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ブックマーク / yskszk.hatenadiary.org (98)

  • pêle-mêle -気難しいラーメン屋

    オレはむかしは「何かのネタになるかも」と思ってメーラーに「SPAM」というフォルダを作り、きちんとコレクションしていた。しかし5年くらい前から馬鹿馬鹿しくなって、ろくに文も読まずに機械的に削除するようになった。しかし今日届いた「自費出版したので・・・」というサブジェクトのメールは、つい真面目に読んでしまった。もっともメールの文は出版のことなど関係なく、「人い放題」とか何とか、そんなことしか書かれていなかったのだが。 しかし「自費出版したので・・・」というのは、受信者の劣情をそそるにはあまりにも不向きなサブジェクトである。メールを送信した相手はオレが出版関係者だと知っており、「これなら興味を持つだろう」とでも考えたのだろうか。しかしSPAMメールは相手の職業や年齢、さらには性別にすら関係なく無差別的に送られるものであり、「緻密なマーケティング」とはそもそも縁がない。オレは出会い系

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    another 2007/08/31
  • 「へんな右翼が出て来たと思ったよ」 - pêle-mêle

    何でも見てやろう (講談社文庫) 作者: 小田実出版社/メーカー: 講談社発売日: 1979/07/11メディア: 文庫購入: 7人 クリック: 107回この商品を含むブログ (68件) を見る追悼記念というわけではないが、「これくらいは読んでおいたほうがいいだろう」と読み始める。440ページ中、180ページまで読み進む。まずはこの紀行文が1959年から1960年にかけての旅を記したことに驚く。すると大岡昇平の『ザルツブルクの小枝』(これが大岡作品でいちばん好きかもしれない)とほぼ同時期ということになる。もっとあとの時代の体験記だと思い込んでいた。アメリカの政府や財団の留学生制度を利用した点も同じである。 それにしては『何でも見てやろう』が描くアメリカ、ヨーロッパと『ザルツブルクの小枝』が描くそれではだいぶ肌合いが異なるが、これは文学者としての資質よりもむしろ、年齢差のためだと想像する。4

    「へんな右翼が出て来たと思ったよ」 - pêle-mêle
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    another 2007/08/27
  • pêle-mêle - 原文、読んでる?

    昨日の日記のコメント欄でanotherさんは理系の学生は語学に興味が薄く、また英語至上主義が徹底しているので、「英語に似てるから」という消極的な理由で第二外国語にドイツ語を選ぶことが多いと述べていた。この時点でオレはどうにも悩んでしまう。理系では「論文を原文で読む」という習慣が重視されていないのだろうか。 文学・哲学研究では「お前、ちゃんと原文で読んでるのか?」がひとつの殺し文句になっている。この時点で原文を読んでいない者は「負けました」と頭を下げて投了するしかないのだが、理系ではどうなのだろうか。 たとえば理学部数学科に籍を置いてポワンカレについて格的に研究したい者なら、当然ながらフランス語を学び、ポワンカレの論文を原文で読むものだとオレは勝手に想像している。もしここで「理系の学問は普遍的・客観的なのだから、原文がどの国の言葉で書かれていても関係ない」と言われたら、オレは「あらゆる言語

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    another 2007/08/23
    ↓確かに、「教科書」は「レビュー論文」の方が適切でした >copyrightさん。
  • ドイツ文学科凋落に関する私見 - pêle-mêle

    yomoyomoさんはてなダイアリーのコメント欄で論とは関係の薄い話を続けるのも気が引けるので、こちらに場を移す。 ドイツ文学にかぎらず外国文学研究なんてのはどの大学でも不人気学科になっていると思うが、ドイツ文学科の凋落ぶりはあまりにも極端すぎる。オレの交友関係にかぎっても、ドイツ語ドイツ文学に関する専門的な教育を受けた者はどうにも見当たらない。むかしは大学生たるもの、専攻を問わずにドイツ語を学び、ドイツ文化に触れ、学生俗語としてドイツ語を多用したが(いまでも生き残っているのは「アルバイト」くらいか)、いまではそうした過去を想像するのさえ難しくなっている。なぜこんなことになったのか。思うに第二次世界大戦とそれに続く冷戦構造のせいではないか。 大学や大学院に進んでまで外国文学研究を専攻するには、その国の文化に対する憧れや好奇心がある程度は必要になるだろう。しかし冷戦時代のドイツというと

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  • pêle-mêle - サヨ、カスラック、マスゴミ批判で一丁上がり!

