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  • 川崎市がけ崩れ実験15人死亡 事故から50年 なぜ実験は惨事に | NHK

    「人工の雨でがけ崩れを起こす実験をしていたところ、予想を上回る大量の土砂が崩れ落ち、15人が死亡…」 50年前のNHKニュースで、アナウンサーが緊迫した様子でこう伝えた。東京の多摩地区や川崎、横浜の丘陵地帯で相次いでいた土砂災害のメカニズムを解き明かそうと行われた実験が、一転して大惨事になったのだ。 「川崎ローム斜面崩壊実験事故」はなぜ起きたのか、50年後の今に何を問いかけるのか。 (首都圏局/ディレクター 三島康生) 3.2秒の悲劇 実験は昭和46年11月11日、当時の科学技術庁や建設省などによって、川崎市の生田緑地で行われた。土砂災害を再現して防災対策に生かそうと、実際の斜面に散水ポンプで大量の雨を降らせたのだ。しかし、実験中に予想を超える斜面崩壊が起こり、現場に立ち会っていた15人が犠牲となった。​​​​​

    川崎市がけ崩れ実験15人死亡 事故から50年 なぜ実験は惨事に | NHK
  • 残留日本兵・横井庄一 帰国から半世紀 発見された“カルテ”が語る28年潜伏できた理由(CBCテレビ) - Yahoo!ニュース

    「グアム島の横井庄一さんが、たったいま日航の特別機で羽田空港に帰ってきました」 (1972年2月2日 帰国時のテレビ中継リポート) 半世紀前、グアム島のジャングルで現地の人に発見され、帰国することになった 残留日兵・横井庄一。当時56歳でした。 太平洋戦争の終結を知らされないまま、一人戦争を続けていた横井は、 帰国会見であの有名な言葉を口にします。 「恥ずかしながら生きながらえておりましたけど」 (横井 庄一さん) 「恥ずかしながら」は当時の流行語になりました。

    残留日本兵・横井庄一 帰国から半世紀 発見された“カルテ”が語る28年潜伏できた理由(CBCテレビ) - Yahoo!ニュース
  • メキシコ風アメリカ料理「テクス・メクス」の歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    様々な文化が混ざり合ってできたアメリカのミックス料理 テクス・メクス料理アメリカ・テキサス州発祥のメキシコ風アメリカ料理、またはメキシコ風テキサス料理です。 日に展開しているメキシコ料理をちゃんと定義すると、アメリカのものはほとんどがテクス・メクスといっていいと思います。メキシコ人シェフが作るメキシコ料理でも、「日人の舌に合わせて」テクス・メクスの要素を入れているものもあります。 日ではあまり馴染みがありませんが、知らず知らずのうちにべている。それがテクス・メクスです。 1. テクス・メクス料理とは何か 冒頭に述べた通り、テクス・メクスのルーツはメキシコ料理ですが、メキシコ料理で一般的でない材、具体的には小麦粉のトルティーヤ、シュレッドチーズ、クミンを使うところに特徴があります。 メキシコ料理はトルティーヤはコーン粉を使うのが普通で、小麦粉はあまり使いません。また、チーズが

    メキシコ風アメリカ料理「テクス・メクス」の歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • 柳宗悦の辛辣な「お叱り」と、事なかれ主義トート|塩谷舞(mai shiotani)

    先日、国立近代美術館で絶賛開催中である『民藝の100年』に行ってきたのだけれども、書きたいことがありすぎたので忘れないうちに書いておきたい。 1988年10月生まれの自分にとって、民藝活動の中心人物であった1889年3月生まれの柳宗悦はちょうど100学年違い……という雲の彼方の存在なのに、彼らの蒐集品や活動記録を鑑賞するのはまるで今日買ってきた雑誌を読むくらいに身近で素敵。故に展覧会を鑑賞するというよりも、屋でずーーーっと雑誌の立ち読みをしているような感覚になって、結果4時間もへばり付いていた。 (再入場禁止ゆえ、途中トイレに出ることが許されないのが大問題。小洒落た来場者の多くは間違いなく、膀胱との闘いに挑んでおります!) あぁ、この燭台が欲しいな……とか、この李朝膳は私の欲しいやつと少し形が違うな……とか、今日の自分の暮らしとそれは地続きにあって、すごく楽しいし、使える。 で、使えるか

