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historyに関するbhikkhuのブックマーク (991)

  • メモ 特技(MOS)とは何か? なぜ米軍は人事管理にそれを取り入れたのか?|武内和人|戦争から人と社会を考える

    特技(military occupational specialty, MOS)とは、軍隊の人事管理において、ある特定の職務を遂行する知識、技能、身体能力、心理適性を備えていることを示す資格をいいます。軍隊ではさまざまな職務が内容、複雑さ、責任の大きさに応じて特技職として区分されており、その従事者はそれぞれに必要な特技を保有していなければなりません。もともとアメリカ軍が第二次世界大戦で導入した仕組みであり、大量の人材を動員した際に、彼らを適切に管理する必要に迫られて編み出されたものです。この記事では、それが取り入れられた理由を歴史的な経緯に沿って説明したいと思います。 アメリカは1941年に第二次世界大戦に参戦し、大規模な動員を実施したことで、1235万名の人員を擁する組織となりました。アメリカ陸軍はその中でも特に多くの人員を管理する必要に迫られたのですが、それは極めて複雑な業務でした。当

    メモ 特技(MOS)とは何か? なぜ米軍は人事管理にそれを取り入れたのか?|武内和人|戦争から人と社会を考える
  • https://twitter.com/hosakasanshiro/status/1582863813652938754

    bhikkhu
    bhikkhu 2022/10/21
    エストニアとロシアの現在進行形の軋轢について
  • ドイツのヒトラー政権は、いかにして国民を動員する準備を進めていたのか?|武内和人|戦争から人と社会を考える

    アドルフ・ヒトラー(1889~1945)は1933年1月にドイツで政権を掌握するまで、非党員を大規模に組織化し、軍事的目的に動員する基盤をほとんど整備できていませんでした。1933年4月にヒトラー政権は政治的に敵対していた既存の労働組合をすべて解散に追い込み、ロベルト・ライ(1890~1945)に労働者を再組織化する任務を与え、ドイツ労働戦線の総裁という地位を与えました。 しかし、当事者であるライはヒトラーの命令に戸惑い、「私は労働組合の運営を引き継ぐようにとの総統命令を受けたが、そのあと、どうすればよいのか、自分でやってみるしかなかった」と述べています(邦訳、カザ『大衆動員社会』99頁)。このことからも、ヒトラー政権が政権掌握後になってから、場当たり的に動員基盤の強化に取り組み始めたことが伺われます。 ヒトラー政権の下では数多くの団体が立ち上げられ、熾烈な縄張り争いを繰り広げたことも、事

    ドイツのヒトラー政権は、いかにして国民を動員する準備を進めていたのか?|武内和人|戦争から人と社会を考える
  • 日本を代表する調味料·醤油は江戸時代、上方から江戸に大量輸送されたのは有名だが、実は長崎を通して海外にも輸出されていた。

    ふるたか @furutakatoyo 幕末に日から遣欧使節団が派遣されたときに一行は欧州でとうとう醤油禁断症状のような事態に陥ったそうで 「ヨーロッパに醤油などあるはずもない」 と諦めていたところ、オランダで醤油を売っている店を見つけ大いに驚き買い込むことに成功 これははるばる日から輸出されたものだったようです 2018-06-24 21:57:56 にいがたさくら@小話する人 @monkey_across 日を代表する調味料·醤油は江戸時代、上方から江戸に大量輸送されていたことは有名な話だが、実は長崎を通して海外にも輸出されていた。 長崎から欧州へ輸出するのだが、木製の樽のままでは長時間の輸送中に劣化し、醤油来の風味が失われるのが問題だった。 そこで開発されたのがコンプラ瓶だ。 pic.twitter.com/GTYW2Wr5Ct 2022-07-10 12:24:50

    日本を代表する調味料·醤油は江戸時代、上方から江戸に大量輸送されたのは有名だが、実は長崎を通して海外にも輸出されていた。
  • 霞提越水が洪水と思えないのは現代的常識のため

