「庶民」とか「こんなの」とかそれを提供している地元民を考慮してない言い様にコミュノートまでつく始末。 こういうトコで言葉を選べないから特定の支持しか残らないんじゃないですかねぇ?
![地方議員が推しメシに海鮮丼を紹介するコラムに、自民党発信というだけで脊髄反射で噛み付く共産党議員がしっぺ返しを受ける](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/3f0e78daa68defd26fb36dfc1ef2ecebfd8b3b6d/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2F5248b02423751322adc5b17caca416e0-1200x630.png)
技術的負債という言葉がある。もともとは、「楽するために導入したが、メンテにコストがかかるようになってしまった技術や構成」くらいの意味合いで使われているように思う。しかし、そもそも全部が負債ではないか、というのがこのメモの趣旨である。 負債 同僚とSlackで会話していると、「けっきょくどの言語を利用しても負債になるときはなるし、大抵負債になる」といった話になった。言われてみればそうで、基本的にコードというものは書いたそばから負債になっていく。去年書いたコードのことも思い出せない。 そんな中で思ったのだが、そもそも、負債になるコードと負債にならないコードとがあったり、技術が「負債化する」のではなく、コードや技術そのものが負債なのではないか。そして、どの言語で書こうが負債からは逃れることができない。負債にならないコードは存在しない。ゆえに、コードや技術は無ければ無いほど良い、ということになる。
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