少し良い目くらいなお寿司屋とかのランチとかで生サラダが出てくると「なくていいなあ」って思ってしまいます。お魚食べる前におくちの中がドレッシングの強い味か生野菜の味が残ってしまう気がして。イナダさんはどう思いますでしょうか。 「なくていいなあ」の気持ちは僕もややわかります。 しかし、これは憶測に過ぎませんが、相談者さんのその「理由」は本当に本心なのでしょうか。ミニサラダに対しては何となく釈然としない感情を抱いている。しかしその感情はちょっと言語化が難しい。そこでなんとか納得できそうな理由を探して当てはめてみた、そんな気もするのです。 日本人の大多数は、ミニサラダがうっすらと好きです。そしてお店にとって都合の良い存在です。そんな需要と供給が交わるところに最適解としてのミニサラダが生まれます。 世の中には様々な最適解がありますが、ミニサラダが少し特殊なのは、 「やったーミニサラダだ!ミニサラダ大
腹八分は病なしといわれますが、腹八分ってどうやって分かりますかね。 ミールスなんか食べるときラッサムやサンバルなどは1回は必ずおかわり頼んじゃいます。 お腹パンパンなのに… だからインド人はお腹が出てるのかなと思ってしましました。 腹八分が知りたいです。 「可食重量」という概念があります。一食あたりの重量を指します。例えば定食なら、主菜・副菜・ご飯・味噌汁の合計、ラーメンなら具もスープも含めた総重量、ハンバーガーや弁当など水分が少なく必ず飲み物も一緒に摂る場合は最低限必要な分の飲み物の量も加算、みたいな感じ。 飲食業においては1食分の最低可食重量が500gとされており、個人的にはこれが「腹8分目」と認識しています。 シンプルな定食やラーメン一杯がだいたいそんなもんです。 もちろんこれには大きく個人差があります。世の中には1000g超える一食もざらにあり、人によってはそれすら「腹8分目」かも
お店のメニューにしろレシピ本にしろ「一人前の分量(ポーション)」はどの様な基準で決めてらっしゃるのですか?料理人の方、料理の先生の間で共有されているルールの様な物があるのでしょうか?ワカメとキュウリの酢の物と南インドのチキンカレー(ルー、ごはん)だと「一人前」ってだいぶ違うなとふと思いました。 飲食業界の古くからの暗黙の了解がありまして、それは 「一食分の総重量は最低500gを確保する」 というものです。 例えば定食なら、ごはん200+おかず150+汁と小鉢150、みたいな感じ。 昔ながらの小ぶりなラーメンは、汁まで完飲して500。 カレーライスも昔ながらならライス300カレー200(ただし最近は逆転気味)。 ざる蕎麦は蕎麦湯で強引に持っていってなんとか500。 お弁当はこれより少ないですが、本体に汁気が無い分、一緒に飲むお茶まで含めて500を確保。 この500gはあくまで店が担保すべき最
イナダさんは料理を作る時の計量の大事さをいたるところで発信されていると思いますが、料理をはじめた頃から計量していたのでしょうか? それとも何年か経って計量の大事さに気付かれたのですか? 計量の大事さに気付いたきっかけやエピソードがあれば教えてください! 僕は本格的にプロの世界に入ったのが遅く、20代後半でした。 年下の(殆どがヤンキーの)先輩たちは、料理に関する知識なんて極めて乏しいにも関わらず、実際料理を作るとなると、塩でも醤油でも感覚だけでほぼ一発でバシッと味をキメてました。 やべえ、こいつはかなわねえ、と思いました。 そしてそこに最短で追いつく方法こそ計量だと思い至りました。 先輩たちの目を盗んで料理する前と終わった後の塩や醤油の重量を測って差分を出したり、手元をガン見して重量を推定してすぐにメモっておいたり、同時にその時の鍋中重量も推定してやっぱりメモっておく、みたいなことをやりま
