今日はとても楽しいことがあったので日記を書かずにおれません。 新しい職場にて、そろそろ閉めて帰ろうかと言う時分に、電話がかかってきました。 それを取った女性職員(以後アリスAliceと呼称)は、電話が指定する別の女性職員(以後ブリギッテBrigitteと呼称)を呼びました。(電話が指定した名前は、本当は違っていたんだけども、苗字が同じだったんでうっかり呼んでしまった) そして電話の内容は、「借金があるから返せ」と言うものでした。 気弱な押し問答の末、ブリギッテは電話を切ってしまいました。しかしすぐさまリトライしてきます。今度はアリスが取りました。5分くらい話していましたが、電話の相手はドスを効かすことに忙しく日本語ができていません。後にアリスはそのくずれ具合を「漫画みたいでした」と語りました。 電話の相手はブリギッテを出せとか喚いていましたが、埒があかないと見ると、今度はアリスを脅しにかか
山形浩生の「CUT」連載が終了した。ワタシはかつて渋谷陽一信者で、「CUT」は創刊号から(たまに買い、主に立ち読みで)目を通してきた雑誌だが、山形浩生の連載が一番の目当てだった。その連載が終わり、氏が書くように「ジャニ系男性アイドル中心の雑誌になる」のなら、もうこの雑誌を手にとることもないだろう。 ただここ数年、氏の連載を以前ほど楽しめなくなっていたのは正直に認めないといけない。彼が変わったのか、ワタシが変わったのか。 両方変わったに決まっている。 それでもこの連載を通じ、いろんな面白い本を教えてもらったのは間違いない。以下、個人的に思い出深い回を紹介することでこの連載を勝手に振り返ろうと思う。 掲載号については、インデックスページと個別ページの記述にズレがあったりして正確を期すことができないので割愛させてもらう。 1991年~1992年 『ブッシュ・オブ・ゴースツ』と『ドバラダ門』は偉大
小学校の頃行っていた塾の先生に赤い実はじけちゃった私ですが、そんな弾けまくりの最中に塾でスキーツアーに行くことになったんです。 山梨のペンションを貸しきっての2泊3日。 めちゃんこ塾生がいるのにね、なんか「先生と旅行、ウットリ」みたいな阿呆な妄想しまくりなわけですよ。 いざ当日、もう興奮しまくりでね、押せ押せどんどんな私は先生と一緒になれる機会を探しまくりの狙いまくり。 とりあえず行きのバスの中で隣の席をゲットだぜ☆とか計画してたのですが… まぁ、なかなかうまくいかないわけですね。だって生徒山のようにいるし、みんなに人気あった先生だしね。 なんとか近くに!という淡い期待もむなしくバスはペンションに到着。 いやでもさ、旅行は始まったばかりですよ、これからですよ、夜は長いのですよ。 夕方頃に到着したので、1日目はスキーはせずに各自部屋でまったり。 これはチャンスなんじゃないですか!?神よ…!
やっちゃいけないことの続き。 昨日の要約としては、「人間みないっしょ」で韓国人に接すると、危ない、ということ。 例えば、日帝の悪事に話が及んでも、 「ベトナム戦争はどうすんねん?」とか、 「あんたら、帝国の臣民として、日帝の侵略行為の片棒担いでたやん」 などといった事実で切り返すのは、確かに、議論としてはありかもしれない。 実は、チャレンジスピリッツに満ちあふれていた頃の筆者も、何度かやってみたことがある(笑) が、取り敢えず危ないのでやめることにしたψ( `∇´ )ψ (一度、まさに火に油を注ぐような体験をしたことがある) どうも、この辺りのことを突っ込むのは、意外にカンに触るらしい。 「一緒にされる」のがヤなんだろうかね、やっぱり。 中には大丈夫なのもいるんだけど(さばけてる人間は日本人以上にさばけている)、筆者のように韓国語がある程度操れる人間は、「韓国側」と思
「本当の戦争」は戦争に関する437の質問に回答するもので、たとえば Q:戦争に行った時、負傷したり死んだりする可能性は? A:歩兵なら20%、歩兵以外なら2%。(←僕の要約) このようにシンプルに答えられています。 こういった知識は何か物を作る時には参考になるし、また消費する(映画を見る、漫画を読む)時にも、より深い味わい方を可能にすると思います。 ここでは(この本を図書館に返却する前に)特に記憶に残しておくべき個所をピックアップしたいと思います。 ※この本では基本的にアメリカ軍の話をしています ・世界が平和だった期間は3400年のうち268年。 ・2003年初頭の時点で行われている戦争は30箇所 ・女性も男性同様戦える ・アメリカ軍は自軍の損害の10~20倍の損害を相手に与える強さがある ・新兵訓練ではわざと失敗させ、侮辱し、新兵の自尊心を叩き潰して権威に反抗できないようにする。 ・基礎
