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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (3)

  • 寺田寅彦 学位について

    「学位売買事件」というあまり目出度(めでた)からぬ名前の事件が新聞社会欄の賑(にぎ)やかで無味な空虚の中に振り播(ま)かれた胡椒(こしょう)のごとく世間の耳目を刺戟した。正確な事実は審判の日を待たなければ判明しない。 学位などというものがあるからこんな騒ぎがもち上がる。だからそんなものを一切なくした方がよいという人がある。これは涜職者(とくしょくしゃ)を出すから小学校長を全廃せよ、腐った牛肉で中毒する人があるから牛肉をうなというような議論ではないかと思われる。 こんな事件が起るよりずっと以前から「博士濫造」という言葉が流行していた。誰が云い出した言葉か知れないが、こういう言葉は誰かが言い出すときっと流行するという性質をはじめから具有した言葉である。それは、既に博士である人達にとっても、また自分で博士になることに関心をもたない一般世人にとっても耳に入りやすい口触わりの好い言葉だからである。

  • 寺田寅彦 科学者とあたま

    私に親しいある老科学者がある日私に次のようなことを語って聞かせた。 「科学者になるには『あたま』がよくなくてはいけない」これは普通世人の口にする一つの命題である。これはある意味ではほんとうだと思われる。しかし、一方でまた「科学者はあたまが悪くなくてはいけない」という命題も、ある意味ではやはりほんとうである。そうしてこの後のほうの命題は、それを指摘し解説する人が比較的に少数である。 この一見相反する二つの命題は実は一つのものの互いに対立し共存する二つの半面を表現するものである。この見かけ上のパラドックスは、実は「あたま」という言葉の内容に関する定義の曖昧(あいまい)不鮮明から生まれることはもちろんである。 論理の連鎖のただ一つの輪をも取り失わないように、また混乱の中に部分と全体との関係を見失わないようにするためには、正確でかつ緻密(ちみつ)な頭脳を要する。紛糾した可能性の岐路に立ったときに、

  • 泉鏡花 愛と婚姻

    媒妁人(なかうど)先(ま)づいふめでたしと、舅姑(きうこ)またいふめでたしと、親類等皆いふめでたしと、知己(ちき)朋友(ほういう)皆いふめでたしと、渠等(かれら)は欣々然(きん/\ぜん)として新夫婦の婚姻を祝す、婚礼果してめでたきか。 小説に於(お)ける男女の主客が婚礼は最(いと)めでたし。何(なん)となれば渠等の行路難は皆合(がふきん)の事ある以前既に経過し去りて、自来無事悠々(いう/\)の間(あひだ)に平和なる歳月を送ればなり。 然(しか)れども斯(かく)の如(ごと)きはたゞ一部、一篇、一局部の話柄(わへい)に留(とゞ)まるのみ。其実(そのじつ)一般の婦人が忌むべく、恐るべき人生観は、婚姻以前にあらずして、其以後にあるものなりとす。 渠等が慈愛なる父母の掌中を出(い)でて、其身を致(いた)す、舅姑はいかむ。夫はいかむ。小姑(こじうと)はいかむ。すべての関係者はいかむ。はた社会はいかむ。

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