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音楽と人物に関するatenahのブックマーク (3)

  • Beats21 - 音楽評論家・中村とうよう氏の投身自殺に寄せて:

    とうようさんが現役バリバリの時に奴隷の一人だった私に言っておられました。亡くなったから「いい人で残念です」みたいな言い草はやめろ、と。 「プロであるなら死んだとしてもきちんと歴史的な評価を加えなくてはならない」とも。 ならば、その御言葉は今、御自身の人生にも当てはめられるべきでしょう。すなわち、とうようさんは、御自分がたいしたことをやってこなかったことを、晩年になって(我々無数の奴隷たちが離れ去った後)、御理解されたのだと私は判断します。たった一人の業績など、ちっぽけなものだという、当たり前のことをです。そして、「とうよう先生!」と媚びへつらう方々は今も何人かはおられるとしても、人はそんな嘘っぱちの権威、かつS&Mな関係に立ってのみ生きてはいけないことにお気づきになれなかった。ずっと、権威の上に居続けようとされておられた。沖縄音楽やラテン音楽の、「俗」の中から生まれ出る素晴らしき大衆性が、

  • TwitLonger — When you talk too much for Twitter

    輪島裕介 2010 『創られた「日の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』 光文社新書 ノート 【第一部】 近代日大衆音楽史を三つに区分 第一期 レコード会社専属制度の時代(昭和初期[20年代後半]~30年代[50年代後半]) 第二期 フリーランス職業作家の時代(昭和40年代[60年代末]~昭和末期[90年代]) 第三期 J-POP以降の時代 演歌=自由民権運動の壮士の演説歌 → 第一期末の演歌士≒流しの芸人たる添田唖蝉坊・知道親子による「創建神話」 第一期あたりでの「演歌」の支配的な説明。 「艶唄」は「演歌」の頽落形態ととらえられる。 【第二部】 第三部において解説される「新左翼知識人」が日の土俗的原型をみた「艶歌・演歌」に 実際には「民謡調」「浪曲調」「流し歌」「やくざ歌」「ムード歌謡」「ナツメロ」といった多様な(かならずしも日土着とはいえない)スタイルの音楽が流れ込んでい

  • 得意なことばかりやってても成長はない - パワープッシュ - ミュージックマガジン - Yahoo!ミュージック

    宇多田ヒカルインタビュー 来年からのアーティスト活動休止を前に、2枚目のシングルコレクション『Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.2』をリリースする宇多田ヒカル。新曲5曲を含むこの作品、そして活動休止の真意について、音で話してくれたインタビューをお届けします。 なんのアナウンスもないまま、活動休止するアーティストもいるなか、宇多田ヒカルの人間活動宣言の誠実なスタンスに感銘を受けた人も多いだろう。もちろん、しばらく彼女の新曲が聴けないのはさびしいが、そこは、シングルコレクションでありつつ、5曲の新曲が光る今回のアルバムを聴いて、いまの宇多田ヒカルを実感してみてはどうだろうか。 宇多田ヒカルが、自身のオフィシャルホームページ上で、「来年からしばらくの間、アーティスト活動をお休みします」と、突然の報告をした。彼女は今年、UTADAとしてアメリカとロンドンでライ

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