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ブックマーク / tokyocat.hatenadiary.jp (24)

  • Can't Lecture Me Love - 東京永久観光

    この前、マイルスの「モード奏法」をめぐり菊地成孔の名を出したが、この破格の音楽人は、東大教養学部で近現代の音楽史を講じたことでも知られている(大谷能生と2人で)。聴衆を熱狂させたというその講義内容は以下の3冊にまとめられている。 ★憂と官能を教えた学校 asin:4309267807 ★東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・歴史編 asin:4944124198 ★東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・キーワード編 asin:4944124201 このうち『キーワード編』を手にした。 第1章のキーワードは「ブルース」。教室での録音をまるまる書き写したかといった長々しい2段組の文章は、しかしその喋り風のノリに身を任せればぐんぐん進んでいける。そしてほんの数十分後、何の前知識もなかった私が、驚くべきことに、「ブルースとは何か」がわかってしまった! 西洋クラシック音楽

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    another 2009/03/26
    菊地成孔(なるよし)の講義の話。
  • シェ〜 - 東京永久観光

    映画『20世紀少年 第2章』はすぐ見に行ったのだが、2015年東京の都市風景を大俯瞰で眺めさせられ、どこか『ブレード・ランナー』っぽいなと妙に懐かしくおもいつつ、強大な権力機構が徹底支配する近未来には、なぜか「場末のアジア料理は妙に旨そうになる」という法則に思い当たった。ブレード・ランナーでは屋台のうどん(*あれはうどんではないらしいが)、20世紀少年第2章ではカンナが働く歌舞伎町の中華料理屋。 そんなこともあって、きのう金曜の夜は、渋谷センター街の人混みをかきわけ、上海堂へ久しぶりに行った。新メニューも充実。チンゲンサイ炒めとエビチリをかけたチャーハン(600円)をべる。緑、赤、黄。大盛り。べつに頼まなくても最初から大盛り。 参照http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20080426#p1 * 『20世紀少年』の主人公たちは1960年の生まれ。彼らが10歳前後

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    another 2009/02/21
  • 日本沈没というか日本蒸発 - 東京永久観光

    映画『日沈没』の昔のやつをみたら、藤岡弘の顔がまるきり劇画だったのでおかしかった。長髪、眉と目、鼻筋、分厚い口といずれもデフォルメが過ぎる。他の俳優陣と一緒にいると、ほんとに一人だけ濃い。大友克洋のコミック作品に力石徹か花形満がまちがって入り込んだみたいなのだ。 ご存じのとおり大仰なストーリーでもあり、そのためかどうか、総理大臣役の丹波哲郎や科学者役の小林桂樹はもとより、他の人物もキャラがいちいち際だっている。車椅子で登場し手は震えすぐ咳き込む謎の資産家老人なんてのも、いかにも漫画だ。若きいしだあゆみも出てくるが、ほとんどバービー人形。さらに、竹内均(ニュートン初代編集長)が登場し、政府首脳を前にマントル対流説を講義しだしたのにはびっくりしたが、先生のあの口調、眼鏡、仕草は、実在の人にしてかつ「まんがアニメ的リアリズム」ではないか! 丹波哲郎といえば、少し前に映画『砂の器』もみた。やは

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    another 2008/10/25
  • もうすぐ四十郎、五十郎、六十郎、七十郎の方々へ主に - 東京永久観光

    何回見れば気がすむのかと思いつつ、『椿三十郎』を見てしまう。NHKの黒澤明特集。そのあとネットに戻り、そういえばリメイク版の『椿三十郎』もあったっけと気づく。 三船敏郎と織田裕二。「よりによってなぜ」と思う私の感覚に、客観公正な根拠はない。1962年のあの三船敏郎が案外「いけ好かないやつ」と一部大衆には感じられていなかったともかぎらない。いつしか織田裕二が伝説的名優として平成史に刻まれないともかぎらない。 しかし、たとえば昭和に生まれ昭和を十分生きた人にとって、『椿三十郎』といったらこの『椿三十郎』しかありえないだろう。 古い映画は、理の当然として、生涯に見る回数が新しい映画に比べて多くなりやすい。そしてまた理の当然として、「懐かしい」という思いは古い映画にしかもてない。古ければ古いほど「懐かしく思い出す」回数は今後も増えていくだろう。老いた三船敏郎を見ることができ、かつ若い三船敏郎も映画

