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宗教と哲学に関するcastleのブックマーク (123)

  • 悪魔教会#地上におけるサタニストの11のルール - Wikipedia

    悪魔教会とは、サタニズム(悪魔主義)を標榜する宗教団体・教会機構である。以下のいずれかを指す。 サタン教会 - 1966年にアントン・ラヴェイが始めた宗教団体。 サタニック・テンプル(英語版) - 2013年にルシアン・グリーヴズとマルコム・ジャリーが始めた宗教団体。 このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能を有する場合の水先案内のために、異なる用法を一覧にしてあります。お探しの用語に一番近い記事を選んで下さい。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えて下さい。

    悪魔教会#地上におけるサタニストの11のルール - Wikipedia
    castle
    castle 2009/07/24
    「サタニズム:サタンは禁欲ではなく放縦を象徴する・サタンは霊的な夢想ではなく、生ける実存を象徴する・サタンは右の頬を打たれたら左の頬も向けるのではなく、仕返しをする行為を象徴する ets」
  • 他力本願 - Wikipedia

    他力願(たりきほんがん) 仏教用語。阿弥陀仏の願に頼って成仏すること [1][2][3]。浄土教・阿弥陀信仰にて使用される用語。#用法1を参照。 人まかせ、他人依存、成り行き任せの意[1][2]。#用法2を参照。 上記の双方の意味とも、『大辞林』・『広辞苑』などの辞書に採録される語意である。 来の意味が用法1の意味であることに異論を示す資料は見られないが、用法2の意味については『岩波仏教辞典』では「語の来の用法からして誤解である」[4]、『大辞泉』では「誤用が定着したものか」[2]と記載される他、『大辞林』のように意味の生じた経緯等について特に触れない辞書[5]もある。また、『新明解四字熟語辞典』のように、用法2の意味のみを語意として記載した後に「来は~」として用法1の意味を解説する辞書[6]もある。

    castle
    castle 2009/06/06
    「他力とは自ら以外の他者の働きのこと」「親鸞:他力というは如来の本願力なり」「その願力によって衆生は浄土へ往生する」「自らの働きもしくは行によっては往生は成就しないということをも意味している」
  • [阿弥陀とは全知全能をあらわす] by 碌々(ろくろく)ブログ

    castle
    castle 2009/06/06
    「「阿」というのは否定をあらわす言葉で、「弥陀」を否定しています。弥陀とは、量(はか)るという意味。そうすると、阿・弥陀というのははかれない、ということで、無量(無限)」「一方に命、一方に光があり」
  • http://twitter.com/Takakazu/status/1987252056

    castle
    castle 2009/06/01
    「仏教哲学では心身を並立して語っているが、それは西洋の心の哲学で語られている「心身二元論批判」にどうこたえることができるのだろうか」
  • 暇人\(^o^)/速報 (旧) 死後が怖すぎる、無とかいやだ

    1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/05(木) 23:06:04.38 ID:p1nBmJsZ0ここ一週間そればかり考えて眠れない くそ ■どうせ死んでしまうのになぜいま死んではいけないのか? 2 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/05(木) 23:06:34.82 ID:xXpF3zkt0それ以上考えたら死ぬぞ!今すぐ無我の境地へ! 6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/03/05(木) 23:07:27.02 ID:aX3Q8h1MOたまになる あと寝る時にいつ眠りにはいるかその瞬間が気になってぬめれなくなる 69 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/03/05(木) 23:17:39.91 ID:1

    castle
    castle 2009/04/30
    「死んだら死んだ事もわからなくなるから安心してくれ」「大人になるにつれ死は甘く、生は辛く」「それ(死)に関してはみんな平等でみんな逆らえないからちょっと優しいよな」
  • シモーヌ・ヴェイユ (哲学者) - Wikipedia

