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人生に関するarajinのブックマーク (1,727)

  • 熟年円満離婚をしてわかったこと

    熟年円満離婚をした。 結婚生活は22年5ヶ月。 子供にも恵まれ、1番下が成人になったのを見届けて決行した。 離婚計画を立て始めたのは11年前。そこからフルタイムで働き続け、国家資格を取得してこの日に向かって着々と進めてきた。 思い返すと総じて幸せだったと思うので、主人にはとても感謝している。 ここまでいいといい嫁の役割を全うしたと自負しているので、我が結婚人生に一片の悔いなし。 主人は仕事人間でほとんど家にいなかった。結婚生活で主人と顔を突き合わせて対話した時間は1ヶ月にも満たなかったと思う。 ただ私たちは職場結婚だったので、身を粉にして働き人望の厚い主人を尊敬し愛していたので、家にいないことは想定内だしどうでもよかった。 ではなぜ離婚することにしたのか。 それを紐解いてみようと思う。 その1 主人がいなくても困ることがなく、いることでメリットを感じることもなかった。 私は子供の頃から何

    熟年円満離婚をしてわかったこと
  • 私がガンパレードマーチの「発言力」から学んだこと - シロクマの屑籠

    blog.tinect.jp リンク先の記事は、2000年の傑作ゲーム『ガンパレードマーチ』の「発言力」システムをお題にしたものです。「発言力(信頼)は溜めるだけではなく、投資してナンボ。投資してますます発言力を獲得しよう」という主旨は、社会適応の王道だと思われます。 リンク先を書いたしんざきさんは、 それでも、「発言力 = 信頼を投資して、更に信頼や評価を稼ぐ」というサイクル、「発言力 = 信頼を稼げば稼ぐ程更に稼ぎやすくなる」というバランスについては、実生活でも応用出来る部分が大でして、あーやっぱこのゲームよく出来てたんだなーと感じ入った次第なわけです。人生で大事なことは全てゲームで学んだ。 と書いています。ゲーミフィケートされた視点で世の中を眺め直すと実生活に直結したインスピレーションが得られがちですが、『ガンパレードマーチ』の「発言力」システムはその典型といえるでしょう。 ところが

    私がガンパレードマーチの「発言力」から学んだこと - シロクマの屑籠
    arajin
    arajin 2025/04/04
    「発言力(信頼)は稼げば稼ぐほど稼ぎやすい。とはいえ発言力(信頼)が乏しい状態では投資が難しい。まずは与えられた職務を地味にこなして、いつか本当に発言力を使わなければならない時に備えて貯蓄しておくべきだ」
  • アジコさんからマッチョだと言われてしまった件について - シロクマの屑籠

    普通でない人生で普通になりたい人と、人生ゲーム化する人と - orangestarの雑記 3月の終わりから4月にかけ、気温の変化が急激で風邪をひいてしまいました。こうなると難しいことは考えられないし、難しいを読み進めることもできない。こんな時にできるのは、日記の練習ぐらいかなと思ったので、少し前にいただいた手紙に返信したいと思っています。 過日、アジコさんは私を以下のように評しました。 ただし、これはかなりマッチョな生き方だ。マッチョですよ。普通の(また普通って言った!)人にはちょっと難しいし、こんな人ばかりになったら、社会は万人による万人のための万人の闘争になってしまう。 シロクマ先生の場合、人生の早い段階で、レールから外れる出来事があって(どこかにかブログに書いてあったと思う)それは今の基準からしたら大したことではないけれども、昭和で、しかも田舎であるならそれはかなり大きい人生