    柳宗悦の辛辣な「お叱り」と、事なかれ主義トート|塩谷舞(mai shiotani)
  • ミッドウェー海戦大敗北は「利根四号機」の責か 重巡「利根」とその艦載偵察機の戦い | 乗りものニュース

    太平洋戦争のターニングポイントとなったミッドウェー海戦、その勝敗を分けたのは、1機の偵察機かもしれません。永らく大敗北の一因と語られてきた1機の偵察機と、その所属艦である重巡洋艦「利根」の航跡を追います。 ミッドウェー海戦の敗因に挙げられる「利根四号機」とは 太平洋戦争の勝敗の分水嶺となったミッドウェー海戦、その日側敗北の原因のひとつが、重巡洋艦「利根」のカタパルト故障による零式水上偵察機「利根四号機」のアメリカ空母発見の遅れだとする説は長く唱えられてきました。ウォルター・ロード著『Incredible Victory(信じがたい勝利): The Battle of Midway』にもそうした記述があり、そして「利根四号機」はすっかり有名になってしまいました。敗北の責任は「利根」にあるのでしょうか。 拡大画像 「利根四号機」としても使われた零式水上偵察機。戦艦や巡洋艦など主力艦艇に搭載さ

    ミッドウェー海戦大敗北は「利根四号機」の責か 重巡「利根」とその艦載偵察機の戦い | 乗りものニュース
  • https://twitter.com/LfXAMDg4PE50i9e/status/1462621073912913922

    https://twitter.com/LfXAMDg4PE50i9e/status/1462621073912913922
    bhikkhu
    bhikkhu 2021/11/23
    やや時代推定に幅があるけどローマ帝国最盛期かな?このクオリティの文明が一回滅びるんだからホモサピは諸行無常やな。
  • 「日本語の原郷」についての論文を読んでみた

    歴史言語学についてはまったくの素人だけど、最近話題になった「日語の原郷は「中国東北部の農耕民」 国際研究チームが発表 | 毎日新聞」(はてブ)っていう記事の元になったロベーツらの論文(Robbeets et al. 2021)を読んでみたよ! 結論うさんくさい 前提知識共通の祖先を持つことが証明された言語の集団を「語族」という日語は琉球諸語と共通の祖先を持つことが明らかである(日琉語族;Japonic)しかし日琉語族と他の言語との系統関係は証明されていない内陸アジアのテュルク語族、モンゴル語族、ツングース語族、そして欧州のウラル語族は特徴が似ているかつて、テュルク・モンゴル・ツングース・ウラル・日琉・朝鮮の諸語族が「ウラル・アルタイ語族」に属するという説があったが、結局誰もこれらの諸言語が共通の祖先を持つという証明ができなかった今回の論文は、テュルク・モンゴル・ツングース・日琉・朝鮮諸

    「日本語の原郷」についての論文を読んでみた
  • 2千年の歴史感じる旅 チュニジアのウドナ遺跡へようこそ

    チュニジアの首都チュニス近郊にあるウドナ遺跡(2021年10月14日撮影)。(c)FETHI BELAID / AFP 【11月21日 AFP】チュニジアの首都チュニス近郊にあるウドナ(Oudhna)遺跡。初代ローマ皇帝アウグストゥス(Augustus、在位紀元前27年~紀元後14年)の時代に建設された。 ウドナは、古代ローマ人の支配を受けたベルベル人の都市ウティナ(Uthina)の現代の名称。チュニスの南30キロに位置する。 一部は19世紀に発掘されていたが、1993年に発掘作業が再開され、99年に一般公開された。(c)AFP

    2千年の歴史感じる旅 チュニジアのウドナ遺跡へようこそ
  • カルロス2世のWikipedia、競走馬用の血統フォームが使われてる→ハプスブルク家の近親婚は馬でもやらないヤバい血の濃さなのか...