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    another 2008/05/04
  • 近頃の島国では - 東京永久観光

    ドイツやチェコ、オーストリアなどの中央ヨーロッパは、地続きなのであり、第二次大戦、東西冷戦、壁崩壊といったいずれも異様な出来事を反映するかたちで、人々の移動と融合は大いに進み、現在に至っているようだ。 浦沢直樹の一大傑作『MONSTER』全18巻をやっと読み、感想は多々あるが、そんなこともふと思った。asin:4091836518 戦争においてドイツがヨーロッパで果たしたのと同じ役割をアジアでは日が果たしたはず。だがそれにしては、今の日は均質性があまりにも高く感じられる。20世紀アジア史の影なんてものがすっかり消えて見えない。『MONSTER』の主人公天馬の前に次から次へと現れる登場人物の越境性にワクワクさせられつつ、それに比べ日ってのはやっぱり島国なんだと気づいた次第。 さてその一方、映画『ラスト・エンペラー』を久しぶりにDVDで見た(ASIN:B0001CSB80) ベルトリッチ

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    another 2008/04/04
  • ドミソのイロハ - 東京永久観光

    たとえば「ハッピーバースデー・トゥー・ユー♪」のメロディーは耳になじみやすくハミングもしやすい。ところがこのメロディーの音符を上下逆さにしたり後ろから演奏したらどうなるか。とても聞けないし口ずさめない。世界には様々な音楽が存在するというが、実際にはさほど多様ではない。調性を完全になくした12音階という人工的な音楽も、きわめて聞きづらく、それをよく聞いて育った子どもだからといって、そのような音楽で心がくつろぐようになるわけではない。要するに、我々は誰でも、いいかんじの音楽とそうでない音楽とが直観的に区別できるのだ。でも、それは何故なんだろう・・・ みたいなことが『心のパターン』(レイ・ジャッケンドフ)というに書いてある(上記は引用ではない)。そしてジャッケンドフは、それは「普遍音楽文法」が根底にあるからだと考える。asin:4000053868 ジャッケンドフはチョムスキーの流れをくむ言語

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    another 2008/03/23
    「普遍音楽文法」。チョムスキーの普遍文法の音楽版。
  • …ってことは、この世がすべて幻だと思えたら、怒りは消えるのか? - 東京猫の散歩と昼寝   

    我々が笑うとき、それが架空の話でも笑う。漫才とかジョークとか、むしろ空想のバカ話として笑うことが義かもしれない。ところが、怒りは違うのではないか。自分の日常であれテレビのニュースであれ、ムカっとくるときそこには必ず事実がある。怒りを向ける人物や状況が実在する。 漫才はもともと怒りを誘うものではないが、たとえば小説映画でどれほど怒るべき出来事が生じても、鑑賞している我々が気で怒るということは、ないように思うのだ。 夢でシミュレーションするといいかもしれない。 たとえば山崎努が私の上司で私をいびってばかりいる。むかむかする。でもやがて目がさめる。なんだ夢か。そうするともう腹立たしくはない。では、夢で山崎努がバナナの皮ですべってころんだらどうか。大いに笑う。そしてまた目がさめる。でもこんどは思い出しても同じように笑える。すべってころんだのがウルトラマンであってもツチノコであってもだ。実在の

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    another 2008/01/16
  • 集英社新書はなぜ買ってしまうのか?(東京猫の散歩と昼寝)