    アジコさんからマッチョだと言われてしまった件について - シロクマの屑籠
    arajin
    arajin 2025/04/04
    「新しいゲームに出会うたび、効率厨になっていった件」
  • 糸柳とドワンゴの話

    https://anond.hatelabo.jp/20250105165945 上の記事を読んで、ドワンゴの中の人として糸柳で思い出したこと、彼を雇ったドワンゴがどんな会社だったのかを書いてみようと思う。 糸柳を雇ったのは、ドワンゴのエンジニアのトップだったS君だ。ここでは鉄男(仮名)と呼ぶことにする。 糸柳を雇う少し前、僕は鉄男を叱責したことがある。「お前は自分の使いやすい人間しか採用してない。だからてめえは小物なんだ。自分にない能力をもった奴を採用しろ」みたいなことを言った。 鉄男は中卒だ。そう、ドワンゴのエンジニアのトップは中卒だった。いや、鉄男だけでなく、ドワンゴの幹部エンジニアの半分以上は中卒、あるいは高卒だった。 これは当たり前で、当時のドワンゴは天才エンジニアみたいなやつがゴロゴロいる職場だった。同じ天才エンジニアなら、高校も大学も行かずにずっとプログラミングをやっている中

    糸柳とドワンゴの話
    arajin
    arajin 2025/01/14
    「世の中の多くの失敗者と呼ばれる人たちは人生の最初からウルトラハードモードのゲームをプレイしているだけであって、彼らの失敗をイージーモードやノーマルモードのゲームプレイヤーが見下したり笑ったりする資」
  • 死んだ糸柳の話

    失踪した糸柳から遺書が届いて、それからしばらくして警察から連絡が来たらしい。死ぬ前の彼とは疎遠になっていたのでその時期のことは伝聞でしか知らなかったが、色々と(そして過去の彼の行動とはまた違った形で)顰蹙を買っていたとよく聞いていた。 死ぬ何年か前の彼は誰から見てもおかしくなっていると言えるような状態で、仕事も上手くいってなかったと話していた。ドワンゴ時代の成功体験と山の話とRubyコミッターの話をしていたが、何回も何回も同じ話をしていた。彼のコミュニケーションの方法は彼の得意な話題に変更し、そして彼の長いターンが始まり、その後こちらが一言入れるというものだが、それにしてもこちらの話を聞いているというポーズすら晩年は取らなくなっていた。彼のそのスタイルが通用するのは彼を知っている人間に対してであり、何も知らない若者からすると典型的な老害のように写っただろう。実際にそう言われている場面を何度

    死んだ糸柳の話
    arajin
    arajin 2025/01/14
    糸柳和法氏の話
  • 2度と行きたく無いところ

    (追記) ばあちゃんが迎えに来てくれたのは「孫が児童養護施設にいるなんて近所の人に知られたら恥ずかしい」からです。孫が閉め出されるなんて恥ずかしいから家に入れてくれたし、娘が孫を殴ってるのがバレたら恥ずかしいから1番奥の部屋で躾けるように言ってました。 この頃かなり記憶が曖昧で1週間か1ヶ月で出られた気がするんだけどその間学校は欠席してました。一時保護施設だったのかな。 親は精神病院に入院しましたが殴らなくなっただけで虐待を正当化するモラハラマシーンになって帰ってきました。 今は家を出て幸せです。 (編) ぶっちぎりで児童養護施設。 いやもうお世話になるどころか子供がいてもおかしく無い歳なんだけど。 でもたまーに思い出すんよな。 めちゃくちゃ高い生垣、狭い中庭、錆びた滑り台、二重扉、反省室、ぼろぼろのブロック、壁びっしり描かれた「脱走したい」の文字、数年前のジャンプ、同世代の部屋が空いて

    2度と行きたく無いところ
    arajin
    arajin 2024/12/06
    「児童養護施設。めちゃくちゃ高い生垣、狭い中庭、錆びた滑り台、二重扉、反省室、ぼろぼろのブロック、壁びっしり描かれた「脱走したい」の文字、数年前のジャンプ、」精神病院チック。
  • 独身中年男性、狂ってきたので今のうちに書き残しておく