    1984年当時の大塚英志は「当のライバルは浅田彰」だと思いつつもエロのコラムを書くという、いささか屈折した毎日を送っていた。そんなある日、彼はミニコミ誌に吉隆明に関する(おそらくは批判的な)文章を発表する。なぜそんなことをしたかといえば、吉を茶化す文章を奇妙に喜ぶ出版関係者が少なくないのを知っていたからだ。大塚のこの戦略は功を奏し、蓮實重彦と小林信彦から言及される。その後、思想関係の文章の依頼が陸続と舞い込むというもっとも期待していたことは起こらなかったが、それでも何となく彼らと同等になった気分になったそうである(以上、高田理惠子『グロテスクな教養』より)。 いまさらこんな古い時代(オレにとっては少しも「古い時代」ではないのだが、いまの現役の大学生には、60年安保と同じくらい「古い時代」に思えるのだろう)の話を紹介するのは、こうした光景は昨今のネット界隈でも見られるからだ。たとえば

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    another 2007/08/18
    「あわよくばアルファブロガーから……」に違和感。別に彼らはどこかへ取り入ろうとして書いているのではないと思う。
  • pêle-mêle - 漫画はブルジョワジーの愉しみ?

    バカでも描けるまんが教室―新條まゆの(裏)まんが入門 (フラワーコミックススペシャル) 作者: 新條まゆ,飯塚裕之出版社/メーカー: 小学館発売日: 2007/07/26メディア: コミック購入: 6人 クリック: 103回この商品を含むブログ (32件) を見る東山魁夷に憧れて日画家を目指すも、借金苦が原因で父親が失踪して美大進学を断念、地元の中学校の校務員になるが、それでも「絵を描いて生活したい」という夢を捨て切れずに漫画家になった女性のサクセス・ストーリー。なんて書くと昭和30年代前半の話のようだが、平成の物語である。タイトルは『サルでも描けるまんが教室』のパロディーみたいだが、漫画を描くための小道具から漫画を「漫画らしく」見せるためのテクニック、「業界」のマナーや仕組みまで紹介されており、実用性は「サルまん」よりも上かも。 個人的に面白かったのは、自分の方向性が定まらずに悩んでい

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    another 2007/08/11
  • 1989年1月7日に流れた音楽 - pêle-mêle

    大学生のとき、オレが図書館にこもってむかしの新聞の縮刷版を読むのを趣味にしていたのは以前も書いたが、一度だけ呆れ果てつつも吹き出しそうになったことがある。それは1989年1月7日夕刊のテレビ欄である。この日が昭和天皇(いや、この時点では大行天皇か)の命日で、テレビでは娯楽番組やCMが放送されなかったのは有名だろう。それでは何が放送されたかというと、バッハ「ロ短調ミサ曲」、マーラー「第九交響曲」、ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」の「愛の死」といったところである。長い曲が多いのは、スイッチングが面倒くさいという怠惰が理由だろう。 この選曲は素晴らしい。素晴らしすぎる。敬虔なプロテスタントが作ったミサ曲や、世俗的な理由からユダヤ教からカトリックに鞍替えした男の遺作は、かつては国家神道の担い手とされ、戦後もキリスト教を嫌っていた(らしい)人物の追悼音楽として、まるでふさわしくない。「トリスタンと

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    another 2007/08/10
  • pe^le-me^le - 小沢健二の尊師化?