    リンク Wikipedia カルロス2世 (スペイン王) カルロス2世(Carlos II, 1661年11月6日 - 1700年11月1日)は、ハプスブルク(アブスブルゴ)家最後のスペイン国王(在位:1665年 - 1700年)。 フェリペ4世とマリアナ王妃の息子である。フランス王ルイ14世妃マリア・テレサは異母姉、神聖ローマ皇帝レオポルト1世の最初の皇后マルガリータ・テレサは同母姉に当たる。庶出の異母兄にオニャテ伯フアン・ホセ・デ・アウストリアがいる。 カルロス2世はスペイン王であると共にナポリ王国、シチリア王国などの南イタリアのほぼ全土の王であった。スペイ 13 users 37 G.B.遠藤(5G) @EndWorld318 PS4/HoI2/Stellaris。FEPKMOD共同作者もしくはFEPK-DHSA作者。Wikipedia友達。アイコンはFullkaiの人に描いていた

    カルロス2世のWikipedia、競走馬用の血統フォームが使われてる→ハプスブルク家の近親婚は馬でもやらないヤバい血の濃さなのか...
  • 日本語の原郷は「中国東北部の農耕民」 国際研究チームが発表(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

    語の元となる言語を最初に話したのは、約9000年前に中国東北地方の西遼河(せいりょうが)流域に住んでいたキビ・アワ栽培の農耕民だったと、ドイツなどの国際研究チームが発表した。10日(日時間11日)の英科学誌ネイチャーに掲載された。 【写真】歴史見つめ…100歳 日語(琉球語を含む)、韓国語、モンゴル語、ツングース語、トルコ語などユーラシア大陸に広範に広がるトランスユーラシア語の起源と拡散はアジア先史学で大きな論争になっている。今回の発表は、その起源を解明するとともに、この言語の拡散を農耕が担っていたとする画期的新説として注目される。 研究チームはドイツのマックス・プランク人類史科学研究所を中心に、日中国韓国ロシア、米国などの言語学者、考古学者、人類学(遺伝学)者で構成。98言語の農業に関連した語彙(ごい)や古人骨のDNA解析、考古学のデータベースという各学問分野の膨大な資料

    日本語の原郷は「中国東北部の農耕民」 国際研究チームが発表(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
  • 実家から発掘された白黒写真、広告かと思ったらお爺様の趣味だった。『広告っぽい写真を撮って勝手に企業に送り付けるのが好きだった』「これはキッコーマンの醤油を抱える父」

    イル・カポネ @ill_capone 実家から発掘された私の祖父が撮った写真。広告っぽい写真を撮って勝手に企業に送り付けるのが好きだったようで、これらはキッコーマンのお醤油を勝手にPRしている。私の父(2L瓶を持つ少年)や祖母が写る。昭和30年頃と思われます。 pic.twitter.com/4VLUGB3mJg 2021-11-11 19:12:49

    実家から発掘された白黒写真、広告かと思ったらお爺様の趣味だった。『広告っぽい写真を撮って勝手に企業に送り付けるのが好きだった』「これはキッコーマンの醤油を抱える父」
    bhikkhu
    bhikkhu 2021/11/13
    いい写真や/魚屋って出先で捌いてたのね
  • 戦車のようで戦車じゃない 戦車の代わりに歩兵を助けた“豆戦車”「九四式軽装甲車」 | 乗りものニュース

    第2次大戦前、旧日軍は主力戦車であった八九式中戦車の補助を目的として2人乗りで履帯式の豆戦車を開発しました。諸事情で「戦車」ではなく「装甲車」と名乗りましたが、日中戦争ではその小さな兵器が大きな働きをしました。 世界的ブームになった“豆戦車”を日にも 戦車ではないものの、小型で戦車のような履帯(キャタピラ)を装備した戦闘車両。いわば兵器体系の隙間を埋める存在といえる小型の装甲車が、第2次世界大戦前の日で生み出され、意外と勇戦しています。 拡大画像 中国戦線で撮影された独立軽装甲車中隊所属の九四式軽装甲車(TK)。兵士と比べてコンパクトな車体サイズやタンデムの搭乗スタイルが良くわかる(吉川和篤所蔵)。 日初の量産戦車となった八九式軽戦車(後に中戦車へ変更)が仮制式となったのは1929(昭和4)年10月のこと。ただ、当時は第1次世界大戦の終結の余波や世界恐慌などの影響によって軍縮時代ま

