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Techと日本に関するakakitのブックマーク (10)

  • テレビが見世物だったころ 初期テレビジョンの考古学 | - 飯田 豊(著)

    書評あり テレビが見世物だったころ 初期テレビジョンの考古学 社会一般 飯田 豊(著) 四六判  378ページ 上製 定価 2400円+税 ISBN978-4-7872-3399-8 C0036 在庫あり 奥付の初版発行年月 2016年03月 書店発売日 2016年03月18日 登録日 2016年01月27日 紹介戦前の日で、多様なアクターがテレビジョンという技術に魅了され、社会的な承認を獲得しようとしながら技術革新を目指していた事実を照射する。「戦後・街頭テレビ・力道山」という放送史の神話によって忘却されたテレビジョンの近代を跡づける技術社会史。 解説テレビ離れが叫ばれる一方で、スマホやパソコンから屋外に遍在するスクリーンまで、多様な形式で映像コンテンツは受容されている。ニコニコ生放送やパブリック・ビューイングなどの集団的な映像視聴は「戦後の街頭テレビ」の熱狂に例えられ、新しい映像文化

    テレビが見世物だったころ 初期テレビジョンの考古学 | - 飯田 豊(著)
  • 帝国日本の技術者たち - 株式会社 吉川弘文館 歴史学を中心とする、人文図書の出版

    総力戦を遂行するために厖大な人数が必要とされた、航空機・電波兵器・鉄道など基幹産業の技術者たち。陸海軍の主導で教育養成機関が整備・拡充され、彼らは国内や植民地において活躍した。植民地での現地技術者との差異、敗戦後の民間企業や大学などへの転身、高度成長期を牽引してゆく姿までを辿り、帝国日の拡大を支えた技術者たちの実態に迫る。 帝国日を支えた技術者たち―プロローグ/帝国日における技術者の配置(技術者の産業部門別分布/高等工業教育機関の整備拡充/技術者のキャリア形成)/帝国日の鉄道技術者(鉄道省、満鉄、植民地鉄道の技術者/車輌研究会と鉄道車輌技術協議会/華北車輌の経営)以下細目略/植民地の技術者たち/技術者たちの戦後と引き揚げ/戦後復興から高度成長へ 帝国日技術的「遺産」/総力戦経験の歴史的意義―エピローグ

    帝国日本の技術者たち - 株式会社 吉川弘文館 歴史学を中心とする、人文図書の出版
  • 「イプシロン軍事転用」報道のロジックの過誤(dragoner) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    イチャモンのロジック2回の打ち上げ延期があった新型ロケット”イプシロン”ですが、9月14日に打ち上げに成功し、搭載されていた宇宙望遠鏡も予定の軌道に乗りました。いくつかの教訓を残しつつ、打ち上げミッションとしても成功という、結果的にかなり恵まれた初回打ち上げだったと思います。 イプシロンは従来のM-Vロケットより低コストであること、運用面での手間を大幅に削減した事が特徴とされています。M-Vと比べ、打ち上げコストは半分(今後の目標は3分の1)、射場にロケットを設置してから発射までにかかる日数は42日から7日に短縮し、管制もパソコン数台で行うなど、M-Vからコスト・運用面で飛躍的に改善がなされた事が分かります。 ところが、この運用面での進歩について、こんな報道が中国韓国でされてます。 ロケットとミサイルは技術的にさほど差はない。一般的に、宇宙飛行体に人工衛星を搭載すれば「ロケット」、弾頭を

    「イプシロン軍事転用」報道のロジックの過誤(dragoner) - エキスパート - Yahoo!ニュース
  • 【日曜に書く】論説委員・坂口至徳 モノ作りの夢を形にする機械 - MSN産経ニュース

    複雑な形の構造物も3次元のデータがあれば、樹脂などを材料に使い、思い通りに作り出せる。3Dプリンターは、製造業の復興を目指す米国をはじめ、日でも経済産業省の平成26年度概算要求に最優先課題として開発費が盛り込まれるほど研究熱が高まっている。すでに産業界では、試作品や特殊な部品づくりなどに使われ、家庭用の廉価版の装置も販売されている。ベストセラー「メイカーズ」(クリス・アンダーソン著)の「なんでも生み出す魔法の杖(つえ)」との評価は、やや期待が先行している感があるが、今後、関連技術を含め総力戦で臨めば大化けの可能性がある。 ◆日人が発明した この最先端の技術は、実は33年前にまず日人の研究者が発明し、続いて米国の研究者も同時期に発表していた。優れた産業技術のシーズ(種)をいち早く見極め、時代のニーズ(必要性)を掘り起こして育てることの大切さを示す実例でもある。 3Dプリンターの仕組みは