    長浜市の高時川が氾濫した航空写真の件で「あれは遊水地だから洪水じゃない」と言ってる人が多いのだが、あれも洪水です。 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/kentaoki/status/1555648450955735040 洪水っていうのは普通水が流れない場所に水が流れてる事をいうので、河川敷の河原が水没しているのも洪水なのだ。 だから元記事の「河川敷も水没」っていう記述に文句言うのもおかしいのである。 川と人間の活動地が堤防で仕切られているという常識は最近のものそもそも河川=堤防の向こう側=人間の営み無しの地というのは今は常識になっているが、この常識は精々50~100年程度の歴史しかない。 人類文明は有史以来水と戦ってきたが、それは必ずしも堤防で川を閉じ込めるという意味ではなかった。氾濫が頻発する箇所は氾濫するに任せておき、水が少ない季節

    霞提越水が洪水と思えないのは現代的常識のため
  • 100年前 日本の商船が戦火の住民救出 ギリシャでたたえる催し | NHK

    100年前、ギリシャとトルコの戦火に巻き込まれたエーゲ海沿岸の町から住民たちを救出したとされる、日の商船の功績をたたえようと、23日、ギリシャの首都アテネで記念の催しが開かれました。 第1次世界大戦後の1922年9月、日の商船「東慶丸」は、ギリシャとトルコの戦争に巻き込まれたエーゲ海沿岸の港町から、住民数百人を救出したとされています。 こうした功績をたたえようと、救出からことしで100年となるのに合わせて、ギリシャの日大使館や地元の美術館が、23日、アテネで記念の催しを開き、およそ250人が参加しました。 はじめに日大使館の中山泰則大使があいさつし「日船の英雄的な行為に対して感謝の気持ちを伝えたいという人々と出会い、大使としてこの出来事を広く知らしめていくという使命を感じている」と述べ、功績をたたえました。 またギリシャのメンドーニ文化・スポーツ相は「遠く離れた国から危険を冒して

    100年前 日本の商船が戦火の住民救出 ギリシャでたたえる催し | NHK
  • カティンの森事件 - Wikipedia

    カティンの森に建設された慰霊碑と、犠牲者の名前が記された銘板を使った歩道 カティンの森事件(カティンのもりじけん、ポーランド語: zbrodnia katyńska、ロシア語: Катынский расстрел)は、第二次世界大戦中にソビエト連邦のスモレンスク近郊に位置するカティンの森(ロシア語版)などで約22,000人[1]又は25,000人[2]のポーランド軍将校、国境警備隊隊員、警官、一般官吏、聖職者が、ソビエト内務人民委員部(NKVD)によって虐殺された事件[3]。「カティンの森の虐殺」などとも表記する。 NKVD長官ラヴレンチー・ベリヤが射殺を提案し、ソビエト共産党書記長であるヨシフ・スターリンと政治局の決定で実行された[4][5][6][7]。カチン(Katyń)とも表記される。 概要[編集] ソ連は1939年にポーランドに侵攻し、旧ポーランド東部地域を侵略・併合[8]。多

    カティンの森事件 - Wikipedia
    bhikkhu
    bhikkhu 2022/09/24
    昨今のウクライナ情勢に関連して改めて
  • ライター井島ちづるさんから見る90年代の鬼畜ブーム|吉田豪 | TABLO

    「女子」という呪い(集英社クリエイティブ) 雨宮処凛さんの書いた「90年代サブカルと「#MeToo」の間の深い溝。」という文章がきっかけで、「『より鬼畜な方が偉い』的な価値観が蔓延していた当時のサブカルはひどかった」的な意見がいくつかTwitterのTLに流れてくるようになりました。 ボクは90年代からエロや『BURST』とかで仕事しながらも、ドラッグとか薬物とかタトゥーとか死体写真とか宗教とかAVとかの文化とは意識的に距離を置いてきた人間なんですが、それでも言いたいのはただひとつ。 時代とともに常識も変わっていくし、「ここまではセーフ」という線引も変わっていくから、10年以上前のことをいまの常識で批判するのはフェアじゃないってこと。 極端に言えば、「織田信長とか豊臣秀吉とか、ああいう大量殺人者を英雄扱いするのは良くない!」とか言い出すようなものだと思うんですよね、それ。 そして雨宮処凛