    先月の15日に小沢健二が日社会臨床学会*1で学習会を開いたのを思い出し、そのときの反応をネットで検索する。学会側からの口止めでもあったのか、これといったレポートは上がっていない。しかし何となく「嫌な感じ」のするページを発見する。 毎月の環境学会〜『うさぎ!』と『毎日の環境学 Ecology of Everyday Life』 http://homepage2.nifty.com/ozakit/ecologyofeverydaylife.html 月報にゲスト寄稿しているのが、かつて『Quick Japan』で小沢健二に関する妄想(批評にあらず。オレの書いているものだって大差ないが。ポピュラー音楽を論じるのにふさわしい語彙と方法論を、オレはいまだに獲得していない)を書き散らしていた連中ばかりではないか。 併設されている掲示板(閑散としている)やmixiのコミュニティを読んでも、何やら小沢健

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    another 2007/08/09
  • 抑圧しない学校なんてあるものか - pêle-mêle

    滝山コミューン一九七四 作者: 原武史出版社/メーカー: 講談社発売日: 2007/05/19メディア: 単行購入: 12人 クリック: 287回この商品を含むブログ (175件) を見る吉田アミ『サマースプリング』のサブテクストとして読み始めたのに、こちらのほうを先に読了してしまった。申し訳ない。 ここで舞台になっているのは、1970年代中盤の東久留米市立第七小学校。内容については、北田暁大による優れた書評があるので、そちらをご覧あれ。 http://book.asahi.com/review/TKY200706120184.html このでは日教組や全生研が中心となったきわめて「民主的」な学校運営(「水道方式」「学級集団づくり」)が、原少年にとっては抑圧でしかなかったのを、歴史学者らしい手付きで描いている。 といってもこれは単純な「日教組・戦後民主主義批判書」ではない。むしろオレは

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    another 2007/08/05
  • pêle-mêle - テンノーヘーカバンザイ

    「蟻の兵隊」をようやく観る。敗戦後も上官の命令で中国山西省で戦闘行為を続けたが、「自主的に」残留したと見なされたため、政府から戦後補償を受けられずにいる元日兵たちを描いたドキュメンタリー。娯楽性は皆無だが、まったく退屈せず。主人公の性格がエキセントリックではない「ゆきゆきて、神軍」、という比較は安易すぎるか。id:Apeman:20061227:p1のコメント欄でも指摘されているが、死んだ兵士は手厚く弔うのに、生き残った兵士にはつくづく冷淡なのだな、日国政府は。DVDが市販されたら、「お届け先」を首相官邸にしてアマゾンで買ってやる。 主人公が中国マスコミの取材に対して、「(立派な兵士になるための)『教育』として、中国人を殺したことがある」と答えたときの表情が印象に残る。悔恨の念に満ちているわけでもなく、かといって開き直るわけでもなく、事実を事実として語る静けさ。特定のイデオロギーに回収

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    another 2007/08/02
  • pêle-mêle - 田中雄二『電子音楽イン・ジャパン』レビュー。

    仕事のために、まったく新刊を読む気がしない今日このごろ。そんなわけで仕事の参考資料として大いに役に立っている参考文献を、アサマシ(懐かしい言葉だな)く列挙する。 わが音楽わが人生 作者: 柴田南雄出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1995/10/29メディア: 単行この商品を含むブログ (6件) を見る電子音楽イン・ジャパン―1955~1981 作者: 田中雄二出版社/メーカー: アスキー発売日: 1998/09メディア: 単行購入: 1人 クリック: 9回この商品を含むブログ (2件) を見る ここまで書いたところで、かつて『電子音楽イン・ジャパン』のレビューを書いたことがあるのを思い出した。このにはいろいろな改訂版があるが、オレがレビューしたのは初版となる。執筆されのは1999年12月。厳選館というオンライン書店のために書いたものである。つうか何をこんなに熱くなっていたのだろ

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    another 2007/07/15
  • 幸福な作家 - pêle-mêle

    上はジャズの菊地成孔(1963年生)から下はライトノベル作家のヤマグチノボル(1972年)あたりまでを大雑把に「ツツイ世代」と呼びたい。彼らが書いていた(いる)ウェブ日記を読むと、筒井康隆の文体からの影響があからさまだからだ。そして雑誌のインタビューなどで実際に「若いころは筒井ファンだった」と発言していて、「やっぱりそうだったのか」とちょっとにやりとしてしまう。この世代のサブカルチャー系知識人に彼が与えた影響の大きさは、もっと検討されるべきだろう。 そしてオレが筒井康隆を「幸福な作家」だと思うのは、作風をどんどん先鋭化させ、「お前ら、これに付いてこられるか」とファンを挑発したことだ。これは「自分の小説は中学生が読んで、あとは『卒業』されるものだ」という諦念とともに、作品の完成度を上げるためではなく、時代遅れになった言い回しを修正するために自作を改訂しながら生きてきた星新一に較べると、はるか