    新書はまずタイトルに引きつけられる。おなじみだが「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」「い逃げされてもバイトは雇うな」 この2つはなんといっても上手い。新興勢力のひとつ集英社新書。「王様は裸だと言った子供はその後どうなったか」 これはさすがにやりすぎ。 「タイトルは縦書きにして長くせよ」 新潮新書もさらりとセンスがいい。「バカの壁」「人は見た目が9割」「とてつもない日」「黒いスイス」「いつまでもデブと思うなよ」 それにひきかえ、老舗の中公新書はどうしてこう地味なんだろう。光り輝く他の新書たちに並ぶとまるで地模様のように沈んでしまう。「わが社は中身で勝負する」? 「心の起源」(中公新書)。これまた旧ソ連の国営ショップに置いてあったパンかとおもうほど味気ない。「生物学からの挑戦」とバターが添えられても、なかなか手に取る気が起きない。 ところがこの『心の起源』(木下清一郎)は、私にとって決

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    another 2007/09/09
  • 教祖的 - 東京永久観光

    CNETに『鈴木健の天命反転生活日記』 http://blog.japan.cnet.com/suzukiken/a/2007/05/natural_intelligence.html そのタイトルからして、なんだか新しい宗教が出てきたかのよう。 おお! この正月に『Inter Communication』で読んだ記事が掲載されている! 参照:http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20070101#p1 * 「存在と表現の融合 -ライフログについて-」 http://blog.japan.cnet.com/suzukiken/a/2007/07/post.html 存在と表現の2分類というのがすこぶる目を引いた。 《存在(presentation)とは、人間がそこにいるだけで発している情報だとしましょう。 表現/表象(representation)は、なんらかの認知

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    another 2007/09/09
  • やぶれかぶれの国情? - 東京永久観光

    原爆で得した日人(美濃口 坦)http://www.yorozubp.com/0708/070816.htm これは実に考えさせられる考察。 私もまた久間騒動に遭遇したからこそ、たとえばこんなふうな知見を拾い出すこともできた。だからまあ「しょうがない発言だった(真意は分からないが)」、私は得をした、とも言える。 まず以下の奇妙な心情を知らされて、驚く。 「日ごろ平和論者であった者も、戦争に厭ききっていた者も、すべて被爆この方俄然豹変して徹底的抗戦論者になっている。そこへ降伏ときたのだからおさまるはずがない。すべてを失い裸一貫。これ以上なくなることはない。破れかぶれだ」(広島逓信病院・院長蜂谷道彦「ヒロシマ日記」より) さて、ここから進んで行く美濃口坦の論はなかなか複雑。またのちほど。ちなみに「美濃口たん」と呼ぶとへんに親しみが持てる。 (以下追加) この論は、《同じ国民ながら被爆するとい

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    another 2007/08/17
  • 東京猫の散歩と昼寝■年金の長いトンネルを抜けると選挙であった

    『日語に主語はいらない』というがある(金谷武洋 2002)。いくらか反感も買っているらしいが、読むとまさに目から鱗が落ちる。我らが言葉の正体もしくは極意を初めて掴んだ感じがする。asin:4062582309 英語の5文型というのはしつこく習ったから知っているだろう。ところが日語の文型を問われたら「はて」と首をかしげてしまうのではないか。まあ異常と言うべし。でも実は日語にも「名詞文・形容詞文・動詞文」という3文型がある。外国人の日語学習では一般的であり、実際みごとに合理的な分類になっている。 その3文型の例として、金谷がまず挙げるのが以下。 「赤ん坊だ」「愛らしい」「泣いた」 そうこれは文である。我々はこのような日語をよく使う。これで不足はない。そしてたしかにここに主語はない。これぞ日語の基というわけだ。もちろん上記は、「ポストに入っていたのは赤ん坊だ」とか「酔った勢いで書

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  • 言語の起源と進化(ズバリその話)+α+β - 東京永久観光

    シリーズ進化学第5巻『ヒトの進化』(岩波)というに、「言語の起源と進化」という章がある。筆者は理化学研究所の岡ノ谷一夫さん。asin:400006925X 以下それを読んでの覚え書き(原文の正確な引用ではないので注意) 言語の起原。それは考えれば考えるほど不可解なので、珍妙な説がいくらでも出てきてしまう。そんなことから、かつてパリ言語学協会というところは「言語の起原についての論文は、もう受け付けませんから!」と禁止宣言までしたらしい。1866年の話。 封印されたそのテーマがやっと復活するのは1990年代。スティーブン・ピンカーの研究がその契機だった。そのとき一般向けに著したのが、有名な『言語を生みだす能』なのだそうだ。asin:4140017406 そんなことを枕にしつつ、言語の起原と進化という謎が、さていかなる原理によってなら問えるのか、実際どんな方法で問われているのかを、整理し提示

