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ブックマーク / elmikamino.hatenablog.jp (8)

  • 葦手 - 記憶の彼方へ

    葦手(あしで)を見るたびに、千年も前にこんな「日語のデザイン」がなされていたことに驚く。 伝藤原公任(ふじわらのきんとう)『葦手古今集切』(11世紀中頃、→ 拡大写真) 「の」と「や」の部分を拡大したもの。 「葦手(絵)」について、伝藤原公任の『葦手歌切』を例に挙げながら、永原康史氏はこう書いている。 歌にかかわる文字の中には、絵になってしまったものもある。「葦手」である。「手」は女手などと同様、転じて書体の意味だと考えればよい。草仮名を葦の葉になぞらえたところからその名前がついたという。辞書には戯書きとも文字絵ともあり、「へのへのもへじ」などの文字遊びとの関連も指摘されているが、葦手の明確な説明はむずかしい。歌と文字と絵が一体になったもの、といえばいいだろうか。 葦手をとりいれた絵を「葦手絵」という。和歌や漢詩からとられた文字(葦手)は、水の流れや葦、岩、水鳥などその景の中にひそみ、絵

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    another 2008/12/10
  • 片仮名の呪力、漢字の呪力、アルファベット漢字 - 記憶の彼方へ

    愛を成就せんがための「護符」と周囲に添えられた漢字片仮名交じりの文言。室町末期の『呪詛秘伝書』から(『組版原論』57頁) これは、府川充男氏が、片仮名の持つ呪力を解説する場面で例に挙げた室町末期の写『呪詛秘伝書』からの資料の一部である。府川氏は他にも具体例を挙げ、民俗学者の網野善彦の「片仮名呪力」説も援用しながら、片仮名が来「言葉の呪力」、「音声の呪力」、「口頭の言語」、「音声の言語」と深く結びついているのではないかと推理している(『組版原論』56頁)。 その面白さもさることながら、私は上の護符そのものに目が釘付けになってしまった。「我君と交わるを念ず」と読むとしたら読むのだろう。護符周囲に添えられた漢字片仮名交じりの文言もさることながら、その護符そのものの漢字の結合が強烈な禍々しさを生み出している。この資料は、片仮名の呪力なるものよりも、漢字の呪力のほうを私に強烈に印象づけた。 こう

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    another 2008/03/29
  • 印刷史の盲点 - 記憶の彼方へ

    『印刷史/タイポグラフィの視軸』(asin:4916043820)の「近代日活字史の基礎知識」で、府川充男氏は江戸期の書体に関して当時の身分差別の観点から次のように述べる。 江戸期に、庶民が明朝体の書物を読んだりすることはまずありえませんでした。つまり明朝体は智識階級だけが読む文字だったわけです。(22頁) この一文に関する脚注にはこうある。 庶民の子供が通う手習いで教わる漢字は恐らく数百のオーダーを出なかった。また漢字も行草が基であって、日常読み書きならわす文字は行草プラス仮名が主体であった。草子の類いの紙面に現れる漢字もせいぜい数百、しかも庶民を対象とする書物では漢字にすべて振り仮名が付いていた。対して武士の子弟は三字経、千字文から始まって徹底的な漢字教育を受けた。漢文、漢籍の文字は楷書ないし明朝体であった。武士や僧侶と庶民とでは、<文字生活>に階級的な隔絶があったのである。(2

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    another 2008/03/26
  • mmpoloさんの小さな大発見 - 記憶の彼方へ

    mmpoloさんが街角で面白い発見をなさった。是非ご覧いただきたい。 「不思議な句点の使い方」(『mmpoloの日記』2008-03-20) 一目見て、ピンと来た。早速、府川充男著『印刷史/タイポグラフィの視軸』(asin:4916043820)にあたってみた。句読点が現代のように使われ出したのは明治20年代以降であることは以前調べて知っていた(「明治二十年代、そして」)ので、それ以前だろうと見当をつけて、幕末から大正にかけての新聞をとりあげた章「幕末––大正の新聞紙面と組版意匠の変遷」に掲載された数多くの明治一桁代の新聞紙面の図版を見ていたら、そのなかにあった! 図––二十八『東京日々新聞』第五千二百五十一号第八面(部分)の部分 mmpoloさんが発見なさった「不思議な句点」と同じロジックで使われていることがお分かりだと思う。当時(明治一桁代)まだ句読点を使うスタイルは生まれていない。新