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    another 2007/07/14
  • Traduttore, traditore? - pêle-mêle

    最初にことわっておくが、"Traduttore, traditore"は「翻訳家は裏切り者」という、それなりに有名なイタリア語の成句である。それなりに有名だから見出しに使っただけで、オレの文章を外国語に訳したひとを裏切り者だと非難したいわけではない。 オレが「ボンズ〜ル」というパリで配布されているフリーペーパーで漫画評を書いているのは過去に何度か告知したが、連載第1回ではひぐちアサの『おおきく振りかぶって』を取り上げた。そしてさきおとといの話の続きになるが、どうやらフランス人は外国語の文章を翻訳するときに原文に忠実かどうかよりも、フランス語として美しいかどうかを重視するようだ。 かような次第でこの漫画評のフランス語訳を自分自身で翻訳しなおすという、いささか倒錯的なことを試みた。 まずはオレが書いた原文を掲げる。 野球は日では非常に親しまれているスポーツである。とりわけ毎年春と夏に開催され

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    another 2007/07/06
  • pele-mele - 固有名詞の発音なんぞはどうでもいい

    以前、「ロラン・バルト(Roland Barthes)は当はロラン・バルトゥスと、最後の子音まで発音するのが正しい」と『現代思想』か何かで読んだことがある。たしかバルトは南仏出身で、南仏系の固有名詞は最後の子音まで発音するケースが多いはずだ*1。それにむかしラジオのフランス語講座で、フランス語ネイティヴの女性が、「ジュール・ミシュレについてなら、バルトゥスという現代のエクリヴァンが優れたを書いています」と語ったのを聞いたことがある。 これが気になってフランス在住の知人に問い合わせたところ、「フランス人は固有名詞の発音にはあまりこだわらない」という返答があった。要するにバルトだろうがバルトゥスだろうがどちらでもかまわないし(実際、「バルト」でちゃんと通じたそうだ)、おそらくはストラスブール(Strasbourg)をシュトラスブルクとドイツ語風に発音しても、通じるし咎められることもないだろ

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    another 2007/07/04
    あとは「正しい表記」へのこだわりとかね。最初の段落に小うるさい注釈がついてるWikipediaの記事はうんざりするほど多い。
  • 師弟関係の変容 - pêle-mêle

    NHK教育のETV特集で菊地成孔がマイルス・デイヴィスを語るという、オレを狙い撃ちにしているとかしか思えない番組をやっていたので観てしまう。これまでどんな解説書や入門書を読んでも理解できなかったモード・ジャズの革新性がようやく判る。このひとはやはり説明上手だ。東大での講義が人気を呼ぶのもむべなるかな。 そしてマイルスの生涯をたどりながら、ジャズには辛うじて残っていたのにロックからは失われたのは直接的な師弟関係かもな、と思う。たとえばマイルスはチャーリー・パーカーに会うのが目的でセントルイスからニューヨークにわたり、ミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせた。そしてパーカーのもとを離れてみずからが「帝王」となったあとは、チック・コリアやハービー・ハンコックといった後進に積極的に活躍の場を与えた。 こうした「直接的な師弟関係」は、ロックにはあるのだろうか。たとえば「ビートルズに影響を受けた

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    another 2007/06/25
    「オープンソース系のプログラマのコミュニティではかえって前近代的な師弟関係が復活していることだ。少なくとも外部からはそのように見える。」異論が多そう。
  • 偏向知識人 - pêle-mêle

    かつてオレがアルバイトしていた会社の同僚に、「偏向知識人」がいた。ちょっと「ネット右翼」的なところがあったが(彼こそがオレがはじめて出会った、「ネット上で右派的な言説を繰り広げる20代の青年」だったのかもしれない。1998年ごろの話である)、それをもってして偏向といいたいのではない。「博学なのになぜか基的なことにかぎって知らず、結果としておかしな結論や思い込みに陥る」という点が、「偏向知識人」なのである。やや大袈裟な譬喩を使うなら、徳川家斉は知っているのに徳川吉宗は知らないとか、リンゴ・スターは知っているのにジョン・レノンは知らないとか、「畜犬談」は読んでいるのに「斜陽」は読んでいない(そんな作品があることさえ知らない)とか、そういう偏向具合なのである。 そんな彼がある日、「文学部では作家の文体模写が正規のカリキュラムとして組み込まれている」と自分のサイトで書いていた。もちろんそんなこと

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    another 2007/06/24
  • pêle-mêle - No more soured sentiment!