    戦車のようで戦車じゃない 戦車の代わりに歩兵を助けた“豆戦車”「九四式軽装甲車」 | 乗りものニュース
  • 伊ポンペイの別荘遺跡で「奴隷部屋」発見

    イタリアの古代ローマ都市遺跡ポンペイ近郊のチビタ・ジュリアーナにある別荘の遺構で発掘された「奴隷部屋」。ポンペイ考古学公園提供(2021年11月6日公開)。(c)AFP PHOTO / POMPEII ARCHAEOLOGICAL PARK / HANDOUT 【11月7日 AFP】イタリア南部の古代ローマ都市ポンペイ(Pompeii)の遺跡調査チームは6日、西暦79年のベズビオ山(Mount Vesuvius)の噴火で破壊された屋敷跡で、非常に珍しい「奴隷部屋」を発掘したと発表した。 小部屋にはベッドが三つの他、陶器や木箱も見つかった。発掘場所はポンペイ近郊にあった別荘地チビタ・ジュリアーナ(Civita Giuliana)の邸宅遺構で、ここでは今年初めにローマ時代の戦車がほぼ完全な形で発見されている。考古学者らは、今回発掘された部屋では戦車の維持管理を担当する奴隷が暮らしていたとみてい

    伊ポンペイの別荘遺跡で「奴隷部屋」発見
  • 8万人の命を奪ったドラキュラ伯爵のモデル「串刺し公」ヴラド3世の生涯

    生前に描かれたヴラド3世(1431~1476年)の肖像画の模写。現在は、オーストリア、インスブルックにあるアンブラス城に展示されている。(ERICH LESSING/ALBUM) ブラム・ストーカーの小説「ドラキュラ」のモデルの一人と言われるヴラド3世は、現在のルーマニア南部にかつて存在したワラキア公国の君主だった。ワラキア公国は1859年にモルダビア公国と統合し、ルーマニア王国として生まれ変わる。ヴラド3世は、1448~1476年の間に断続的にワラキア公国を統治し、ヴラド・ドラキュラ(ドラゴンの息子という意味)とも呼ばれていた。しかし、敵を拷問するなど暴虐の限りを尽くしたことから、ルーマニア語で「ヴラド・ツェペシュ」、すなわち「串刺し公ヴラド」という呼び名で最もよく知られるようになった。一部では、その生涯の間に8万人以上の命を奪ったともいわれている。犠牲者の多くは、串刺しにされて殺された

    8万人の命を奪ったドラキュラ伯爵のモデル「串刺し公」ヴラド3世の生涯
  • アウシュビッツ収容所の「入れ墨器具」が競売に 生存者から怒りの声(CNN.co.jp) - Yahoo!ニュース

    bhikkhu
    bhikkhu 2021/11/05
    黒の章並みのアーティファクトやな
  • プラックローズ&リンゼイ 著『特権理論:ポリティカルコレクトネス、アイデンティティポリティクス、フェミニズムはいかなる理論的根拠に基づいているのか』(2020年)/90点 - リベラルアーツの扉:海外教養書を読む

    はじめに(評者・田楽心 Den Gakushin) 原題 著者について 序論 第一章 ポストモダニズムーー知識と権力における革命 第二章 ポストモダニズムの応用的転回ーー抑圧を見えるようにすること (評者補足)応用ポストモダニズムの各理論について 第三章 ポストコロニアル理論ーー他者を救うために西洋を解体する 第四章 クィア理論ーー「普通」からの解放 第五章 批判的人種理論とインターセクショナリティ ーーいたるところにある人種差別を終わらせるために 第六章 フェミニズムとジェンダー研究ーー洗練された単純化 第七章 障害学と肥満研究ーー支援グループのアイデンティティ理論 第八章 「社会正義」の研究方法と思想、第九章 実践の中の「社会正義」ーー理論はいつも、紙の上では良く見える 第十章 「社会正義」イデオロギーの代わりとなるものーーアイデンティティ・ポリティクス抜きのリベラリズム 評価(評者・

    プラックローズ&リンゼイ 著『特権理論:ポリティカルコレクトネス、アイデンティティポリティクス、フェミニズムはいかなる理論的根拠に基づいているのか』(2020年)/90点 - リベラルアーツの扉:海外教養書を読む
    bhikkhu
    bhikkhu 2021/11/03
    “このような近代における努力と「リベラリズム」は現在、左右両方面から強力な挑戦を受けている”邦訳キボンヌ
  • iPhoneがなぜ日本人に受け入れられたか