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    another 2008/03/20
  • 明治二十年代、そして - 記憶の彼方へ

    最近二人の専門家から学んだ深く関連する興味深いことが二つある。二つともある重要な意味でウェブやブログにも関係すると感じている。 デザインとはあくまで「情報を公開する技術」である(主に鈴木一誌著『ページと力』から) 今日の日語の文体と組版の直接のルーツは明治二十年代の文藝書にある(主に府川充男著『印刷史/タイポグラフィの視軸』から) ページと力―手わざ、そしてデジタル・デザイン 作者: 鈴木一誌出版社/メーカー: 青土社発売日: 2002/10メディア: 単行購入: 4人 クリック: 19回この商品を含むブログ (24件) を見る 印刷史/タイポグラフィの視軸―府川充男電子聚珍版 作者: 府川充男出版社/メーカー: 実践社発売日: 2005/11メディア: 単行 クリック: 9回この商品を含むブログ (18件) を見る 二人とも印刷物が専門なので、ウェブやブログのことなど念頭にないと思

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    another 2008/03/20
  • 矢印には正規の書体ルールがない:Eric OlsonによるKlavika(2004)の試み - 記憶の彼方へ

    Klavika Klavika, Arrows: All weights, roman styles only. (no italic) 先日、「欧文書体の今を知る」シリーズをメモした。 欧文書体の今を知る、ことの意味 Frutiger*1 そのVol.1 : Klavika(2004) by Eric Olsonでは、「Frutiger(フルティガー)」をこよなく愛するエリック・オルソンが設計したKlavika(2004)が取り上げられていた。興味深かったのは、オルソンは書体のセットに矢印のセットも入れていることだった。 オルソンによれば、 私は矢印のような、正規の書体ルールがない、ユビキタスなシンボルに強い親近感を覚えています。それらは標識の書体セットに含まれていないにも関わらず、おのおの方法で一般的に広く使われています。それらがタイポグラフィパレット上でほとんど忘れられているというこ

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    another 2008/02/25
  • kotorikotorikoさんの真心 - 記憶の彼方へ

    ウェブ進化の荒波を見事にサーフィンしているkotorikotorikoさん(id:kotorikotoriko)が、知らぬまに、また凄いことを始めていた。Yahooはもちろん、Amazonを手玉に取って、現在のウェブを舞台に、何がどこまでできるかを、徹底的に我が儘に(「全僕的に」)追求し始めていた。でも、そうであるからこそ、逆に、kotorikotorikoさんの試みは、よりよい人生を模索する多くの個人にとって色々なヒントに満ちている。 ウェブ進化と言われる変化の一番大事なポイントは、インターネットがようやく個人にとって「使える道具であり環境」になりりつつある、ということだ。その気にさえなれば、そして根性があれば、一人で色んなことをこなしながら、思いも寄らないことが実現できる。どんな思いも寄らないことか?「ア」のつく仕組みでお小遣いを稼ぐことではない。人生を、もしかしたら、世界を変えること

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  • 過去は変えられる - 記憶の彼方へ

    過去の事実からなる世界は不動の固定した記憶ではなく、事実を表す言葉の組み替えや新たな言葉とのつながりによって、いつでも解釈し直され、書き換えられる可変的な記憶である。私がこれまで勧めてきた、日々の体験の記録と追体験の意義は過去の事実からなる世界の記憶を絶えず更新することによってのみ、可能性としての未来が拓けるのだということを身を以て知ることにあった。過去と真摯に向き合うことによってしか、未来は拓けない。事実からなる世界の記憶は言葉による追体験を介して可能性へと開かれる。

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    another 2006/12/10
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