    1909年2月3日、シモーヌ・アドルフィーヌ・ヴェイユ (Simone Adolphine Weil)[2] は父の医師ベルナール・ヴェイユと母セロメア(通称セルマ)の娘としてパリのアパートで誕生した[3]。兄アンドレは3歳年上。1歳を過ぎても固形物を摂ることができず重篤な状態に陥り「この子は生きられない」と医師に言われたが専門家の指導と両親の努力により危機を脱した[4]。 従軍中の父ベルナール、母セルマ、兄アンドレと。7歳 両親は共にユダヤ系であったがその"完全な不可知論"[5]により兄妹をできるだけユダヤ的なものから遠ざけて育てた[6]。1914年、第一次世界大戦勃発と同時に父ベルナールは軍医として招集され各地を転戦した。家族の同行は軍律で禁じられていたが母親セルマは二人の子供・祖母・愛犬を引き連れて夫の任地を追い転々とした[7][8]。揺れ動く状況下で兄妹の教育は切れ切れとなったが、

    シモーヌ・ヴェイユ (哲学者) - Wikipedia
    castle
    castle 2009/04/29
    「人は美に面したとき、それを眺め、それ自身の内なる必然性を愛する」「注意とは思考を停止させ、無欲で純粋な待機状態になることである」「弱者は強者の前で意志の自由を失い、服従するだけの物質と化してしまう」
  • [書評]破綻した神キリスト(バート・D・アーマン): 極東ブログ

    もう少ししてから読もうかと思ったが、「破綻した神キリスト(バート・D・アーマン)」(参照)つい読み始めて、そして熱中して読んだ。書は昨日「極東ブログ: [書評]捏造された聖書(バート・D・アーマン)」(参照)でもふれた聖書学者バート・D・アーマン(参照)が、この世界の苦悩について聖書がどのように見ているか、その多様な見解を正確にまとめたものだ。「人はなぜ苦しむのか」という問いに聖書はどように、多様に、答えているかが、その多様さと整理の点で、きちんとまとめられている。哲学・神学的にはこの分野は神義論と呼ばれる。 書が類書の神義論とかなり異なるのは、それを聖書学者として客体的に描くだけではなく、著者アーマンがそれを自分の信仰との関わりのなかで真摯に問い、聖書の各種回答には納得できない、だから聖書の神を信じることはできない、と明言していることだ。このは彼の棄教のでもある。 邦題はそうした

    castle
    castle 2009/02/06
    「聖書に込められている神義論の神学をモデル的に抽出し~聖書を科学的に分解」「ほとんど人は苦しみについての話なんかしたくないのだ」「リベラルの申し立てでも保守派の申し立てでもない-人間の申し立てなのだ」
  • 正法眼藏 Shohogenzo

  • 『ダークナイト』でのジョーカーの輝きはヒース・レジャーの熱演が理由ではない - MIYADAI.com Blog

    MIYADAI.com Blog (Archive) > 『ダークナイト』でのジョーカーの輝きはヒース・レジャーの熱演が理由ではない « 書籍発売日の変更 | マル激トーク・オン・ディマンド更新しました。 » ──────────────────────────────────── 『ダークナイト』でのジョーカーの輝きはヒース・レジャーの熱演が理由ではない 〜ヘブライズム(神義論)とヘレニズム(逆神義論)の反復する対立と西洋的なもの ──────────────────────────────────── ■クリストファー・ノーラン監督『ダークナイト(闇の騎士)』(08)のエンドロールに、映画でジョーカー役を演じた後にオーバードーズで急逝したヒース・レジャーと、同じく急逝した特殊効果技師のコンウェイ・ウィックリフに捧げられていることが記されている。 ■巷での評判通り、この映画で最も強い印象

    castle
    castle 2008/12/25
    「そこには明確に構造化された意味論(概念と命題の体系)がある。意味論の持つ力こそが私達を屈服させ」「この意味論の持つ力は、神義論を逆転させ」「悪の存在にもかかわらず神が支配していると言えるのはなぜか」
  • 無常 - Wikipedia