    近所の書店をぶらぶらしていたら、下のに出喰わす。 “ポストモダン”とは何だったのか―1983‐2007 (PHP新書) 作者: 上まもる出版社/メーカー: PHP研究所発売日: 2007/05メディア: 新書 クリック: 46回この商品を含むブログ (41件) を見る半年ほど前にニューアカをリアルタイムで知っている世代ならではの悲喜劇を機会があったら書いてみたいと表明したのだが、自分と同い年の未知の書き手がPHPという版元からこのようなを出すとは、まさしく不意打ちというか、「してやられた」としか思えないではないか。 しかもあとがきによれば(アマゾンで「なか見!検索」ができる)、若いころの自分にとっての「文化的なヒーロー」だった坂龍一に対する幻滅(浅田彰的なものから、中沢新一的なものに「転向」したこと)が、書を書く上での大きな動機になっているとか。動機までオレと同じじゃねぇか。 か

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  • いじめの二次被害 - pêle-mêle

    昨日は書くのをためらったことを書く。 オレははてなブックマークを大いに活用しており、便利で有益なウェブサービスだと思っている。ゆえに「はてブ衆愚論」のような記事(こういう記事にかぎって「人気エントリー」になるのが不思議な現象ではあるのだが、これはまた別の話)に出喰わすと、わがことのように腹を立てるのだが、しかしやはり「はてブ衆愚論」に同意したくなることがある。最近であれば、こうした反応だ。 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/national/update/0608/TKY200706070557.html ここでは「ネットに軽い気持ちで投稿することの危険性を呼びかける」という学校側のコメントが、あたかもネット社会に対する無知を示す具体例であるかのように嘲笑されている。 たしかにいじめの被害は深刻な問題だ。しかしそうした動画がネ

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    another 2007/06/12
  • 「自分語り」と「事実」の相克(相克ってほどでもないか) - pêle-mêle

    オレがインターネットを利用するようになってから今日にいたるまでの12年間にわたって疑問に思っているのは、なぜネットでは「自分語り」が嫌われるのか、ということだ。たしかにネットにかぎらず、周囲の都合を考えずに自分のことばかり延々と語っている人間は陶しいものではある。しかしネットにおける「自分語り」バッシングは、あまりにも過剰であるように感じられるのだ。鈴木謙介『ウェブ社会の思想』(ISBN:4140910844)を第5章まで読み進めて、この理由が何となく判ってきた気がしたので、覚え書きとしてメモする。なお以下の文章が鈴木氏のテクストから自説に都合のいい部分を切り張りしただけにすぎない可能性が高いのは明記しておく。もちろん思い切り誤読している可能性も捨て切れない。 鈴木氏は書でネットが普及するにつれて、個人的な「記憶」よりもネット上に蓄積された「記録」のほうが重視されるようになっているのを

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    another 2007/06/09
  • 弱いから打つ! - pêle-mêle

    自分で買うことは滅多にないが、病院の待合室などにあるとつい熟読する雑誌のひとつに「Number」がある(そういう場では、「Number」くらいしか読みたい雑誌がないことが多い)。最近読んだバックナンバーに載っていた、開成高校野球部のレポートが面白かった。開成といえば全国的に有名な名門進学校だが、野球部の実力は低い。そこの監督によれば、「6点取られたら、7点取り返す」というのが勝つためのセオリーなのだそうだ。とても進学校の監督とは思えない大雑把な戦術かと思いきやさにあらず、バントや守備によって堅実にゲームを進めるのは強いチームだからできることで、実力のないチームはひたすら打ちまくるのが最良の手段なのだそうだ。これは東大野球部という、東京六大学野球のなかではやはり弱いチームでプレイした監督人の経験から得られたものだとか。 野球は好きだが野球の技術面に詳しくないオレは、バントに頼るのは姑息で安

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    another 2007/06/06
    「そういう場では、「Number」くらいしか読みたい雑誌がないことが多い」僕も。