旅先でその地方にしかないチェーン店で食事をすることはありますか?私は「わざわざ旅行にきたのにチェーン店で食事をするなんて」という感覚に陥ってしまい行けません。でもチェーン店に対するこのような態度は間違っているのではと最近思うようになりました。どうすればいいのでしょうか 僕が旅先の食事で最優先するのは「老舗の有名店」、 そして2番目が「ローカルチェーン」です。 これはあくまで自分の経験則の範囲で、かつ個人的な嗜好や価値観にもとづく話ではあるのですが、ある特定のジャンルにおいて結局一番おいしいのは一番古くからやってる元祖の店だと思っています。そしてそういう店はほとんどの場合、そのジャンルで一番有名なお店でもあります。 例外があることも承知の上ではありますが、基本的に「老舗の有名店」は、最も個性的≒尖っている≒クセが強い≒サイテキカイから遠い、というケースが多いと思います。そして価格が割高である
お酒の美味しさがわかりません。酔うために飲むことはあります。アルコールだなぁという感想しかないです。酒のアテ的な物は大好きなのですが、お酒と一緒に食べたいと思えないのです。お酒飲まないと注文できないような店ほど料理美味しかったりして行きたいけどいけなくてもどかしいです。 僕はお酒を毎日飲みます。 もはや前回の休肝日がいつだったかも思い出せません。 もちろんおいしく飲んでます。 でも、「お酒のおいしさがわからない」という相談者さんの気持ちも理解できます。 なぜならば、お酒を飲むとき、何かしら「我慢」をしている気がするからです。 僕はそれを「まず味」と呼んでいます。 酒における「まず味」の主役はアルコールそのものです。そしてそれだけではありません。ビールの苦味とか、ウイスキーの樽香とか、赤ワインのタンニンとか、酒の「まず味」は複合的です。 僕は酒と同じかそれ以上に果物を絞ったジュースが好きなの
アールエフワンは必ずくらい覗きますかね。 ディスプレイの美しさ、光の当て方、ツヤの出し方、時間を置いてもヘタれない技術、テクノロジーの粋が極まってて、「到底真似できない」と絶望的な気分になるところまでがセットです。 アールエフワンはもうひとつ見どころがあります。ここは昔はもっとずっと庶民的な店でした。「海老とブロッコリーとゆで卵をマヨネーズで和えたサラダ」が看板商品だった時代です。庶民的なわかりやすい商品はもちろん今でも健在ですが、同時に今はデパ地下で一番くらい尖った商品も並べています。こういうメジャーどころの「どこまで尖っても許されるのか」という判断は興味深いですし、楽しいです。 近年定点観測していたのはフレンチデリの店です。最初は正統派のフレンチデリ、という感じだったのが、徐々に和風アレンジを加えた創作料理とか、どう見てもイタリア料理とか、ハンバーグとかコロッケ(うっすらフレンチめいた
先日スープカレーを作りました。スープは市販の素、チキンは塩してグリル、野菜は蒸して素揚げ、最後に一皿に盛り合わせます。おいしくできたのでいいのですが、こんなに各々バラバラに調理して最後にガッチャンコする料理ってなかなかないなと思いました。スープカレーの仲間、ご存知ですか? 「スープカレーとは椀盛の一種である」 というのが自論です。 椀盛っておわかりですか? これはいわば懐石料理のメイン料理で、別々に調理したいろんな具を取り合わせ、そこに調味したダシをたっぷり張る料理。 一見「具沢山の汁物」ですが、豚汁のようにエイヤで全てを一緒に煮るものとは根本的に別の、贅沢な料理です。 よく似たものに会席料理の「碗物」もあります。こちらはもう少しコンパクトでシンプルですが。 椀盛には必ず明確な主役が入ります。真丈とか焼いた魚とか、この時期なら牡丹鱧とかですね。そこに別で炊いた野菜や、湯葉や焼いた生麩、など
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