。大げさじゃなく、この1年の格差社会論で最も刺激的で面白い論文だった。 今までの格差社会論の多くは、「真面目に働く庶民」を前提とした「新自由主義」「勝ち組」批判が多かったし、フリーターやニートの問題も、「新自由主義」「勝ち組」と呼ばれる層が批判の矛先になっていた。しかしこの現役フリーターを自称する赤木という人は、「真面目に働く庶民(=労働者)」を敵視する。自分を「弱者」であるとためらわず自己定義し、怠惰なのではなく「不幸な世代」であるだけだと訴える。そうして彼は主張する。いま「平和な社会」の維持を語ることは、定職と家庭をもつ上の世代の豊かな生活を維持し、若者を家庭ももてないような弱者にとどめておく、現在の状態を維持することでしかない。それに比べれば、国民全員が平等に苦しむ戦争

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    REV 2006/12/07
  • 右傾化はほんとうか? - 狂童日報

    最近マスコミでは「右傾化」を警戒する発言が目立っている。「右傾化」というのであれば、核武装をしてでも日という国を防衛するうんぬんの議論や、大東亜戦争は聖戦だったみたいな議論が増えているということを意味しなければならないが、今一つピンとこない。「若者バッシング」「ジェンダーフリーバッシング」というものもそうだけど、私はそういう主張をする人に実際会ったことがほとんどない。「ジェンダーフリーバッシング」や「右傾化」に属すると思われる知識人は、アカデミズムでは全然評価されていないし(そもそも論じている内容もひどすぎるし)、職場でも馬鹿にされているか腫れ物扱いかどちらかだろう。 はっきり言うが、「右傾化」に属するような発言は一般社会ではまだタブーに近いし、とくに学者の間では「保守」や「右翼」と見られることを極度に嫌がる雰囲気があり、『正論』『諸君』のような雑誌に論文を書くことは今でもかなり勇気のい

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    REV 2006/12/02
  • 核武装論―議論はなくてもいい - 狂童日報

    核武装論が一段落したが、気になったのは「議論はあってもいいではないか」という意見がかなりあったことである。ネットで上多かったのは予想通りだが、新聞やテレビなどでも少なくなかったのは正直なところ驚きだった。 おそらく、大半の人は「核武装はするべきではない」と考えているし、言いだしっぺの中川政調会長や麻生外務大臣なども「非核三原則は堅持する」ということを明言している。しかし結論が出ているなら、どうして議論をする必要があるのだろうか・・・・?断っておくが「議論はあってもいい」のは当たり前である。テレビの討論番組で核武装論に言及する人はいくらでもいる。しかし、国会の貴重な時間を割いて議員同士が議論する必要があることなのかどうかは、全く別の話である。ところがこのことを理解せずに、「核武装は反対だが議論はあったほうがいい」という、自家撞着を起こしている人たちが後を絶たない。そこでは、「何を主張するため

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    REV 2006/11/11
    議論の是非と、議論の影響の軽重はまた別の問題。
  • いじめっこはどこに? - 狂童日報

    普段は安直なマスコミ批判をする連中を軽蔑しているが、さすがにここ最近のいじめ問題に関する報道はひどすぎる。 だいたい、いじめが問題であるとすれば、最も反省し、態度を改めるべき存在は誰なのだろうか。そんなのは幼稚園生でもわかる。直接いじめを行った生徒である。それ以外には有り得ない。直接いじめていた生徒と、それに加担していた仲間と、消極的に同調していたクラスメートの順に悪い。基的に教師は悪くない。もちろん公に謝罪するのは教師だが、それは社会的に「未熟」な生徒のかわりに、クラスの監督者として、そして一人の大人として社会的責任をとっているだけである。最終的にいじめっこの生徒が責任をとらないのは、あくまで社会的な能力や責任感に欠けた子供として扱っているからであり、教師のほうが悪いからでは決してない。テレビや新聞の報道を観ていると、こういういじめ問題を考える際の大前提が共有されていないのではないかと

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    REV 2006/11/01
    「こんなくだらない報道ばかりが横行しているのであれば、いじめ問題など全く報道されないほうが、いじめで苦しんでいる子供たちにとってはるかにましである。」そうだったのか。
  • 誰か法人税大増税案を! - 狂童日報