    無常(むじょう、巴: anicca, アニッチャ、梵: anitya, アニティヤ/アニトヤ[1])とは、仏教における中核教義の一つであり、三相のひとつ[2][3][4]。生滅変化してうつりかわり、しばらくも同じ状態に留まらないこと[5][1]。非常(ひじょう)ともいう[5]。対義語は常住。 あらゆるもの(有為法)が無常であることを諸行無常といい、三法印の1つに数える[5]。 釈尊が成道して悟った時、衆生の多くは人間世界のこの世が、無常であるのに常と見て、苦に満ちているのに楽と考え、人間位の自我は無我であるのに我があると考え、不浄なものを浄らかだと見なしていた。これを四顛倒(してんどう=さかさまな見方)という[6]。 この「無常」を説明するのに、「刹那無常」(念念無常)と「相続無常」の二つの説明の仕方がある。刹那無常とは、現象は一刹那一瞬に生滅すると言う姿を指し、相続無常とは、人が死んだ

    castle
    castle 2008/12/25
    「無常は、この現象世界のすべてのものは消滅して、とどまることなく常に変移しているということ。釈迦は、その理由を「現象しているもの(諸行)は、縁起によって現象したりしなかったりしているから」と説明して」
  • 晴れ - finalventの日記

    秋晴れ。よい天気だがいまひとつ心は晴れない。 夢は忘れた。昨晩も坐禅をしてから寝た。眠気がないので、寝れないのかとも思ったがそうでもなかった。禅が少しずつわかってきたような感じがする。あまりいろいろと知識があると、自分を知るということの障害になるものだ。

    晴れ - finalventの日記
    castle
    castle 2008/10/16
    「禅が少しずつわかってきたような感じがする。あまりいろいろと知識があると、自分を知るということの障害になるものだ」
  • 幻想論メモ - finalventの日記

    死後の世界を信じてますかとか仮に聞かれたとして。 答えは決まっていて、信じてない、です。 のっけから余談だけど、左翼とかの人がけっこう、死後の世界とか死後の生命みたいのを信じているので不思議だなと思うことが多い。さらについでにいうと、靖国とか新興宗教なんで私はまるで関心ないし、信じてない。英霊って修辞ではあっても存在しませんよ。左翼も右翼も霊の信仰者というのが面白い。 で。 それはそれとして、人の心の構造というか、意識の構造というのを、独我論的に突き詰めていくと、あるいは意識現象として突き詰めていくと、輪廻転生とか死後の生命とか死後の意識とか、そんなものがどうもありそうだ。 関連⇒「多宇宙と輪廻転生―人間原理のパラドクス(三浦俊彦)」読んだよ - finalventの日記 ありそうだというのは、客観的にあるというのじゃなくて、人の心の仕組みとしてありそうだ。 で、そういうのが自分にあるかと

    幻想論メモ - finalventの日記
    castle
    castle 2008/09/29
    「「身体論」から「私」に至る道は実はごまかされている、のでは。身体というのは意識による対象としての疎外です、が、身体論ではそれが「私」意識を構成する基底のように見せかけ、さらにそれを無意識に接続して」
  • 無宗教の信仰の対象は何?

    1、お金 2、権力 3、恋人 4、科学 5、音楽 6、自分自身の心 7、サヨク&ウヨク そんなのは宗教ではないといわれそうだけど、ひとが信じる対象は形の上の宗教法人だけとは限らない。 そういう意味ならばそれを信じるひとには広義の意味では信仰なんだろう。 猜疑から生まれる客観は、信仰とは相反するものなのだろうか?それとも、猜疑することを信じるという意味では、客観もまた信仰だろうか?

    無宗教の信仰の対象は何?
    castle
    castle 2008/08/31
    「お金、権力、恋人、科学、音楽、自分自身の心、サヨク&ウヨク」「猜疑から生まれる客観は、信仰とは相反するものなのだろうか?それとも、猜疑することを信じるという意味では、客観もまた信仰?」「かわいさ」
  • 「リアルのゆくえ」/大塚英志 + 東浩紀 - 空中キャンプ

    castle
    castle 2008/08/30
    「個別の問題同士をひとつにまとめあげる「パブリックなもの」「公的なもの」の意義と重要性を説く大塚と、もはやそうした公的さは期待できない、~大きな全体のイメージや、パブリックな意味づけは難しいとする東」
  • 宮台先生のこれだが - finalventの日記

