![横浜 みなとみらいロープウェイの夜を撮る](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/dba4162b699306dbf4c37e6f59e109bc527036d9/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.watch.impress.co.jp%2Fimg%2Fipw%2Flist%2F1321%2F919%2Fyac_020.jpg)
履修の登録期間真っ只中、アクセスが集中したことでメンテナンスに入った筑波大学の授業データベース「KdB」。同大の学生たちから不満の声が上がる中、その代替ツールである「KdBもどき」を3時間半程度で作ったとして大学内外から注目された筑波大の1年生、いなにわうどんさん(和田優斗さん)が再び注目を集めている。同システムが“大学公認”になったためだ。 和田さんが開発したKdBもどきを公認ツールとした理由は「システムとして優れたものであるため」という。在学生が開発したことも考慮し、内部の会議を経て公認に至った。和田さんが在籍する情報メディア創成学類内であれば、学生だけでなく教員の利用も呼び掛けている。現在、同学類の公式ページで、KdBもどきのURLを和田さんの名前とともに掲示している。 学生が開発したものを大学が認めるのはよくあることなのか。「前例ではありませんが、類似している例としては本学在学中の
実際、KdB(もどき)の公開を告知するツイートには「有能すぎる」「感謝しきれてもしきれない。同門生として誇りに思う」「むちゃくちゃ助かります!」など筑波大の在学生から称賛の声が多数上がっている他、政府CIO補佐官の楠正憲さんも「どんどん優秀な子たちが出てきていて、彼らが活躍できる世の中を作れるかは僕ら大人の責任」とツイートするなど学外でも反響を呼んでいる。 そんな注目を集める、いなにわうどんさんはどんな人物なのか。本人に話を聞いてみた。 3時間半で作成した「KdB(もどき)」 いなにわうどんさんがKdB(もどき)を開発したきっかけは、「(KdBのメンテナンスで)履修科目を紙媒体で探さなければいけなくなったため」という。筑波大で開講中の授業数は7000以上。Twitterでも他の学生から不満の声が噴出していた。KdBの構造を分析し「この程度であれば実装できそうだと判断し、制作に至った」といな
To read in English, please click here. ある日の試合後の記者会見。メディアの人が僕にこんな問いかけをしてきた。 「ガベージタイムで、見事にリバウンドを取りましたが……」 瞬時に僕は語気を強めて反応してしまった。「ガベージタイムなんて、ありません」と。 その場が凍りついたのがわかった。その記者さんに、決して悪気はなかったはずだ。得点差がついてしまい勝敗の行方が決まった後の、残り1分、2分。実際に、なかなか評価されにくいその時間に良いプレーをした、好意的な記事を書くための質問だった。それでも僕はそのたったひとつの言葉を、どうしても看過することができなかった……。 1分、1秒も消化時間というものはない。ひとつでも良いプレーを見せて認めてもらわない限り、次の試合に出場できる保証はどこにもない - 渡邊雄太 “ガベージ・タイム”。 直訳すると、ガベージは『ゴミ、
第24回日刊スポーツドラマグランプリの年間投票がこのほど行われ、助演女優賞は二階堂ふみ(26)が受賞した。NHK連続テレビ小説「エール」で窪田正孝演じる主人公を支える妻を好演。歌唱シーンも吹き替えなしで、紅白歌合戦でも見事な歌唱力を披露した。 ◇ ◇ ◇ 1年数カ月、監督やスタッフ、キャストの方々と頑張って作った作品でこのような賞をいただけてうれしく思います。コロナの自粛を経て、見てくださっている方々と一緒に「音」という役、作品を作り上げている実感がありました。今までとは違う、新たな役作りができたと思います。主演の窪田(正孝)さんとは撮影中にいろんなことをお話しさせていただきました。クランクインしてすぐに訪れた豊橋に、最後また窪田さんと戻れたことがすごくいい思い出です。スタッフのみなさんとも長い期間ご一緒して、励まし合いながら、意見を出し合いながら撮影したのが思い出深いです。大変な
第24回日刊スポーツドラマグランプリの年間投票がこのほど行われ、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で明智光秀に討たれた織田信長を演じた染谷将太(28)が助演男優賞を受賞した。 ◇ ◇ ◇ 助演男優賞、誠にありがとうございます。がむしゃらに織田信長を演じ、気づいたらこのような賞を頂けて感無量です。そして、長谷川さん主演男優賞おめでとうございます。2人並べてとてもうれしいです! 長谷川さんとは繊細な光秀と信長の関係性を築きつつ、いろんな意味でも一緒に戦った戦友だと勝手に思っております。ある種肩の荷がおりたような、光秀に討たれることで信長という呪縛から助けられたかのような、そんな本能寺の変になったと思います。信長という人物を通してたくさんの豊かな創造性と人生の美しさを感じることができました。これからの自分の人生に大きな影響を与えてくれたこの役と、共演者、スタッフの皆様に心から感謝しております
地方・盛岡のダートで南部杯を制したかと思えば、次走は芝の天皇賞・秋で、テイエムオペラオー相手に勝利するなど、芝・ダートを問わず国内外で活躍したアグネスデジタルが、種牡馬を引退しました。 17年間、種牡馬として過ごしたのはビッグレッドファーム。種牡馬としては珍しく夜間放牧が行われたり、種付け時にはとある配慮がされていたとか。そこには彼の健康を願う思いが込められていました。 これから十勝軽種馬農業協同組合・種馬場で余生を過ごすアグネスデジタルについての思い出を、ビッグレッドファーム・スタリオン部門主任の木村浩史氏に伺いました。 (取材・構成=大恵陽子) ※このインタビューは電話取材で行いました 夜間放牧でストレス解消していた種牡馬時代 ――稀代のオールラウンダーとして活躍したアグネスデジタルが今年をもって種牡馬を引退とのことですが、ビッグレッドファームに種牡馬入りしたのは2004年1月でした。
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