    16日の下に載せておいたけど、どうも上とつながりが希薄なので改めて。 共産党や社民党のような「税金は大企業から採ればいい」的な単純な議論にも問題があるにしても、どうして国債発行や消費税の前に法人税を上げるという議論が盛んにならないのだろうか?前にも書いたが、徴税は「余裕のあるところから(金持ちからではなく)」が大原則である。経済は無知なので全くわからないのだが、ビールやタバコなどの商品にちまちま数パーセントの税金をかけるよりも、何兆何千億とお金の動いているところから1パーセントでも増税したほうがはるかに効率がいいし、企業もそこまで懐が痛む話ではないだろう。銀行業界が空前の好景気らしいが、大量の税金を投入して破綻を救ってきた国民はどうして怒りの声を上げないのだろうか?これは経済の専門家に任せるしかないが、国債発行や増税は仕方がないと諦めたりとか、公務員の数や給料を減らすなんという大した効き目

    誰か法人税大増税案を! - 狂童日報
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    REV 2006/10/20
  • 都会と田舎のねじれ - 狂童日報

    田舎の風景がファーストフードやコンビニ、郊外大型店舗、ハコモノ公共事業などで「汚染」されているという議論は多い。「顔が見える」「人間のぬくもりがある」「情がある」など長所を強調する。しかし馬鹿を言うんじゃないという感じがする。 そんなことを主張するのは大抵都会に生活の根拠がある人である。田舎の若者の多くは、そうしたベタベタした人間関係に対して、慣れてはいるかもしれないが正直なところどこかウザイ、陶しいものだと思っている(もちろんある種の甘えだけれど)。個人的な印象だが、親や地元の悪口を語りたがるのは大抵田舎出身の人である。また都会の人だって、当の田舎に住みたいとは全く思っていない。田舎というのは商店や堂に入っても、周りの客は知り合いだらけで、外部の人は入りずらい雰囲気がある。また商店の品揃え堂の味も、はっきり言ってよくない場合がほとんどである。 ファーストフードやコンビニを批判する

    都会と田舎のねじれ - 狂童日報
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    REV 2006/08/23
  • 北朝鮮ミサイル問題 - 狂童日報

    北朝鮮のミサイル基地を先制攻撃しようという言う意見が、公然と出され始めているようだ。はっきり言ってやめるべきである。憲法の問題以前に、莫大な税金を使う上に成功率はきわめて低く、さらに国際的な支持もあまり得られないだろう。先制攻撃は金銭的にも外交的にもリスクがあまりに高すぎる。外交下手の日がこのリスクを処理できるとは考えられない。しかし、これに反対する側はというと非常に弱い。「もっと外交的努力を」「より慎重な議論が必要」という綺麗事に終始している、というか逃げているのである。 しかし、もっと当のことが語られなければならないのではないだろうか。つまり、北朝鮮のミサイルを脅威と考える限り、それによって一定多数の日国民が犠牲になる可能性を受け容れるべきだということである。 そもそも北朝鮮の何が「脅威」なのだろうか。核兵器やミサイル、独裁体制などなどと答えるかもしれないが、それらは質的な問題

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  • これが不祥事? - 狂童日報

    また同じようなことを書かなければならないのは残念だが、この数年と言うか高野連会長が現在の人になってからというもの、巨大な「不祥事」が続々出ている。繰り返すように、10年前だったらこんなあまりにありふすぎている問題が「不祥事」になるなんてことはなかったろう。最近の「不祥事」は、甲子園出場辞退とかになるわりには、その内容が指導者が部員を殴ったとか、飲酒喫煙だとか、昔からどこの部活動にもつきものの問題で、ある種の異常な雰囲気を感じる。 私はどちらかというと真面目な進学校に在籍していたが、それでも煙草や酒、万引きは別に珍しいことではなかった。だいたい、万引きみたいなケチな犯罪は金のない高校生がするもので、卒業してバイトしたり仕事に就いたりすると、自然とやらなくなるものだという理解があった。デーブ大久保の自伝を読むと、高校時代は酒と煙草と喧嘩に明け暮れて有名だったらしいが、今だったら退学処分になって

    これが不祥事? - 狂童日報
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    REV 2006/03/06
    昔は、飲酒運転で人が死んでも業務上過失致死だった。あ、ありふれてればいいのね。
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