    独身中年は狂う説、少し前まで自分には関係無いと思っていた。 ところが自分にもその波が来てしまった。もう全てが手遅れだが、正気と体力が残っているうちに書き残す。 せめて同じ轍を踏む人が一人でも減ることを祈る。 スペック35歳、166㎝、63kg 年収500万(賞与無し、固定残業45、1000人ぐらいのJTCで役職付の事務職) 資産 現金と株と投資信託合わせて400万ぐらい。 加齢による衰えは狂う前兆加齢による衰えは、最初はほとんど気にならないレベルで、しかしある日突然重くのしかかってくる。 30代前半までは何ともなかった体が、中年になると自分を裏切り始める。 ・体力の低下 40時間、50時間とこなしていた残業が、急に辛くなってくる。 満員電車1時間に耐えられなくなってくる。 睡眠時間がどれだけあっても足りなくなる。 とにもかくにも疲れやすくなってしまい、そして回復しなくなる。体はずっと疲れた

    独身中年男性、狂ってきたので今のうちに書き残しておく
  • イギリス議会 「安楽死」法案が賛成多数で可決 成立に向け前進 | NHK

    イギリス議会で、終末期の患者が死を選ぶ権利を認める法案が賛成多数で可決され、成立に向けて前進しました。欧米では安楽死を法制化する動きが相次いでいますが、高齢者などが死を選ぶことにつながるおそれがあるとして、反対の声も上がっています。 この法案は、イギリスのイングランドとウェールズで、余命6か月未満と診断された成人が医師2人と裁判官の承認を得た上で、薬物の投与などによって死を選ぶ権利を認めるとするもので、議員立法の形で提出されました。 29日、議会下院で行われた採決の結果、賛成が330、反対が275の賛成多数で法案は可決され、成立に向けて前進しました。 成立には、2回目の採決を経て上院での審議を通過する必要があります。 イギリスでは、2015年に同じような法案が議会で否決されましたが、今回、世論調査で法案を支持すると回答した人は7割以上に上っています。 欧米では、終末期の患者は苦痛に耐え続け

    イギリス議会 「安楽死」法案が賛成多数で可決 成立に向け前進 | NHK
    arajin
    arajin 2024/11/30
    “この法案は、イギリスのイングランドとウェールズで、余命6か月未満と診断された成人が医師2人と裁判官の承認を得た上で、薬物の投与などによって死を選ぶ権利を認める” 余命6ヶ月ぐらいの診断って信頼度低そう。
  • 港南のタワマンを買って、人生が救われた

    去年、港区の港南地区の築古のタワマンを買った。30代前半で独身だもんで、頭金出すのにほぼ全財産はたいて、これからほぼ死ぬまでローンだ。港南で古いタワマンなんて数えるほどしかないから、わかる人にはバレバレだろうけど。底辺サラリーマンが強引に背伸びした感じ。 普通なら「独身のうちから身の丈の合わないローン組むとか正気か」って話なんだよな。ただ、俺はそれで人生が救われているとしか思えないんだ。 2年前から会社との関係が最悪。ジョブ型雇用なのに、ある日突然「君の能力を活かせる場所があるから」とか意味不明な理由で、まったく関係ない部署に飛ばされた。教育?サポート?そんなもんあるわけない。1年半くらい必死にやってみたけど、当然ポンコツ扱い。自分でもわかるほどなんもわからない。とはいえ、頑張ってるのに「まだまだだね」とか言われ続けてさ。なんなんだよ。 深夜や土日といった空いた時間は酒飲みながら勉強してる

    港南のタワマンを買って、人生が救われた
  • どこに出掛けても自分の居場所はここじゃないってような疎外感を覚える。 ..

    どこに出掛けても自分の居場所はここじゃないってような疎外感を覚える。 でも部屋で一人籠もってても悶々とした気持ちが募る。この気持ちをぶつけようとギター弾いてみても文章に起こしてみても、こんな事してる場合だろうかって気持ちにってくる。 人生なんて楽しい気持ちを拾い集めるだけって、散々時間をかけてとっくに結論は出したのに。 こうしてる場合じゃなかったらどうしてる場合なんだよ。 高給取りになるための資格勉強でもするか?結婚相手でも探してみるか? そういう世間のお墨付きがついたような生き方が、それでも魅力的に思えなくて趣味に軸足置こうって決めたんじゃないのか? こびりついた義務感が拭えねえのか。 それを説明する言葉に何の理屈も通ってはなくとも、結局人の収束する先は同じなのか。 まともになりたいとも思ってねえのに、ならなくちゃならねえと感じてんのか?なってどうする? そこから見える景色もそこで感じる

