今朝の朝日新聞で、池澤夏樹氏がアンゲロプロスの追悼文を書いていた。映画評論家のように彼の映画史的意味を探るのではなく、あくまで池澤氏の個人的体験におけるアンゲロプロスをたどっているのが良かった。 「今を見据える力が足りないから、しかたなく視線は過去へ向かう。テオとの出会いを辿りなおす」。文章は「どれだけ思い出を語ればぼくはテオがもういないことを納得できるのだろう」と終わる。何と詩的な文章。日本で公開された12本にすべて字幕をつけ、監督と親しくしてきた作家ならではだ。 それに比べると、その隣にある小池一子氏の石岡瑛子追悼は、どこか表面的に見えてしまう。小説家の達意の文章と比べるのはかわいそうだが。 池澤氏といえば、1月10日付け朝日朝刊の「終わりと始まり」が心に残ったので切り抜いている。それは「人生のある時期から自分に無縁な新しい文化が増えた」という文章で始まる。それは漫画、アニメ、ゲームだ