鸭羹网
17日発売の週刊少年ジャンプ2013年16号で、「重版出来」に「じゅうはんでき」のルビが振られていたことがきっかけとなって、「重版出来」の読み方、慣例が一部で話題になった。 「重版出来」は「じゅうはんしゅったい」が本来の読み方。今回、週刊少年ジャンプの「クロス・マネジ」(KAITO)の冒頭で、「JC『クロス・マネジ』①巻、重版出来ッ!!」の文字に「でき」のルビが振られたことは、読者の間でも誤読ではないかと指摘されていた。 だが、一方で書店員のアカウントなどからは(「しゅったい」が正しいのは承知の上で)、取次や版元の書店営業の人間など含め、現場では「でき」と読む人がほとんどという報告もあり、「重版でき」は「正しくはないものの、現場レベルでは使われる読み」であるようだ。 ただし、編集関係者となるとやはり「でき」は誤読として眉をひそめられるケースが多いようで、「しゅったい」が当たり前という反応が
「できない」を納得してもらうのは難しい。 なぜなら、あらゆる解決策を吟味して潰していかねばならないから。いっぽう「できる」ことを証明するのは簡単だ、解法を一つだけ示せばいいのだから。 たとえば、上司に「できません」と伝えると「できない理由を言え(俺が論破してやる)」と返される。無茶でも「できます」と言うほうが楽である(ただし、納期・コスト・品質そして健康が犠牲になる)。最近では小ずるく言い方を変え、「現実的ではありません」と理由を説明するようになった(これで説明責任が相手に移動する)。ビジネス上のたいていの問題は、カネか時間かで解決するが、常識的な時間内に解決するのは難しい。 ところが、世の中に、いくらカネと時間を注ぎ込んでも解決できない問題がある。荒唐無稽なファンタジーという意味で「できない」というのではなく、数学的な帰結として「できなさ」が証明されている問題である。『不可能、不確定、不
タイトルはやや釣り。既に皆が知っているような事を、ちょっと別な言葉でもう一回書くだけ。 一応最初に自己申告すると、筆者は理系を自負している。 違うのは興味の対象いきなり結論を書くと、これ。 理系は事象や物それ自体に興味を抱き、人間同士の営みについてはあまり興味がないが、文系は基本的に人間中心主義で、人間関係に強く関心を寄せる。 興味というと話が限定的になるので、世界の捉え方と言ってもいいかもしれない。 理系は、まず銀河の中に太陽系がありその中の地球と言う惑星に棲む様々な生物のうちの一つが人間、というように、自然科学的な世界の枠組みの中に人間社会があると考える。物事の本質はそれ自身の持つ法則や性質にあり、人間がそれに与える意味は付随的な物と考える。 一方文系は、まず人間社会がありその中の一団が天文学を発達させ太陽系や銀河の有り方を発見した、というように、人間社会の枠組みの中に様々な知識や発見
世の中を騒がせてますね。素人が専門家にぼろ負けしてるという印象です。問題は素人が権力を持っていること? ウイルス自体が手に入ると良いのですが、どこにもないので、警視庁のページを見てみました(PDFのコピー禁止設定とか、情報提供する気あるのかって思う……)。 資料まとめ iesys.exeに対するコマンド これによると、まずiesys.exeに対するコマンドは下記であるとされています。 ファイルのアップロード、ダウンロードなどに関する命令 cd, del, dl, dltext, send キーロガー、画面キャプチャなどに関する命令 framecnt, kloff, klon, scrcap, scrcap_auto, scrcap_auto_stop 掲示板の設定、アクセスに関する命令 newuser, updatesv, bm, nm iesys.exe自身の動作などに関する命令 res
■憧れ産業とは この場合の憧れ産業とは「あの業界いいな」と憧れられるような業界の事を、揶揄的に刺す。 漫画家、ゲーム開発、アニメ、映画、TV、アイドル。そんなの。 自分は、今はゲームで食ってるが、その昔、漫画で小銭を稼がせて頂いた事がある。 その時編集者さんと話していて印象に残ったお話。 「食えますかねー」 「いやー。食えるか食えないかで言うと食えないけど、仕事は面白いよ」 ということで、漫画は諦めた。面白いだけでは腹は膨れない。 もちろん、自分が才能溢れる若者だったりしたら「お前なら食える!」とか言ってくれたかもしれないけど、才能はかなり足りない方なので。 自分は結局フツーの会社で会社員の仕事をしてから、ゲーム業界に入った。一応会社だから、食えるかなと思った。(甘かった) そんなわけで。 憧れ産業は仕事自体が憧れの対象であるがゆえ、食え無くても就労希望者がやってくるような業種を指す。 ■