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    another 2007/06/16
  • 東京猫の散歩と昼寝 - 言葉でコミュニケーションできるとはかぎらない

    そういえば、『ククーシュカ』というロシア映画をDVDでこのまえ見た。asin:B000HXE3I0 第二次大戦中にソ連がフィンランド侵攻した頃の話。そのフィンランド辺境で、ラップ人の若い未亡人が住む田舎屋に、いろいろあって前線から逃れてきたフィンランド兵そしてソ連兵がそれぞれ同時にかくまってもらう形になる。おもしろいのは、3人とも別の言語なので会話がまったく通じないこと。兵隊はもちろん敵同士であり、おまけにソ連兵はある理由からフィンランド兵をナチスドイツの一員だと誤解している。ラップ人女性をめぐる三角関係と嫉妬もわきあがる。彼女の死生観は現代人とちょっとずれたところもあったりする。 『山の焚火』というスイス映画をむかし見たが、たしか聾唖の弟に姉ひとりがつきそう場面がずっと続くので、台詞がほとんどなかった。「静謐」とはこの作品にこそ当てはめるべき言葉というかんじ。 それから、新藤兼人監督の『

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    another 2007/03/18
  • 飛散の悲惨 - 東京永久観光

    花粉がついにやってきた(証拠) http://d.hatena.ne.jp/keywordstats/%b2%d6%ca%b4%be%c9

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    another 2007/02/24
  • 言語について素朴に考える(1) - 東京永久観光

    人間以外の動物は言葉をもたない、という主張がある。このときは、動物も様々な交信を行うけれど、それは我々の言語活動とは質がまったく異なる、とみなしていることになる。 動物の交信の例には、あるサルが様々な叫び声をあげて様々な敵の到来を仲間に知らせる、ミツバチのダンスが蜜のありかを示す、イルカが自分の名に当たる特定の鳴き声を発する、などが挙げられる。もっと身近に、うちのポチは「ご飯だよ」と言うと「ご飯だ」と分かってやってきます、というのもある。 これらは言語と同等ではないんだろうか。「ある何かが別の何かを表している」という図式は共通していると思えるのに。違うとしたらどこが違うのだ。 こういうことがずっともやもやしていたのだが、今回『ヒトはいかにして人となったか』(テレンス・W・ディーコン)というを読み、とうとうひとつクリアになった。asin:4788506718 一言でいえばこうだ。 動物の交

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    another 2007/01/11
  • 東京猫の散歩と昼寝 小説の人間原理 ~ 佐藤友哉「1000の小説とバックベアード」

    高橋源一郎のインタビュー(文藝06年夏号 聞き手=柴田元幸)に関して、もう少し。 インタビューの最後のほうで、高橋源一郎は、「近代文学あるいは小説が終った後には何が来るのか」という問いを発端にして、小説というジャンル自体への無条件の信頼を改めて表明している。 《小説というものは、言語芸術におけるいちばん新しい存在、ニューフェースですよね。だから、言語を使った、何か新しい芸術形式が生まれ、それが新しいジャンルとして成立し、みんないいということになって、小説がお役御免になっても、それはそれでいいんじゃないかというふうに思うんです。しかし、そのようなジャンルXの存在を僕は想像できません。なぜなら「小説」というものの最大の特徴は「人間」が、そこに登場することで、そして「小説」以上に「人間」というものを説明できる手段を我々は持っていないからです》 《…小説は、等身大の人間が出てきて何かを行なうという

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    another 2006/12/11
  • 高橋源一郎のボケとツッコミ - 東京永久観光