    ライター井島ちづるさんから見る90年代の鬼畜ブーム|吉田豪 | TABLO
  • ノア・スミス「意識高い系の起源に関する考察・後編」(2022年9月10日)

    [Noah Smith, “Thoughts on the origins of wokeness,” Noahpinion, September 10, 2022] 昔ながらのアメリカの宗教としての意識高い系 「待て、これはみんな、会衆派の奴隷反対運動家たちか?」 「お前は知りすぎた」 美しい百合の中 海の向こうで 主は生まれた 主の懐で 栄光と共に あなた方と私は変容する 主の死による贖罪の如く 我らも自由のために死なん 神は進み続ける ――ジュリア・ウォード・ハウ「リパブリック賛歌」 [1]訳注:歌詞は以下のサイトの和訳を使用した。https://www.worldfolksong.com/songbook/usa/battle.htm ここからは、意識高い系(2010年代中盤あたりからアメリカで注目されるようになってきた、社会正義の運動、議論、態度)について考察しようとしているシリ

  • 一戦後人の発想|(株)時評社

    今年は、日共産党史上最大の汚点である〝コミンフォルム批判〟から丸70年という節目の年だが、党大会でほとんど言及されなかったことに甚だ違和感を覚える。当時の事件さえなかったかのように基政策の変更も打ち出すならば、この辺りで〝りべらる党〟にでも党名を変更するべきではないか。 党大会の、三つの焦点 日共産党が、1月中旬に会期5日の第28回党大会を開いた。 今回の大会の焦点は、三つあるとされていた。90歳に達した不破哲三〝院政体制〟の幕を引き、名実ともに志位和夫主導体制に切り替えられるか。低迷を続け、高齢化が進む党の現状を、どういう目標のもとで再建・活性化していくか。そして、来年秋までには行われる次期総選挙に向けた、野党共闘態勢の構築と、共産党独自の躍進を、どう両立させるか。この三点だ。 これらについて、大会は一応の答えを出した。第一点では、超高齢の不破がなおも中央委員に名を留め、志位時代の

    bhikkhu
    bhikkhu 2022/09/08
    昭和は遠くなりにけり
  • https://twitter.com/volodyatretyak/status/1566517384739000320

    bhikkhu
    bhikkhu 2022/09/07
    クリミアとロシアの境となるケルチ海峡のトゥーズラ島を巡る紛争の歴史。ウクライナ侵攻前史。
  • 流動化を否定するあまり交渉力を失った労働組合 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    昨日紹介した『POSSE』51号ですが、他にも引用したくなる名台詞がけっこう点在しています。 鼎談の次に載っている今野さんと中村天江さんの対談「経団連のジョブ型推進と労働組合の交渉戦略――雇用の流動化により労働条件の交渉力は高まる⁉」の、「流動化を否定するあまり交渉力を失った労働組合」という一節でのやりとりは、戦後型企業別労働組合にとって厳しい言葉が並びます。 今野 興味深いですね。もともと日の労組は解雇なども絶対に反対してきましたが、世界のスタンダードだと、絶対反対ではなくて、どのようなルールで解雇するかが焦点になります。日は降格も絶対に反対です。条件交渉がジョブ的なものに接近していけば、恐らく労使交渉も成立するのでしょうが、歴史的には絶対反対した結果、すべて経営が決めるようになっています。 中村 私自身は、雇用の流動化に消極的なことは、労働組合にとっても望ましくないと考えています。

