タグ

社会と人物に関するatenahのブックマーク (2)

  • メチャクチャにヤバイ就活生・近藤佑子を採用しませんか?

    学歴 2005年:岡山県立岡山城東高等学校卒業 2005年:予備校に入る 2006年:京都大学工学部建築学科に入学 2010年:京都大学を卒業、大学院浪人をする 2011年:東京大学大学院工学系研究科建築学専攻に入学 メチャクチャにヤバイ経歴をもつ近藤佑子を雇う 領域横断的 近藤佑子は一つの性質では掴みきれない。オタク的でありながらリア充、右脳的でありながら左脳的、幼く見えながら大人びている。それは近藤佑子には面白い「人」「モノ」「現象」に興味があり、それを自分に取り込もうとする貪欲さがあるからだ。 プラス思考 おちこんだりもしたけれど、近藤佑子はげんきです。就活がうまくいかなくてこんなサイトをつくるぐらいだから・・・ フットワークが軽い 近藤佑子のフットワークは尋常じゃない。興味を持ったことには(お金と時間の許す限り)その機会を逃さない貪欲さがある。研究室でもいろんなところにフィールドワ

  • TwitLonger — When you talk too much for Twitter

    輪島裕介 2010 『創られた「日の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』 光文社新書 ノート 【第一部】 近代日大衆音楽史を三つに区分 第一期 レコード会社専属制度の時代(昭和初期[20年代後半]~30年代[50年代後半]) 第二期 フリーランス職業作家の時代(昭和40年代[60年代末]~昭和末期[90年代]) 第三期 J-POP以降の時代 演歌=自由民権運動の壮士の演説歌 → 第一期末の演歌士≒流しの芸人たる添田唖蝉坊・知道親子による「創建神話」 第一期あたりでの「演歌」の支配的な説明。 「艶唄」は「演歌」の頽落形態ととらえられる。 【第二部】 第三部において解説される「新左翼知識人」が日の土俗的原型をみた「艶歌・演歌」に 実際には「民謡調」「浪曲調」「流し歌」「やくざ歌」「ムード歌謡」「ナツメロ」といった多様な(かならずしも日土着とはいえない)スタイルの音楽が流れ込んでい

  • 1