    最近増田でホットなAndroidiPhoneの罵り合い。楽しいですね。 なんとなくこの業界に関わってきたので、どうして日でこんなにiPhoneが支持されるようになったのか、ちょっと書いてみたいと思う。ちなみに俺は今は亡きS社(今は完全に消滅して、かつての社は市役所になっている)でPHS(みんな覚えてる?)の開発に携わったのが最初。その後は出向で三浦半島の先の方で怒りのデスロードみたいな経験をしたり転職して某関西のメーカーでAndroidやったり。当時一緒にやってた人たちの一部は京セラに行ったけど、大体はどこに行ったか知らない。とにかく日の一大産業であった携帯電話や基地局の生産や開発に一通り関わってきて、その衰退とともに生きてきました。 で、よく知られているように日の携帯電話は1999年のiモードの導入から劇的に進歩し、ネットが見れるだけでなく、カメラも付きラジオも聞け非接触決済も

    iPhoneがなぜ日本人に受け入れられたか
    bhikkhu
    bhikkhu 2021/10/30
    うーん、追記含めて要素技術と部分最適大好きな日本の技術者、日本の製造業って感じやな。
  • ワールド&インテリジェンス 写真館⑦ボスニア戦線

    ジャーナリスト・黒井文太郎のブログ/国際情勢、インテリジェンス関連、外交・安全保障、その他の雑感・・・(※諸般の事情により現在コメント表示は停止中です) ボスニア紛争初期のポドベレッジ戦線(モスタル東方の丘陵地帯)従軍取材です。92年の撮影です。 クロアチア人部隊です。敵はセルビア人部隊になります。 ここは最前線。砲弾が昼夜を問わずバンバン飛来します。 前線司令部に集結したクロアチア人兵士たち。多くはこの日に戦死しました。 敵の集中的な砲撃が開始されました。こういうときはまず動けません。その第一撃であえなく負傷した私は、このときすでに血まみれ状態になっていました。 以前のエントリーにも載せたことがありますが、死ぬほどビビリながら撮影したカットです。これだけ着弾点が近いと、音や風圧、粉塵、火薬臭なんかけっこう迫力モノです。 敵軍が目前に迫ってきて、砲撃戦から銃撃戦になってきました。味方は一方

  • ワールド&インテリジェンス 写真館⑥サラエボ攻防戦

    ジャーナリスト・黒井文太郎のブログ/国際情勢、インテリジェンス関連、外交・安全保障、その他の雑感・・・(※諸般の事情により現在コメント表示は停止中です) ボスニア紛争初期のサラエボ攻防戦です。撮影年は92年です。 セルビア人のスナイパーです。目の前に軍事境界線になっているミリャツカ川という小さな川があって、その向こうの人間は誰でも撃ちます。女子供でも撃ちます。もちろん敵側のスナイパーも同様です。 サラエボ市南部のグルバビッツァ地区を押さえるセルビア人武装勢力の兵士。この戦線は動かないのですが、定期的に銃撃・砲撃戦をやってます。 グルバビッツァのセルビア人部隊。ユーゴ政府軍の重装備を使ってますが、兵隊そのものは地元出身の即席民兵がほとんどなので、操作はあまり熟練していませんでした。 戦場取材というのは、戦闘中のほとんどの時間は、兎にも角にも「全力疾走」です。日頃自堕落生活を送っている身にはめ

  • 電機業界エンジニアですけど

    10月1日に適当に書き散らした文章(anond:20211001193856)が2週間以上してからTwitterでリツイートされているのを発見。 はてブを見るとまさかの500越えでびっくり。ブコメを一通り読んだが、言いたいことをわかってくれてるなという人もいれば、全然話がかみ合わないなという人、こんな視点があったのかという人もいて面白かった。 そのうえで、もうちょっと追加で書きたい気分になったので電気自動車の普及プロセスを考えるうえでケーススタディになりそうなディスプレイ産業の話をもう少し書いてみる。 なぜiPhoneXの有機EL採用のインパクトが大きかったのかブコメでも指摘があったが、iPhoneXの前にサムスンがGalaxyで有機EL採用していただろうという話。そのことは当然知っててiPhoneXで有機ELが普及したと書いたわけだけど、その理由はなぜか。 年間の携帯電話生産台数って、サ

    電機業界エンジニアですけど