連載第?回 外部のない閉じた静物画の悲しみについて。 (『CUT』2006 年 3 月) 山形浩生 要約: ウルフの世界は何かが起こる世界ではない。すでに存在する完成された世界を、プローブのような登場人物たちが探索する話である。その世界は確かにきわめて美しい。しかしそれはまた、閉じた牢獄の世界でもある。 ふと気がつくと、きみが読んでいた本はまもなく終わろうとしている。何となくきみにはもう、先がわかる。孤島のマッドサイエンティストであるデス博士は死に、魔性の美女は置き去りにされてしまうんだ、と。きみが好きだった登場人物たちはみな死に、あるいは消え、自分から遠いところにいってしまうのだ、と。ページをめくるきみの手が止まる。あんなに楽しかったのに。もう終わってしまうのか。 でもそこでデス博士が出てきて、きみに告げる。そうかもしれないけれど、でも本をまた最初から開けば、みんな戻ってくるんだ、と。寸
(季刊『InterCommunication』2006年夏号) 山形浩生 要約: レムの小説観は非常に狭苦しくとんちんかんであり、おそらくそれはかれの社会性の欠如からきている。レムの作品に一貫するのは人間嫌いと社会の不在であり、それはかれのぶっとんだ小説のおもしろさの源泉であると同時に一つの限界でもある。 しばらく前にぼくは、レムの SF 評論のすさまじい偏狭ぶりを指摘したことがある。 一読して驚かされるのは、レムのSF論の異様なまでの堅苦しさと偏狭さ だ。レムにとって正しいSFの方向性は一つ。種としての人類や社会に科学 や知識や進化がどう影響を与えるか、厳密かつ論理的に検討すること。それ 以外は上っ面だけのまやかしでしかない――。 えー、そんな勝手な基準を勝手に作られましてもねえ。(中略)レムのSF 論は、こうしたピント外れな議論だらけで一般性のかけらもない。[8] この意見はいまも変わ
イスラム国躍進の構造と力 『公研』2014年10月号 「対話」 池内恵 VS 山形浩生 山形:イスラーム国の人たちの言動や行動を見ると、ずいぶんと前近代的で昔に戻ったかのような印象を受けます。その一方で彼らの意識には、中東の民主化への動きとも言える「アラブの春」が大きく関係しているのだと思います。池内さんは今回のイスラーム国の登場と「アラブの春」の関係をどのように捉えていらっしゃいますか。 池内:「アラブの春」が一回りしたことで中東地域に生まれた環境は、イスラーム国にとって非常に都合の良いものになりました。その環境と言うのは、中央政府の揺らぎ、弱体化であり周辺領域の統治の弛緩です。そこに、元来イスラーム国が依拠するイスラーム過激派の戦略論がぴたりと合わさった。9・11テロに対して、アメリカは大規模な対テロ戦争を展開し、イスラーム過激派は軍事的にも情報的にも経済的にも追い詰められました。それ
プラスチック人間たちの勝利 ブルース・スターリング 山形浩生/金沢由子 訳 9月17日。ぼくはプラハのルスカ通りのアパートにある大きな木製の机に向かい、パワーブック180のキーボードを叩いている。革命的文学インテリゲンツィアを大統領に擁する世界唯一の国で、このシリコンの箱に非物質的な電子のことばを叩きこむのは、秘密めいたカフカ的な歓びだ。文学(literatura)、すなわちことばの列は、ここプラハではいまだに意味を持っている。この街については変てこな出鱈目がいろいろと語られてきたが、プラハが文学的な街だという話だけは、まさに核心をついていた。ここは地球上で一番文学的な街だろう。 ルスカ通りにぼくを招いてくれたのは、出版者マルチン・クリマ、そしてその妻でチェコのファンタジー作家のヴィルマ・カドレチュコヴァ。マルチンは、人間のやるべき仕事として小説を出版し、金を稼ぐための仕事として、西側のロ
ホワイトカラー真っ青 White Collars Turn Blue ポール・クルーグマン 山形浩生訳 読者への註。この文は、ニューヨークタイムズ誌の100周年記念特別号のために書かれた。このとき与えられた指示というのは、これがいまからさらに100年後の記念号用の文だと思って、それまでの過去1世紀をふりかえって書いてくれ、というものだった。 過去をふりかえるときには、いろんなことを大目に見るよう心がけないとね。20世紀末の観察者が、来る世紀についてすべてを予言できなかったといって責めるのは、不公平ってもんだ。長期的な社会予測は、今日でもまだ厳密な科学とはいいがたいし、1996年には現代の非線形ソシオエコノミクス創始者たちは、まだ名もない大学院生にすぎなかった。それでもその当時ですら、経済的な変化を駆動する大きな力が一方ではデジタル技術の絶え間ない進歩で、一方ではそれまでの後進国へ経済発
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