俺が県立の進学校いってたときに県内の底辺校から異動してきた先生がいたけど教え方の評判よかったわ その先生は前の学校の授業では、授業が授業になんねーから延々と自己紹介をさせてたとかいってた 生徒が自分の話をちゃんと聞くことに感動したとまでいってたぞ 逆に評判悪い先生はやっぱりいるんだけど、そういう先生の授業のときはだいたいみんな自習してた ほっといてもみんな勉強するのが進学校だと思う あと環境かな 勉強しようっていう環境
No. 16 教育制度批判 その前に 2008年3月 5日 社会 コメント: トラックバック (1) (これまでの 白田秀彰の「現実デバッグ」はこちら。) 前回までの一連の「アナキズム批判」。私の身近にいる学生さんや若い人たちの「諦めっぷり」に心底心配になって、つい書いてしまったジジイの繰言に過ぎなかったのだが、どうしたわけか、これまでの7.5倍程度のアクセスを集めてしまったようだ。大学の先生としての繁忙期である、1月半ばから2月半ばの穴埋め記事という要素もあったのだが、わからないものだ。やっぱり、構築的に連載を構成していくよりも、私の妄想暴走脳がおもむくままに書いたほうが、読者の皆さまに面白がっていただけるのかもしれない、と反省してみたりしました。 さて、No. 11の「法律解釈者」の次に教育問題について書くつもりだったので、ここから教育制度について書く。というか、すでに書いてロージナ茶
全国学力テストに続き体力テストでも都道府県別順位で39~43位と、下位に甘んじた大阪府の小中学生。こんどはなんと、 「“運”も全国最低レベル」 であることがわかった。まさにいいところなしの大阪の子どもたち。すみやかな対策が望まれそうだ。 厚生労働省が昨年10月に実施した「全国一斉運勢テスト」の結果判明したもの。これによると、大阪府の小中学生は都道府県別で46位という前代未聞の低さをマークした。実際、被験者に聞き取り調査をおこなったところ、大阪の子どもたちは 口先だけのタレント弁護士にバカだのクソ呼ばわりされる 勉強しようと思ったら図書館をつぶされる 苦学して高校進学を目指していたら助成金を取り上げられる など相次ぐ悲運に見舞われていることがわかった。 これには橋下大阪府知事も大激怒。22日開かれた定例記者会見では 「バカで運動音痴で、おまけにドンくさいときたら何が残るのか。何も残らない」
今週の水曜(9日)の「ウォール・ストリート・ジャーナル」紙に、「大都市での数学の学力伸び悩み」というタイトルの記事が出ていました。タイトルだけ見ると「格差社会」で郊外に富裕層が逃げ出して、都市が空洞化する「ドーナッツ化」現象をイメージする内容です。アメリカでは、事実、都市部の学力低下が問題になっており、この記事もそうした文脈に沿っているのですが、それでは「伸び悩み」というのは「学力低下」とか「学力崩壊」が進んでいるのかというと、そうでもないのです。 まず背景にあるのは、ブッシュ前大統領が進めた「ノー・チャイルド・ビハインド(落ちこぼれゼロ計画)」という政策です。この政策に関しては、色々と批判があります。例えば、統一テストの結果で教師の勤務評定を行うのは「やり過ぎ」であるとか、補助金を出す学区には代わりに軍の募兵用に「生徒名簿を連邦政府に提出」するという義務があるのはおかしい、といった声です
来年1月1日より、小中学生の携帯所持規制を含む石川県の「いしかわ子ども総合条例」がスタートする。携帯所持規制というと大げさだが、実際には親の努力義務であり、強制力はない。また携帯電話販売店に対しても、小中学生には売らないようにといった指導もない。筆者も実際に石川県に飛んで取材も行なってきたが、さあ子どもからケータイを取り上げるぞといった雰囲気もない。 しかしいくら努力義務とはいえ、条例でそれを決めてしまったというのは重い話だ。勘違いして本当に子どものケータイ狩りを行なう団体や、子どもたち同士のいじめが出現しないとも限らない。条例のお墨付きがあることで、それが正義だと思い込む可能性は、否定できないのである。 石川県の条例に関しては、その経緯も含めてまた改めて語るべき機会もあるだろう。今回は直接その話ではなく、その条例が投げかける影響について考察してみる。 石川県の条例を受けて、通信事業者らが
閉鎖空間かつコミュニケーションの重要性が高い場所で、いじめは発生する 結論からいえば、いじめを無くすためには、クラスメイトとコミュニケーションを取れなくすれば良いんですよ、極端な話。閉鎖空間かつコミュニケーションの重要性が高い場所で、いじめは発生するので。 最近高偏差値校のいじめの少なさについて語られる記事が多かったので、自分も中学・高校時代を思い出し考えていたが、なるほど上記の記事が核心をついているようです。 それをソーシャル・キャピタル論(社会学の社会関係資本論のこと。いろいろな文脈で語られており、一本化はされていない)のネットワークから考えてみようと思います。 基本的には小学校・中学校は自分の住んでいる地域の学校に通いますよね。地元の学校に通わないのはお受験組みで、高偏差値校を目指している人たちです。地元の学校に通うということは、小中とメンバーが変わらず、さらに毎日同じ人たちと顔を合
以前から、小学生や中学生にプログラミングの楽しさを伝えることはできないかなーと、ずっと思ってました。 PCや、インターネットが当たり前にあって、ゲームもちょっとお小遣いとかお年玉を貯めれば買えてしまう時代だからこそ、「自分でなにかを作り出す」とか「コンピュータを操ってみる」って感じを、早いうちに知っておくのは損ではないのではないか、と。 そんなことを、あちこちで言っていたら、一緒にやりましょうという方があらわれ、その方の企画のもと、そんなイベントが実現しました。 今回は、某小学校のコンピュータ室を使って、小学3年生から、6年生までの子供たちに、 Scratch を使って、プラグラミングプログラミングの楽しさを伝えてきました。 小学生とはいえ、彼ら彼女らは、普通にマウスも使えるし、PCの電源の切り方もしっかり知っています。PCを道具として使うことはすでに分かっている子供たちばかりです。 とり
増田聡さん(id:smasuda)が非常勤講師を務める神戸大学発達科学部の「表現の政治学」で課したレポート課題がすさまじくいかしている。 文化的生産物の「オリジナリティ」と「模倣」の関係について新たな角度からの視点を獲得するために、文章テキストの作成過程に特殊な制約を設けた下記の課題を受講生に課することとする。 その「特殊な制約」とは何か。 完全な「パクリ」レポートとして作成せよ。書物や新聞記事、インターネット上に存在する任意の既存の文章を探し、組み合わせ、テーマ1の内容を過不足なく満たしたレポートを完成させること。その際、自分で独自に執筆した文章を一字一句たりとも交えてはならない。 うぉお〜っ! これはすごい(笑)。さすが漢増田! これは確かに「新たな角度からの視点を獲得」につながるだろう。パクリレポート問題が言われるようになって久しいが、それを逆手にとったユニークさに脱帽である。 増田
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