前にも触れた事がありますが、池澤さんは私の高校の1年先輩で大学の理科系から文学に転じた人です。近頃世界文学全集全30巻を個人で編集しました。 上記の連載物は全て切り抜いて保存してありますが、やはりエッセイの中に理科的発想が散見されます。そして「キラッと」光る箇所があります。 今回「ツリー・オブ・ライフ」なんて言葉が出て来て、何やら演劇か何かの批評かと思ったら、そうした題の映画の事だそうです。池澤さんはその内容を一通り紹介しています。それによりますと、あまり波乱の見られない作品のようですが、登場する俳優の演技がすばらしいとの事です。途中までは深刻な場面もありますが、最後はハッピー・エンドになっているそうです。 そして話題が変わり、この監督が抱き、掲げた聖書の箇所が引用され、池澤氏もその内容を反芻し、考え込んでいるようです。 それは難解とされる旧約のヨブ記です。主の御前に正しく歩んでいたヨブは
今朝の朝日新聞で、池澤夏樹氏がアンゲロプロスの追悼文を書いていた。映画評論家のように彼の映画史的意味を探るのではなく、あくまで池澤氏の個人的体験におけるアンゲロプロスをたどっているのが良かった。 「今を見据える力が足りないから、しかたなく視線は過去へ向かう。テオとの出会いを辿りなおす」。文章は「どれだけ思い出を語ればぼくはテオがもういないことを納得できるのだろう」と終わる。何と詩的な文章。日本で公開された12本にすべて字幕をつけ、監督と親しくしてきた作家ならではだ。 それに比べると、その隣にある小池一子氏の石岡瑛子追悼は、どこか表面的に見えてしまう。小説家の達意の文章と比べるのはかわいそうだが。 池澤氏といえば、1月10日付け朝日朝刊の「終わりと始まり」が心に残ったので切り抜いている。それは「人生のある時期から自分に無縁な新しい文化が増えた」という文章で始まる。それは漫画、アニメ、ゲームだ
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