吉田光雄 @WORLDJAPAN 最近はアイドルがみんな武道館を目標にするようになってきてますけど、拡大し続けていくことだけを目標にせず、リキッドルーム辺りで定期的にライブをやって地道に活動していくバンドみたいな、そういうそこそこの位置で安定したビジネスをやっていけるようにしていくべきじゃないかと思ってます。 吉田光雄 @WORLDJAPAN 面倒な大人が絡んでこない、自分たちでコントロール出来るレベルの、そこそこの成功というのが成立し得るのかどうかと、そこそこの会場でワンマンをやれても食べれてないようなアイドルを見る度に思います。 吉田光雄 @WORLDJAPAN Negiccoやhy4_4yhを見ればキャリアの長さは武器だと思いますよ。 RT @yukikazemisa アイドルって旬のものだから5年やったらオバサンになって誰からも相手にされなくなっちゃう。それはファンのありようだから
今日、11月23日は勤労感謝の日である。勤労感謝の日は、国民の祝日に関する法律によると、 勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう 日なのだそうである。この制定趣旨の通りに、勤労を尊んだり、生産を祝ったり、国民たがいに感謝するかはともかく、今日が「労働」や「仕事」について考えるよい機会であることは確かだ。そこで今日は、僕が考える「労働」の本質について書きたいと思う。 僕が考える労働の本質はものすごくシンプルだ。それは「自己実現」でも「成長」でも「社会貢献」でもなく、単純に「働いた分のお金をもらう」ことだと思っている。「労務を提供して、それに見合った対価をもらう」という行為が労働の本質であり、絶対に欠けてはならないコアはこれである。他は枝葉であり、あってもなくてもいいと思っている。 この考えに対して「労働」や「仕事」の意味は、お金以外にもある、と反論する人がいるかもしれない。確かに
「リア充」と呼ばれる集団は、よく考えてみると二つのグループに大別できる。 一つは社会的な行動様式を持ち、高所得層に食い込んでいるグループ。いわゆる「体育会系」だ。そしてもう一つは、ヤンキーと呼ばれる社会的アウトローのグループだ。近傍にはギャル・ギャル男・お兄など、やはり低所得〜中間層をボリュームゾーンとする人々が存在している。彼らの違いはどこにあるのだろう。 また近年、オタクのライト化が進んでいるという。数十年前、オタクとは好きなモノを追求する日陰者たちのことだった。しかし最近では、流行りのアイテムに次々に飛びつき、コミュニケーションツールとして深夜アニメを消費する「軽いオタク」が登場しているという。一方、オタク同様に内向的な趣味を持つ人々として、「サブカル」と呼ばれる層が存在している。では、サブカルとライトオタクとの違いは何だろう。 体育会系、ヤンキー、オタク、サブカル。 これらの生活ス
音楽業界はなぜ縮小したか? を文系的に考察する。 「生活必需品としての価値の下落」音楽業界が産業として最も大きくなったのは(最も売上が高かったのは)1990年代半ばから後半にかけてとのことで、その当時ぼくは20代の若者だった。その頃のぼくの気分というものを振り返ると、CDを買って聞いていないと、ちょっと人間関係的にヤバいなぁみたいな雰囲気があった。というのも、一つには「つき合いのカラオケ」というのがあった。ぼくは特段カラオケが好きというわけではなかったが、仕事のつき合いでも、あるいはプライベートの合コンなどでも、カラオケに行く機会はよくあった。だから、そこで歌うための歌を仕込んでおく必要があった。そしてそれは、できれば流行りの歌が良かった。最新ヒットチャートを賑わしている歌を歌えば、周囲の評価が高かったからだ。だから、カラオケで歌うためのヒット曲のCDをよく買った。その頃に買ったのは、猿岩
Thank you for being patient. We are doing some work on the site and will be back shortly.
