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ブックマーク / apartment-home.net (7)

  • 庭師通信1 | アパートメント

    この夏から、管理人3人も交代でコラムを書こうということになりました。 何を書こうかなあと思いを巡らしているうちにふと、この10月でアパートメントの前身である「いとでんわ」を始めて丸4年になるのだ、ということに気づきました。 今日はその、アパートメントのはじまりについて書こうと思います。 とりとめのない長いながい思い出話になってしまうのですが、お読み頂けたら嬉しいです。 — アパートメントを始めたのは震災の年の10月でした。 その頃はまだアパートメントという名前ではなく、「いとでんわ」という名前でした。 アパートメントのサイトの入居者一覧を見ていただくと「当番ノート」が第23期、第22期…と並ぶ一番下に「いとでんわ」第一期、第二期とありますよね。 それが、作った当初のこのサイトの名前でした。 2011年3月11日の東北大震災がおこった時、私は舞台番を控えて東京墨田区にあるアサヒ・アートスク

    庭師通信1 | アパートメント
  • 第一話 「22歳」 |アパートメント

    サッカー選手になりたい」 「漫画家になりたい」 「新幹線の運転手になりたい」 世界には、様々な夢があります。 夢に向かって突き進んでいる人もいれば、 夢が見つからずに悩んでいる人もいます。 そもそも夢なんて必要ないという人もいます。 確かに夢なんてなくても、楽しく生きている人はいっぱいいます。そんなものにこだわる必要なんてないのかもしれません。 でも僕は、夢にこだわり続けて生きてきました。 というより、夢があったから、僕は何とか、 今まで生きてくることができたと、思っています。 そんな、夢と一緒に生きている僕の話を、少しさせてください。 僕は高校三年生のころ、愛知県に住んでいて、 世間的には、特に変わったところもない、 普通の若者でした。 卒業したら就職するものだと思いこんでいました。 大学に行く気もなく、将来の夢はありませんでした。 プロの漫画家になりたいという気持ちはありましたが、落

    第一話 「22歳」 |アパートメント
  • 私はなぜ、タダで執筆依頼を受けたのか |アパートメント

    東京から仙台へ向かう新幹線の中で、アパートメントのための文章を書く。テーマは「インターネット上に、無償で物を書くということ」。あるいは「私はなぜ、タダでこの執筆依頼を受けたのか?」といった自問自答である。 読者の大半はご存じのことと思うが、この「アパートメント」は営利目的のメディアではない。「管理人」は持ち出しで活動を続け、それで何か金銭的に得をしているようには到底見えない。合間に広告が挟まれたり、続きを読むには課金が必要だったり、連載の書籍化が大前提だったりするような他の読み物メディアとは、そこが決定的に違う。 私の知る限り、一番近いメディアは「同人誌」「ミニコミ」の類である。作り手が自分自身で印刷製費用を負担して出版する刊行物。ほんの少しだけ値段を上乗せして頒布し、売り上げをまた次のを出す費用へ充てる。けれど「アパートメント」は、紙の同人誌以上にまったくカネが動いていない。少々不安

    私はなぜ、タダで執筆依頼を受けたのか |アパートメント
  • テント船、氷見の伝統木造和船ができるまで。 |アパートメント

    みなさま、こんばんはー。 って、すかっとさわやかな青空画像で、こんばんは~ってのもなんですが、今日は、この「テント船」のお話。 この船は、2015年3月に新造船したばかりのピッカピカのnewフェィスですが、昭和40年代までは氷見浜にいっぱいありました(今は現役で漁にでている木造和船はありません)。 海の風、潮の流れはその土地ならではのもの。かつては、その土地、というより、ひとつひとつの入江ごとに浜に船大工がいて、櫓大工がいて、土地ならではの形の木造和船を地元の木で作っていました。 海で使うものを山の材料で作る、朽ちてきたら自然に返す。 そんな、循環が日中にあったのでしょう。 でも、いつしかFRPの強化プラスチックの船に取って代わられ、その土地ならではの木造船は姿を消して行き、大手船舶メーカーが共通の型でつくるFRP船ばかりになってしまいました。和船の需要が減るに連れて、船大工も次々に道具

    テント船、氷見の伝統木造和船ができるまで。 |アパートメント
    batta
    batta 2015/05/19
  • ゴミ分別の煩わしさと憂鬱を逃れるために |アパートメント

    こんにちは。 このたび、日のゴミ分別の煩わしさと憂を逃れるために北アフリカの都市マルセイユに住むことにしました。 この「アパートメント」には、マルセイユ国立バレエ団のダンサー木下氏からご紹介いただきました。 この街に来ると、まず目につくのは、ミストラル(季節を問わず吹く南仏特有の冷たい強風で赤城おろしや六甲おろしのようなもの)に巻き上げられて空中を浮遊したりふわふわと道を転がっていったりするスーパーの袋、新聞紙、人糞らしきものついたキッチンタオル、使用済みパンティーライナーです。 アフリカの他の地域に比べてマルセイユの人たちが特別ゴミの出し方のマナーが悪いわけではありません。 マルセイユでは、ゴミ収集人の労働組合が大変強く、年中ストライキがあります。 マルセイユについた当時、Super U(近所のスーパーで、この地区では唯一の文化的な憩いの場)の掲示板に張ってあった「地区のコミュニティ

    ゴミ分別の煩わしさと憂鬱を逃れるために |アパートメント
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    batta 2012/12/07
  • ハイパーメディア無職への道 |アパートメント

    【警戒区域にある浪江町請戸地区で 撮影:中島麻美】 「福島の取材を続けたい」 そう思って私が取った行動は、東京での仕事をすべて断り、後先考えずに福島に身を置くことだった。 私が格的に福島を歩くようになってから、すでに4か月が経過した。しかし、スタートは他の記者たちから遅れること丸一年。その頃には、東京ではもはや福島のことは以前ほど取り上げられなくなっていた。つまり、取材してもそれがお金になることはほとんどない。「潜在的無職」であるフリーランスライターの私にとって、仕事がないのは致命的で、出費はかさむ一方だ。 それでも私は福島を歩くことをやめない。なぜなら、今も10万人以上の方々が故郷を離れ、避難生活を送っているからだ。 採算を度外視して取材を続ければ、当然、お金はなくなる。実際、私の手元には今後も取材を続けるだけのお金がない。そこで私は「書くこと」「取材すること」を続けるために、なんでも

    ハイパーメディア無職への道 |アパートメント
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    batta 2012/07/12
  • ミッション・インポッシブル(東京電力への小さな抵抗) |アパートメント

    ●東京電力福島第一原子力発電所の様子。撮影地点での空間放射線量率は毎時30〜90μシーベルト。写真では毎時70.05μシーベルト(撮影:畠山理仁) *** 衝撃だった。 「今回の福島第一原子力発電所の現場公開には、フリーランスの記者の方、2名も参加できます」(東京電力) おおっ! 「しかし、今回、代表撮影カメラ以外は発電所構内に持ち込めません。フリーランスの方は、構内での撮影は一切出来ません」(東京電力) がくっ……。 *** 2012年5月26日。私は東京電力が主催する福島第一原子力発電所の構内取材に参加した。東京電力主催の「取材ツアー」にフリーランスの記者が参加するのはこれが初めてだ。 事故から1年2か月あまり。フリーランスの記者たちが何度も何度も繰り返し要求してきたことが、5回目の取材ツアーにしてようやく認められたのだった。 しかし、東京電力の対応はとても満足できるものではなかった。

    ミッション・インポッシブル(東京電力への小さな抵抗) |アパートメント
    batta
    batta 2012/06/29
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