知恵が、時に逆説的に思える形で表現されるのは、その方が目立つからだ。 けれど他にも理由がある。 世の困り事が、逆説的と呼ぶに相応しい形を取ることがよくあるのだ。 いや、「問題」という言葉は、逆説的と言いたくなる程こじれた事態を指すのが本当なのかもしれない。 一般化して言えば、そうした場合、解決へ向かう努力自体が問題の一部を構成している。 つまり解決に力を注げば注ぐほど、問題は維持され、ときに余計に手強くなる。 なかなか解決しない問題の多くが、こうした悪循環的なプロセスでもって再生産され維持される。 小さな例をあげよう。 震えは、それを止めようとすればするほど大きくなることがある。 手で握った何かが(たとえば暴れる子が)動かないようにするためには、ぐっと手や腕に力を込めるだろう。 震えている手や足を、動かぬようにつとめる人も同じようにする。 しかし力を込める、すなわち筋肉を緊張させることが、
問題を根本的に解決しようとする場合に用いられてきた「メスを入れる」という比喩は、もちろん外科手術から来たものである。おおよそ、その意味するところは 「悪いところ(患部)を見つけて、取り除く(それには痛みを伴う)」 といったものだが、問題解決について自然に思えるこのアプローチは、実はかなり限界がある。 世の中の解くべき問題の多くは、問題を特定して取り除いたり置き換えたりする「外科手術的介入」では解決しない、あるいはそうした解決が問題の一部になってしまう(そのため解決に取り組めば取り組むほど問題をこじらせる/長引かせる)ことが少なくない。 先の記事 「もがけばもがくほど蟻地獄」状態に陥った時の抜け方、やり方、考え方 読書猿Classic: between / beyond readers では、こうした逆説的な問題に対する、逆説的な解決方略のひとつ「症状処方」を紹介した。 今回はより網羅的に
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