  • 朝日新聞デジタル:イプシロン、地平の先に 経費減、新技術フル活用 打ち上げ成功 - ニュース

    紙面で読む会見後、イプシロンの模型を抱えて笑顔を見せる森田泰弘プロジェクトマネジャー=14日午後、鹿児島県肝付町、池田良撮影  新型のイプシロンロケットの打ち上げが成功した。低コスト化を実現するため、大幅な自動化などを導入して新たな技術の地平を開く。一方、開発の背景には、有事の際に必要な衛星を随時打ち上げられるようにする、安全保障上の意味もある。▼1面参照  今度こそ上がれ――。宇宙航空研究開発機構(JAXA… 続きを読む最新トップニュースこの記事の続きをお読みいただくには、会員登録が必要です。登録申し込みログインする(会員の方)無料会員登録はこちら朝日新聞デジタルのサービスご紹介はこちら関連記事イプシロン打ち上げ成功 惑星観測衛星を予定軌道に投入9/15イプシロン打ち上げ、午後2時に変更 船舶近づく可能性9/14イプシロン打ち上げ、午後2時に変更9/14イプシロン打ち上げ、14日午後1時

    akakit
    akakit 2013/09/15
    「打ち上げ費用は先代の固体ロケットM(ミュー)5の約半分の38億円に抑えられた」「現代の堀越二郎たち」とでも言いたくなる記事だな。
  • 技術力、ソフトウエア発想共に最もアップルに近かったシャープ…X1/X68の思い出

    SHARPが大変な危機というのはニュースで流れている通り。 会社の状況がよろしくない時に、急に公式アカウントが活発になると言うのは、かつてのカトキチ始めTwitterではたびたび起こることですが、今はSHARPアカウントの方が頑張っておられるようです。 ツイッターにアクセスしたらシャープのアカウントの人が、X1やX68の写真をアップされていたのに影響されたので、僕のシャープ製品との付き合いについて書いておこうと思う。 さすがに長いのでインデックスを貼りました。 パソコンテレビX1の驚きのテープドライブ 伝説のX68000を手に入れた話 X68000を支えたのはユーザー開発者 技術力、ソフトウエア発想力共にアップルを追従できていたシャープ ■パソコンテレビX1の革新的なテープドライブ 中学生の頃、パソコンテレビX1というシャープのパソコンを買ってもらった。 僕が買ったのはX1Fと言う廉価な機

  • 輪島塗の蒔絵筆 - 自然史学会連合

  • 日本のワイヤレス産業の敗因は、システム技術者の欠如

    1977年東北大学大学院工学研究科電気及通信工学専攻博士課程 修了(工博)。同年日電信電話公社電気通信研究所入社。1981年オタワ大学 (カナダ) 客員研究員 (Post-doctoral research fellow) (1年間)。1985年日電信電話公社電気通信研究所 研究グループ・リーダ (10年間)。1996年パシフィック・コミュニケーションズ・リサーチ社長。同年ユニデン専務取締役。1997年ユニデン代表取締役社長。1998年ハワイ大学 Affiliate Faculty Member(現在に至る)。1999年Mitsubishi Wireless, Inc.上級副社長。2002年テラダイン代表取締役副社長。2001年Omni Wireless, Inc.社長。2006年東北大学電気通信研究所客員教授。2006年独立法人情報通信研究機構(NICT)プログラム・デイレクタ。20

    日本のワイヤレス産業の敗因は、システム技術者の欠如
    akakit
    akakit 2012/06/27
    「スマートフォンに日本製部品が4割近く使われているという調査結果がありましたが、10数年前の携帯電話機では8割でした。凋落も甚だしい」
  • 快進撃・アップル社支える「日の丸工場」の底力【2】

    売上高の約7割がアップル社向け 大阪・池田市に社を構える銭屋アルミニウム製作所は、その名の通り自動車やIT関連のアルミ製品が主力。リストに掲載された企業の中でも売上高に占めるアップル社の比率が約7割(民間調査会社調べ)と格段に高い。アップル社の快進撃に牽引され、11年9月期の売上高は162億円と、2期前に比べ7割増で過去最高となった。取材については「すべてお断りしています」と慎重だ。金属加工業界に詳しい人によれば、 銭屋アルミニウム製作所。社名の由来は、江戸末期の鎖国体制下で米露や香港とひそかに交易したという豪商、銭屋五兵衛。グループ会社のつくる浮標・標識灯は独壇場だ。鍋づくりの特殊な技術を生かし、自動車や電車の部品を手がける。 「戦前、創業者が堺市で個人商店を立ち上げたのが始まり。アルミ製の鍋ややかんなどの大手だったが、IT関連製品などのビジネスに移行。パソコンやデジタルカメラの金属ケ

    快進撃・アップル社支える「日の丸工場」の底力【2】
  • asahi.com(朝日新聞社):消された国内初飛行? 100年前、公式記録の13日前 - 社会

    代々木で公式飛行を終えた日野大尉とグラーデ機日野熊蔵大尉  1910(明治43)年に国内で初めて飛行機が飛んでから今年で100年。公式記録では初飛行は同年12月19日とされるが、実際は「12月6日だったのではないか」と当時の新聞の記録から航空ジャーナリストが唱えている。  陸軍などの記録によれば、国内初飛行は1910年12月19日。東京の代々木練兵場で、徳川好敏(よしとし)大尉がフランス製の「アンリ・ファルマン機」で最高高度約70メートル、距離約3キロ、次いで日野熊蔵(ひの・くまぞう)大尉がドイツ製の「ハンス・グラーデ機」で高度45メートル、距離約1キロ飛行したとされる。  だが、航空ジャーナリスト協会副会長の帆足(ほあし)孝治さんは、国内初の飛行は「12月6日ではないか」と指摘する。  7日付の国民新聞によると、12月6日午前9時ごろ、東京・中野の陸軍気球隊で、整備の際に日野大尉がグラー

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