    高橋源一郎の小説。あれはつまりボケだ。正しいツッコミが誰にも思いつけない困ったボケ。それを目指してボケを徹底して磨き抜いたのかもしれない。ただ最近は、ボケをむしろ緩く鈍くすることでツッコミをよろよろと回避する大リーグボール3号のごとき戦略とも受けとれる。 では、高橋源一郎の評論(とされる文章)はどうか。たとえば『文学界』の連載「ニッポンの小説」。これまたボケが手を変え品を変え延々続く。いったいどうなるんだ、と思いきや、最後にはきっちりツッコミが入って落とし前がつく。さすが評論だ。(小説のボケはボケ自体によって落とし前はついているのだろうが) というわけで、当は、高橋小説のボケに対して、あるいは高橋評論のうちでもおそらく自身でもツッコミせず放っておいてあるボケ部分に対してこそ、ぜひツッコミたいのだが、それは非力で難しい。だから、高橋源一郎の自らのボケに対する自らのツッコミという、非常に限定

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    another 2006/12/09
  • 世界には頂上と裾野がある - 東京永久観光

    世界史を履修しない高校生が少なくないことが、このあいだ発覚したわけだが、とても意外だった。われわれは生涯にさまざまな知識を積み上げていくけれど、世界史はその基盤としてどうみても必須と思えるからだ。人類が歩んできた道のりの全体を、すぐには覚えきれないにしても、端から端まで一挙に眺め渡してみること。それをしたことがないというのは、世界地図をまだ見たことがありませんというのに等しい気がする。 ‥‥と胸を張るほど、しかし、世界史に詳しいわけではまったくない。そんなことで、思い立ってその高校世界史の教科書を一冊買ってきた。山川出版社の『詳説世界史』。これは私が高校2年で与えられた教科書の現在形でもある。今も面影ありあり。大いに懐かしくもある。 おなじみのメソポタミア、ギリシャ、ローマときて、インドの古代文明がそれに続く。そうしてマウリア王朝の「チャンドラグプタ王」という人名がゴチックで出てきた。ああ

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    another 2006/11/30
  • 昭和史のスタンダード? - 東京永久観光

    「国連安保理が北朝鮮制裁決議」「北朝鮮は完全拒否」というニュース。ふとそっくりな歴史に思い当たる。1933年、日の満州支配を非難する決議を採択した国際連盟の総会で、かの松岡洋右は堂々と反論文を読み上げ、「さよなら」と叫んで退席したという。日はそのまま国際連盟を脱退。 世界中から顰蹙を買っていながらよくまあそんな態度で。北朝鮮に対する呆れた気分によって、当時の日をめぐる国際的な空気が分かるのかもしれない。一方、現在の控えめな外交とは正反対の日があったことが、なんとも不思議ではある。 ちょうど、半藤一利『昭和史 1926-1945』(ASIN:4582454305) を読んでいたので、余計そんなことを考えた。 この、読み進んでいくうちにどんどんハマっていく。それと歩を合わせ、日という国がまた、あれよあれよと戦争の深みにハマっていく。 日戦争について基歴史くらいは押さえておか

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    another 2006/10/23
  • もやもや顔とくっきり顔 - 東京永久観光

    ブログをよく知っている人の顔を初めて(これまたネット上だが)知るという体験をした。 ある人について声をまず電話で認識するということは仕事などで多い。しかし電話しながらその人の顔をさしたる根拠もなく漠然と思い浮かべている。後で実際会うと想像とはずいぶん違っている。私の場合だけだろうか、そういうことはとても多い。それが面白い。 まだ声しか聞いていないのに、いかなる仕組みでその顔が思い浮かぶのだろう。見た記憶のある顔と見た記憶のない顔では、思い浮かべる機構は同じではない気がする。だったらその時当に「顔を思い浮かべていた」と言えるのだろうか。 さらに面白いのは、実際の顔を見てしまうと、会う前に声とともにモヤモヤ漂っていた「顔もどき」は即座に消え去ってしまうことだ。「顔もどき」はもう思い出せず、その正体ももはや追求しようがない。 同じ話。中学生くらいから世界地図を見ていて中国とソ連の間にひたすら茶

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    another 2006/09/27