    流動化を否定するあまり交渉力を失った労働組合 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
  • Kamil Galeev on Twitter: "Gorbachov's funerals dilemma. Gorbachov allegedly destroyed the USSR. Still, he is an ex-Tsar which is super import… https://t.co/HOun8KMMYG"

    bhikkhu
    bhikkhu 2022/09/04
    ロシア的世界観において最高指導者は神聖不可侵のツァーで無くてはならず他国との契約を行なったり配偶者との親密さを見せることはツァーの神聖性、無制約性を害し不名誉と見做されると。
  • Kamil Galeev on Twitter: "Interesting dialogue between Azerbaijan and Kazakhstan presidents. They don't conversate in Russian, but in their n… https://t.co/1fB5M9oOhW"

    bhikkhu
    bhikkhu 2022/08/27
    アゼルバイジャン、カザフスタン両国大統領の会談で使われた言語を枕にチュルク語圏の分布と歴史について
  • 中国 長江 猛暑で水位低下し仏像現れる 約600年前の制作か | NHK

    記録的な暑さとなっている中国では、猛暑と干ばつにより水位が低下した川で、およそ600年前に制作されたとみられる3体の仏像が現れ、話題になっています。 ロイター通信によりますと、仏像が見つかったのは、中国内陸部 重慶を流れる長江の岩礁で、通常は水の底に沈んでいる場所だということです。 水位の低下によって、横に並んだ3体の像が現れ、このうち真ん中の1体は、座っているように見えます。 ロイター通信は、中国の報道を引用する形で「およそ600年前に制作されたものだとみられる」と伝えています。 仏像を見に来た男性は「水位が元に戻ったらもう見られないと思うので、見に来ました。私たちの先祖が残してくれた文化財です」と話していました。

    中国 長江 猛暑で水位低下し仏像現れる 約600年前の制作か | NHK
  • なぜ「内モンゴル」と「外モンゴル」は分裂しているのか? - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    1921年モンゴル革命と「二つのモンゴル」の成立 我々が「モンゴル」と言うと、通常それはウランバートルを首都とするモンゴル国のことを指します。 しかし中華人民共和国の北部には「内モンゴル自治区」という自治区があります。 いわばモンゴルは二つに分割されている格好です。現在では目立った統一運動はないのですが、かつては統一を目指す動きがありました。 モンゴルは清朝の支配下にあった時、内モンゴルは中国の強い影響下におかれましたが、外モンゴルは間接統治の状態にありました。1921年外モンゴルで起きた革命によってモンゴル人民共和国が成立しますが、内モンゴルは中国側に据え置かれ、統一モンゴル国家を作る運動があったものの、太平洋戦争後に現在の「内モンゴル」と「外モンゴル」に分裂された形が定着しています。 1. 清朝によるモンゴル高原支配 かつて恐れられたモンゴルの強大な軍事力は17世紀から衰え始め、満洲民

    なぜ「内モンゴル」と「外モンゴル」は分裂しているのか? - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • 勢力の優劣が不明確であることのリスクを説いた『戦争の原因』(1988)の紹介|武内和人|戦争から人と社会を考える

    数多くの思想家、著述家、研究者が戦争の原因をめぐって議論を交わしてきました。その中には価値ある学説もあれば、間違っていた学説もあります。それらを注意深く選別し、戦争の原因を探っているのがオーストラリアの歴史学者ジェフリー・ブレイニー(Geoffrey Blainey)の『戦争の原因(The Causes of War)』です。初版が1973年代に出版されているので、政治学の研究書としては少し古い部類に入るかもしれませんが、今でも研究上の価値を失わない古典的業績です。 日語にも翻訳されていますが、1973年の初版を底にした訳書しか出ていないようで、現在では絶版となり、入手は困難になっています。しかし、戦争の原因をめぐる誤解や混乱を丁寧に整理し、質的に重要な原因を特定する上で重要な仕事をしています。この記事では1988年に出版された3版に基づいて、その内容の一部を紹介します。 Blain

    勢力の優劣が不明確であることのリスクを説いた『戦争の原因』(1988)の紹介|武内和人|戦争から人と社会を考える
    bhikkhu
    bhikkhu 2022/08/21
    “数多くの歴史学者が「外交の断絶によって戦争が引き起こされた」と主張してきましたが、それは冬の終わりが春の始まりだったと述べているのと大した違いがなく、因果関係の説明として適切ではありません”
  • 玉音放送2日後、北海道をソ連兵9000人が奇襲した「知られざる地上戦」《元日本兵が証言》 | 文春オンライン