    どこに出掛けても自分の居場所はここじゃないってような疎外感を覚える。 ..
    arajin
    arajin 2024/10/14
    答えになるかわからないけど『暇と退屈の倫理学』 (新潮文庫)が思い浮かんだので書いておく。
  • 人間よ、楽器を習うとよい - nomolkのブログ

    ギターを習っている。習い始めたときにもブログを書いていて、いま見たら2021年の8月だったので、ちょうど3年ほど経ったことになる。 先週、発表会(教室主催の演奏会)があり、初めてステージで楽器を演奏した。生徒の成果発表会なのでたくさん観客が入るイベントではないけど、そこで演奏した2曲はいずれも「いつか上達したら弾けるようになりたい」と思っていた曲で、自分のギター歴としてはひとつのマイルストーンになった。このへんでいちど思いのたけを書き残しておきたい。 youtu.be これはギターを始めた頃からずっといつか弾きたいと思っていた、アントニオ・カルロス・ジョビンの「Felicidade」。まだまだヨレたりモタつくところがあるが、ずっと先の目標だと思っていた曲に意外に早くたどり着けたことが感慨深い。 楽器を習うとよい 語ると長くなりそうな思いもいろいろあるのだけど、まずはシンプルなメッセージを置

    人間よ、楽器を習うとよい - nomolkのブログ
    arajin
    arajin 2024/09/20
    ギターかピアノで迷っている。
  • 日常にやりがいを見いだせず、暗くなってしまった夫への接し方がわからない49歳女性に、鴻上尚史が贈った2つの「幸せの作り方」とは | AERA dot. (アエラドット)

    鴻上尚史さん(撮影/写真映像部・小山幸佑) この記事の写真をすべて見る 役者だった夫が、引退後の働くだけの日常にやりがいを見いだせず、暗くなってしまったと話す49歳女性。女性自身も夫にどう言葉をかけるべきなのかわからなくなってしまったという。そんな女性に、鴻上尚史が贈る、2つの「幸せの作り方」とは *  *  * 【相談232】 俳優をやめた夫が、家のローンを払うためだけに働く毎日にやりがいを見いだせなくなり、暗くなってしまいました。どうしたら夫に光を取り戻せるでしょうか(49歳 女性 トランス) 鴻上尚史さま初めてご相談させていただきます。 49 歳、毎日パートをしている主婦です。子どもはおりません。夫と2 人で生きております。 私は、10年前まで、役者でした。役者さんの多くがそうであるように、私も完全なる役者バカでした。役者のみで生活はできませんでしたが、それでもたくさんの舞台に立たせ

    日常にやりがいを見いだせず、暗くなってしまった夫への接し方がわからない49歳女性に、鴻上尚史が贈った2つの「幸せの作り方」とは | AERA dot. (アエラドット)
    arajin
    arajin 2024/09/11
    「悩むことと考えることを区別する」
  • 宮崎駿が38歳で監督デビューした時の鬼畜エピソードクソワロタwwwww : 哲学ニュースnwk

    2024年08月23日07:45 宮崎駿が38歳で監督デビューした時の鬼畜エピソードクソワロタwwwww Tweet 1: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2020/11/29(日) 04:09:07.136 ID:k7quoMIg0 大塚っていうパヤオの先輩が映画版ルパンの監督をやることになったんだが 鈴木清順の書いた脚がゴミ過ぎて大塚がパヤオに「監督なんかやりたくねえよ」と電話した そしたらパヤオが「じゃあオレがかわりにやるわ」と立候補 パヤオはその日のうちに手伝っていた高畑の赤毛のアンの仕事を辞職(メインスタッフなのに)して(高畑は激怒)会社も辞めて大塚のスタジオに移籍した つづく 2: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2020/11/29(日) 04:10:44.028 ID:k7quoMIg0 大塚のスタジオに移籍してくるときにパヤオは丹内司っていうのち