ようこそゲストさん ブログトップ 記事一覧 ログイン無料ブログ開設 The Red Diptych
VOL.4152019年9月20日(金)発売 「We all have Art. 次代のアジアへ――明滅する芸術(アーツ)」 今号「We all have Art. 次代のアジアへ――明滅する芸術(アーツ)」は、前々号(vol.413)「Flood of Sounds from Asia いまアジアから生まれる音楽」と題した音楽特集、そして前号(vol.414)「Self-Fashioning from Asia あらかじめ決められない流儀(スタイル)へ」と題したファッション特集に続く、アジア三部作の完結編となります。 特集では、ノーベル文学賞作家、ル・クレジオの未翻訳小説『ビトナ、ソウルの空の下』の特別抄録にはじまり、世界的大ヒットを記録している『三体』シリーズを手がける中国SF界の巨匠、劉慈欣(リウ・ツーシン)の自宅インタビュー、さらにここ日本でも注目を集めている韓国の文学/現代詩と社
大好きFX! FXに対して前向きになりたい 「FX必勝法」や、「儲かるFX」「フツーのOLが」などのタイトルがついた本を何冊かめくると、腹が立ってくる。日本の財政状況を家計に置き換えたりと、よくある不安を煽って自分の投資術へと引き込む、悪く言えばバカしか引っかからない手法で文章が続いていく本が気が遠くなるくらい多い。人をだましてまで、お金が欲しいのだろうか。そもそも、なぜ日本の財政を家計に置き換えるのだ。理解が出来ないのだが、 そんなFX必勝法が大嫌いな私が「ローリスクで年率50%」「確実に儲かるFX」というような、身震いがするタイトルが踊る書籍を読んでなるべく専門用語を使わずFX必勝法についてまとめてみた。 個人的なスタンスとしては、投資としてのFXは否定派であるが、食わず嫌いかも知れないと考え、出来るだけ前向きにまとめる。結果、否定的な意見となった場合、私自身趣味でパチンコ(収益は見栄
世の中には二種類の人がいる。「パイを増やす人」と「パイを分ける人」だ。 「パイを増やす人」は、限られた資源しかない場合に、その資源全体を増やして一人ひとりの取り分を多くしようと発想する人だ。一方、「パイを分ける人」は今ある資源を前提として、分けることに集中してしまう人のことである。 例えば、孤島に飛行機が不時着し、100人の人が島に閉じ込められてしまったとしよう。しかし、飛行機に積まれていた非常食は100人分に満たない。ここで「パイを増やす人」は、まずどのように食料全体の量を増やそうか、という方向に考えを進める。島中を探して食べられるものが無いか、新たに食べ物を作り出すことは出来ないか、海に出て魚を取ってくることは出来ないかなど、新しいアイディアや外に出て行くことで量を増やし、足りない問題を解決しようと考える。一方、「パイを分ける人」はとりあえず今ある限られた非常食を、どう100人に分配す
バルスのことなんですけど。 大多数のネットユーザー諸兄はご存知かと思うが、バルスは天空の城ラピュタにおける「滅びの言葉」である。劇中ラストシーンにおいて、家伝の飛行石を手にしたシータとパズーが「バルス!」と叫ぶと、なんか飛行石がやたら光ってムスカさんが目が目が星人になったりラピュタがぶっ壊れたり、色々とエラいことになる。 「バルス=滅びの言葉」という図式の定着度・認知度はWeb上では恐ろしい程であり、ラピュタ放映時には実況板が「バルス!」の書き込みとAAで埋め尽くされるという。 まず考えなくてはいけないのは、このバルスという命令は一体何の為に用意されたAPIなのかということである。 ラピュタは人工物なので、当然設計者や開発者がいた筈である。そして彼らは、管理権限キーっぽい小さな飛行石に、複数のコマンドを用意している。「困った時のおまじない」であるとか、「滅びの言葉」がそれである。飛行石を身
フェリスへの行き帰りの新幹線車中で、下村治『日本は悪くない、悪いのはアメリカだ』(文春文庫)を読む。 先日、平川克美君に勧められて、これと『日本経済成長論』を買った。 下村治は明治生まれの大蔵官僚で、池田勇人のブレーンとして、所得倍増計画と高度成長の政策的基礎づけをした人である。 1987年の本だから、24年前、バブル経済の初期、アメリカがレーガノミックスで「双子の赤字」が膨れあがり、日本では中曾根首相が「国民一人100ドル外貨を消費しよう」と輸出過剰を抑制しようとしていた時代の本である。 24年前に書かれた経済分析の本が、四半世紀を経てなおリーダブルであるということにまず驚かされる。 リーダブルであるのは、(リーマンショックによるアメリカ経済の崩壊を含めて)下村が指摘したとおりに国際経済が推移したからである。 これだけ長い射程で日米経済のありようを見通せたのは、下村のものを見る眼がきちん
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く