    玉音放送の2日後、ソ連が侵攻。男たちは故郷のために命をかけた――。ノンフィクション作家・早坂隆氏による「証言・ソ連を北海道から撃退せり」(「文藝春秋」2022年9月号)を一部転載します。 ◆◆◆ 第一線の交戦を知る「最後の証言者」 ロシアによるウクライナ侵攻を契機に、日でも戦争について考える機会が増えている。「実際の戦場では何が起きているのか」「ロシア軍の実態とは?」といった疑問を感じている方は少なくないであろう。降伏に関する議論も過熱している。 こうした時こそ、歴史に教訓を求めるべきである。とりわけ日は、対ロシア(ソ連)関係において、実は「良き教材」を有している。 それが日の「国のかたち」を守った「占守(しゅむしゅ)島の戦い」である。この戦闘がなければ、日ドイツや朝鮮半島のような分断国家になっていた可能性が高い。 だが、そんな重要な戦闘であったにもかかわらず、この史実はあまり知

    玉音放送2日後、北海道をソ連兵9000人が奇襲した「知られざる地上戦」《元日本兵が証言》 | 文春オンライン
  • 張り込み日記(1958年) 「犯罪捜査」刑事を追え<一枚のものがたり>写真家・渡部雄吉さん:東京新聞 TOKYO Web

    二〇〇四年春、東京・神保町。ロンドンの古書バイヤー、タイタス・ボーダー(58)は、立ち寄った古書店でモノクロ写真の束に目を留めた。二〇×二五センチほどの大きさで、二人の刑事を中心とする犯罪捜査の場面が写っている。フィルム・ノワール(暗黒映画)のようだが、生々しい。店主は不在で、店員が「映画のスチル写真かもしれません」と言った。 翌日店に戻ったボーダーは百二十枚すべてを購入。フジフイルムの古い緑色の箱に入った写真がロンドンに届いた。「すべてのプリントに、言葉を超えたエネルギーがありました」。聞き込みから捜査会議、鑑識の様子まで撮っている。被写体に俳優らしさがなく、実際の捜査の場面だと確信した。木村伊兵衛や土門拳など日の戦後の写真家の写真を長年扱ってきたボーダーだが、渡部雄吉(わたべゆうきち)の名は知らなかった。なぜ犯罪捜査の場面を撮れたのか、どのようにして撮ったのか。そんな疑問を残したまま

    張り込み日記(1958年) 「犯罪捜査」刑事を追え<一枚のものがたり>写真家・渡部雄吉さん:東京新聞 TOKYO Web
  • なぜ日本の郊外には「タダ同然の住宅地」が大量にあるのか…「限界分譲地」という大問題を告発する 無責任の体系によって「都市の荒廃」が進んでいる

    の郊外には「タダ同然の住宅地」が大量にある。そうした「限界分譲地」の取材を続けているブロガーの吉川祐介さんは「限界分譲地は戦後の土地開発ブームに乗じて作られた。居住ではなく投機が目的だったため、放棄された空き地が虫い上に広がっている。限界分譲地に住むことは可能だが、自治会は機能せず、道路や公園は雑草で埋もれることもある」という――。 日に点在する、忘れ去られた分譲地 戦後の日は近年に至るまで、深刻な住宅問題を長く抱えてきた。 終戦直後は、空襲で家を失った人や復員兵や引き揚げ者の住宅の確保。人口増と高度成長がもたらした都市の過密と住宅不足、そして住環境の悪化という問題があった。 過熱する土地開発ブームによる地価の高騰などもあり、どの時代においても庶民は、激変する社会情勢の中で、ひとつのマイホームを確保するのが精いっぱいの状況だった。 地価高騰の時代と聞くと、1980年代末ごろのバブ

    なぜ日本の郊外には「タダ同然の住宅地」が大量にあるのか…「限界分譲地」という大問題を告発する 無責任の体系によって「都市の荒廃」が進んでいる