    宮崎駿が38歳で監督デビューした時の鬼畜エピソードクソワロタwwwww : 哲学ニュースnwk
  • 20年来の付き合いがある友人が音信不通になった。

    小学校のころから数えて20年以上の交流がある友人が音信不通になった。 俺は男で、友人も男。小中高と同じ学校に通い、大学からは流石に離れたが、それでも連絡は取りあい、年に数度は二人で飲みに行ったり旅行に行ったりと仲の良い付き合いを続けてきた。 その彼が今年初めにぷっつりと連絡を絶った。 と、こう書くとなんか重大そうな話に見えなくもないが、実際そんなに気に病んだり心配しているわけではない。もし死んでたら墓参りには行かなきゃな、とは思っている。 それでもわざわざこんな文章を書いているのは、やっぱり多少なりもやもやした気持ちがあり、それを吐き出したいと思っているからだ。 なぜここに吐き出すのかというと、他に適切な場所がないし言える人もいないから。 ここなら何を書いても匿名だし読むのもコメントするのも全員匿名の無責任なカス共なので気楽だ。吐き出すにはちょうどいい。 実は友人が(死んだのでなければ)音

    20年来の付き合いがある友人が音信不通になった。
    arajin
    arajin 2024/08/15
    “金の事なんて気にせず友人を続けてほしかった。「俺に貸すのが悪いわ。諦めな」とか何とか言って今年も一緒に酒を飲んでほしかった。”
  • 再任用を拒否された

    はてなブックマーカー三巨頭のダイダラボッチさんと、ブクマカの良心であるミヤウチさんからコメントをいただきました。 望外のしあわせです。あの世に行ったら自慢しようと思います。ありがとうございました😊 (以下文です) ---------------------------------------------------------- 私は62才である。とある地方都市で、公務員として約36年働いてきた。生まれ故郷だ。 地元、そう、当に地元だ。保育所から高等学校まで、ずっと地元である。(地元にある大学で行きたい)大学はなかったので、大阪府内に進学することになったのだが。 それから民間で三年ほど働いて、地元の市役所の採用試験を受けて入庁した。 いいことも嫌なこともたくさんあった。思い出深い職場である。時間が過ぎるのはあっという間だった。 ずっと土木建築の仕事をしてきた。道路造りに、水道に、都市

    再任用を拒否された
  • 夫が他界して半年が経った

    子どもがおらず、ふたりとも働いていたので(もっとも最後の2年くらい夫は働けていなかったが)、なんとなく私たちは独立した個人で、ただ好きあっているので一緒にいるだけなのだとどこかで思っていた。一緒にいることもあれば、お互いの趣味友人についてそこまで深入りすることもなく、それはとても理想的だと思っていた。 それがひとりぼっちになった途端、足もとかおぼつかなくなっている。私個人の外側に置いているとばかり思っていた夫は、ずいぶん私の中に入りこんでいたらしい。夫という一部を失った私は、自分の輪郭が分からなくなった。どうして毎朝起きるんだっけ。何で毎日べるものを考えて作ってご飯をべてるんだっけ。今、立っている場所が、地面が揺れている。何で仕事に行って、なんで休みの日に休むんだっけ。お金を稼いでも、休みがあっても何にもすることはないのに。なんで夫は死んで、私は生きているんだっけ。 確かにあった肉体

    夫が他界して半年が経った
  • 伯母が他界した

    実家に行ったら遺影じみたものが置かれていたので、父に聞いたら「ああ、10日ぐらい前に」とサラリと言われた。葬式とかやらないの?てかなんで私に連絡が来ないの?と思ったが、父と伯母の兄妹は、互いが寡黙な性格で連絡を取り合わないような希薄すぎる関係性だったから別に違和感はなかった。私も冷たい人間だからなのかもしれない。 伯母はずっと独身だった。伯母は実家で祖母と暮らしていて、私は数回しか会ったことがない。実家に家族で行ってもただ黙ってお茶を出すぐらいの人だったので彼女の性格はよくわかっていなかった。子どもとしても少し不気味で、祖母の家に行くのは気が進まなかった。祖母は20年ほど前に他界し、それからは一人暮らしをしていたと聞く。 様子が変わったのは10年ぐらい前。深夜、突然伯母が我が家にやってきたのだ。「ごめんくださーい」みたいな感じで。相変わらず無表情だったけれど、目の焦点があっていないような。

