日本振興銀行の破綻処理が決定した。これを受けて、自見金融担当大臣は「竹中(平蔵)氏の政治家としての道義的責任は免れない」といい、一方、大塚金融副大臣は「振興銀行の設立について法的に疑問に思って調べてみたが、違法行為は見つからなかった」と話した(私は数時間前にTBSのニュースサイトで見た。言葉の引用は正確でないかも知れない)。 「道義的責任」とは何であろうか。どう果たせばいい責任なのか。振興銀行の件に関して、竹中氏に責任はあるのか。あるとすれば、どんな責任なのだろうか。 竹中氏は振興銀行設立の認可を与えた際の金融担当大臣だった。日本振興銀行は、異例に早く(確か申請から8カ月で)設立認可を得た。このプロセスに、竹中平蔵氏が木村剛氏と当時親しかったことが関係していたとしたら、確かに問題だろう。もっとも、それは単なる依怙贔屓程度の問題なのか、プロセスが不適切であったことに対して何らかの賠償責任等が