以前紹介した「百萬人の身世打鈴」には、戦時動員体験者の他、様々な一世の証言が寄せられている。次の朴四甲さんの証言は、その中でも印象に残ったひとつ。 1927年生まれの朴さんは五歳の時、両親と弟、父方の祖父と共に渡日。しかしまもなく両親と弟が死去。彼は祖父と十五歳年上の従兄弟と共に暮らすことになる。 小学校、高等小学校、中学校へと進みました。中学校は保善中学校といって、安田財閥が経営していた学校でした。その間中、考えていたことは軍隊に志願することでした。そのことで人間扱いされるしかない、と。屈折した軍国少年でした。 今考えると、腹の立つことばかり。ともかく朝鮮人と呼ばれたことないからね。「半島だ」、それから「鮮」。今でも覚えているけれど。 「朝鮮の朝は朝廷の朝につながるからナッ、おまっち呼ぶのによお、朝鮮て呼べねえんだよ」。 はあーッ、なるほどなあと思ったね。 わたしは学校をずーっと朴四甲の
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