    ぶくまのほうで⇒はてなブックマーク - 出でよ、新しき知識人  「KY」が突きつける日的課題 - MIYADAI.com Blog ぶくまを見るとまったくわかってないというわけでないけど、なんというかちょっと言及控えようかなと思っていたら。 ⇒空気とKY - A Road to Code from Sign. なんだか細かいツッコミどころが目に付く。山七平が挙げたのは、極東裁判ではなく、吉田満『戦艦大和』における、大和の沖縄出撃や、自動車による大気汚染などの環境問題だった。山はそれを「臨在感的把握」と呼び、モノに対して臨在感を読み解く日人のアニミズム的心性を明らかにしつつ、その支配から逃れられない原因を、啓蒙の不徹底ではなく、啓蒙主義によってアニミズム支配を「なかったこと」にしようとしたことに求めたのだった。つまりここで「空気」とは、ルーア(ヘブライ語)、プネウマ(ギリシア語)、ア

    castle
    castle 2008/08/19
    「リベラルアーツの「自由人」に関連するもので、実はこの自由人の背景には、影のように神学が関係している」「ドーキンスのある種の狂気は実は裏返しの神学でもあるし、対極にはペンローズのようなものがある」
  • | Roscellinus Compendiensis

    castle
    castle 2008/08/19
    「ニーチェの根本命題は真理への不信任。真理を語ろうとしてきた形而上学へ「何のために真理が必要なのか?」と問う」「真理という確実知を示すことが重要だとアプリオリに認め、前提を反省することを放逐してきた」
  • この手があったか! - 書評 - 日本という方法 : 404 Blog Not Found

    2008年07月25日00:00 カテゴリ書評/画評/品評Culture この手があったか! - 書評 - 日という方法 ああ、やっとこのを紹介できる。 日という方法 松岡正剛 初出2008.07.17; 「課題図書」につき暫く更新 当はすぐにでも紹介したかったのだけど、この「方法」に対する私の理解が正しかったのか、「検算」してからそうしたかったのだ。そして今日、著者人に検算していただく機会を得た。「間違い」ではなかったという確証以上のものを得る事が出来た。 日を知りたかったら、まずこれを読め! だけど、「100冊読むよりこの1冊」なんてことは言わない。 それは、日という方法ではないのだから。 書「日という方法」は、私がこれまで読んだ日論の中で、心身ともに最も腑に落ちた一冊。The Bestである。そしてこのを読んだ事で、読書欲がますます高まった。なぜ数多の良著のよう

    この手があったか! - 書評 - 日本という方法 : 404 Blog Not Found
    castle
    castle 2008/07/18
    「あくまで「否定の否定」なのだ。否定しないこと、すなわち一様でないことに一途なのが、日本という方法」「一神教は迷いがない分、強い」「我々はおもかげを残しつつうつろい続けることが出来るだろうか」
  • 天使は身体性を持つか - 美しさの中を歩め2023 目覚めへと向けて

    castle
    castle 2008/06/22
    「天使は身体性を持たない知性体なのだ」「これに対し、ボナヴェントゥラは、いや、天使にも身体性はあるのだ。なぜならば、神以外のものは、どんなに微細であれ、一種の物質性をもつことを免れないからだ、と論じ」
  • http://tetugakuboya.cocolog-nifty.com/test/2008/06/post_589a.html

    castle
    castle 2008/06/18
    「「意識」が「脳の機能や状態」か否かということは、肉体が死んだ後、「私」が残るかどうかという問題とは無関係」「『私』とは、脳が作った錯覚だ」身体の消滅前と再生後における意識の同一性・一貫性の話?
  • amr-i-t.com

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    castle
    castle 2008/06/15
    「多くのシステム理論家が認めているように、宗教システムの機能は不確実性の吸収にある。特定の教義や魔術を拠り所とすることで、お先真っ暗な社会情勢でも「やっていけるように」するという訳だ」