市川崑監督の「東京オリンピック」(昭和40年)を改めて見た。初公開時には、「記録性に乏しい」という批判もあったと記憶している。だが、今となっては映像のすべてが貴重な記録だ。 開会式会場となった国立競技場で、若い主婦がねんねこ半纏(ばんてん)を着て幼児を背負っている。入場行進を実況中継するアナウンサーの古風な口調が新鮮に響いた。 「けなげであります。まったくけなげであります」 最終聖火ランナーの坂井義則選手(当時早大生)が聖火台への長い階段を上っていく。1964(昭和39)年10月10日午後2時。東京の聖火台が点火された…。 あの時、日本中の人々の心は確かに一つになっていた。女子バレーボールの優勝に、マラソンの円谷幸吉選手の力走に、皆が声援を送った。列島に「日本人としての誇り」が満ちていたことを映像が伝えている。東京五輪。スポーツの力だった。 ◆なぜ落選したのか 今月2日、2016年夏季五輪