    伯母が他界した
  • 父が亡くなった

    どこに書いていいのかわからんので増田に書いておこうと思う。 今朝父が亡くなった。朝8時過ぎぐらいに病院から電話がきて、母と弟を連れて病院に着いたのは9時過ぎぐらい。その時点で既に心臓が止まっていた。 蘇生処置は行わないとしていたため、私たちの到着後すぐに死亡確認となった。眠っているような顔で、それでも体は少し冷たくなりかけていた。 昨日お見舞いに行った際にはこちらの声や周りの音は聞こえている様子だったが、喋ることはできず時折うめいているような状況だった。ここ数日は痛み止めの薬がかなりキマっており、夢と現実の間を反復横跳びしているように見えた。私たちがお見舞いに行ったときには、白目を剥きかけながら現実に戻ってこようと頑張ってくれていたように思う。 父の病状は基的には容赦なく悪化して行ったが、その進行にはある程度の時間がかかったと言うのが唯一慈悲深かったところだと思う。3年近くの時間を稼ぐこ

    父が亡くなった
    arajin
    arajin 2024/07/08
    葬式の記録
  • 30年近く同居している祖母に精神疾患があると知った日

    10年以上冷戦状態だった父親と喧嘩した。ら、タイトル通りのことを知ることになった。今後振り返ったときに実際に起こったことだけを認識できるよう残しとく。ただの喧嘩の記録。 当然だけど、精神疾患に対する批判や偏見の話ではないことだけは記しておく。不快になる方がいたら当にごめんなさい。 喧嘩のきっかけは、30年近く続く父方の祖母の被害妄想と暴言が、ここ数年痴呆が進んだことでさらにひどくなり、毎日のように「10年間の生活費の1000万と盗んだ着物を返せ」と母に言うようになったこと。また、ここ1週間は、「〇〇(私)がメル◯リで私の着物を売ったからないんだ」と独り言を言うようになっていた。 同居して30年近く経つのになぜか期間はいつも10年間で、金額が日によって300万になったり700万になったり、そもそも生活費を出していたのは父なのになぜ母に言うのか、着物に至っては祖母が着ているのを誰も見たことが

    30年近く同居している祖母に精神疾患があると知った日
    arajin
    arajin 2024/07/08
    毒親事例。
  • 1999年夏、彼女の生涯最後の小説が、僕を。 - Everything you've ever Dreamed

    七月になれば、きっとまた僕は、彼女の生涯最後の小説を読んだ、あの夏の夜を思い出してしまうだろう。一九九九年の七月、25歳の僕は、駅に直結したビルにある書店の文庫コーナーで彼女と再会した。彼女は二つ上の先輩で、会うのは数年ぶりだった。社交辞令のつもりで連絡先を交換した。数日後、ショートメールが届いた。「原稿用紙四枚の短編を書いてきて。私も書くから」学生時代、僕と先輩は競うように掌編を書いていた。僕らは自分たちに大きな才能がないことに気がつかないふりをして遊んでいた。僕が先輩の好きなディケンズの「大いなる遺産」を「退屈」とこき下ろすと彼女は気で怒った。「あなたに『大いなる遺産』が書けるの?」と。僕が「書けるけど書かない」というと彼女は笑った。挑戦的な笑みだった。その頃、僕は文章を書いていなかった。才能がないのは分かり切っていたから、人に読ませてもバカにされるだけのゴミを書く気分にはなれなかっ

    1999年夏、彼女の生涯最後の小説が、僕を。 - Everything you've ever Dreamed