1 :僕も万が一に備えて肛門を洗っています :2006/12/15(金) 17:26:18 ID:tjugQiDx0 ?2BP(3354) 太平洋戦争の激戦地、硫黄島で戦った旧日本兵の遺品返還を進める佐賀県み やき町の特定非営利活動法人(NPO法人)「戦没者を慰霊し平和を守る会」が、 遺族を特定できずこれまで返還できていない日章旗や手袋、帽子などを公開した。 いずれも日本兵と戦った元米兵らが保管していたもので、同会が2004年に入手。 映画「硫黄島からの手紙」が話題となっており、関係者は「島への関心が遺族の 特定につながってほしい」と期待する。帽子には「白尾末弘」「佐世保軍需部」、 手袋には「黒岩上ヒ」「横須賀軍需部」などと書かれている。 日章旗には「波里」「佐世保」のほか、同島に米軍が上陸したという 「昭和二十年二月十九日」の日付が読み取れる。沖縄戦で父親を失った同会の 塩川正隆副理事
[トップページ][平成16年一覧][人物探訪][210.76 戦後][509 モノづくり大国日本] ■■ Japan On the Globe(368)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■ 人物探訪:大野耐一 ~ トヨタ生産方式の創造 8倍以上の生産性を持つ米国にいかに追いつくか、 大野耐一の闘いはそこから始まった。 ■■■■ H16.10.31 ■■ 32,560 Copies ■■ 1,354,754 Views■ ■1.失われなかった10年■ トヨタ自動車の(平成15年)九月連結中間決算は、中 間期として初めて八兆円を超えた。純利益は一兆円に迫る 勢いだ。この十年間で、トヨタの世界販売は一・五倍、総 資産は二倍、営業利益は五倍になったという。日本中が 「失われた十年」にうちひしがれている間も、トヨタは世 界中で業容を拡大し、資産を増やしていたわけだ。(中略) トヨタの手法は民間だけでな
[トップページ][平成15年一覧][人物探訪][210.7 昭和時代][335 企業・経営(戦前)][509 モノづくり大国日本] ■■ Japan On the Globe(295) ■ 国際派日本人養成講座 ■■■■ 人物探訪:豊田喜一郎 ~ 日本自動車産業の生みの親 このままでは日本は永久にアメリカの経済的植民地にな ってしまうと、豊田喜一郎は国産車作りに立ち上がった。 ■■■■■ H15.06.01 ■■ 40,594 Copies ■■ 829,944 Views ■ ■1.自動車をつくってお国のために尽くせ■ わしは織機を発明し、お国の保護(特許制度)を受けて 金をもうけたが、お国のためにも尽くした。この恩返しに、 喜一郎は自動車をつくれ。自動車をつくってお国のために 尽くせ。 自動織機の発明で多くの国内外特許をとり、日本の紡織産業 発展に貢献した豊田佐吉は昭和2(1927)年
社会生態学者、ピーター・ドラッカー氏が2005年11月11日に亡くなってから早くも1年が経った。この1年の社会の動きは目まぐるしかったが、変化が激しい時こそ、本質をつくドラッカー氏の言葉に耳を傾けるべきではないだろうか。こう考え、ドラッカー氏とのロングインタビューの記録をひもといてみた。 幸いにも、私はこれまで3度、ドラッカー氏にロングインタビューする機会に恵まれた。最初のインタビューは1997年のことだったが、当時のメモを見直してみると、現在に通じる示唆的な発言が満載されていた。1999年の2度目、2003年の3度目のインタビュー内容もまったく古びていなかった。 ドラッカー氏の魅力はたくさんあるが、何と言っても、物事をとらえるスケールにはインタビューのたびに圧倒された。現在起きている事象を読み解く際に、こちらが予想もしていなかった歴史上の逸話を持ち出し、それらを対比して、目からうろこ
デヴィッド・ロッジの『交換教授』という作品の中に、「屈辱」という名のゲームが登場します。 ルールは簡単。 ゲームの参加者は、「とても有名で大勢のひとが読んでいるけれど、実は自分はまだ読んでいない作品」の名前を、順番にあげていきます。 他の参加者が一人その小説を読んでいればポイント1。二人ならばポイント2。本を読んだことのある人間の人数分、ポイントが加算されていきます。 「オルコット。『若草物語』」 「え、お前あれ読んでないの? おれは読んだよ。1ポイントだな」 「あたしも読んだ……これで2ポイントか」 とか 「『暗夜行路』は?」 「おれは読んでない」 「読んでないなー」 「あら、誰も読んでないね。チョイスがちょっと渋かったかな。ポイントゼロ。」 とか、そんなふうな会話を交わしながらゲームは進んでいくわけです。 そしてゲームが終わったとき、勝者は 「誰もが読んでいるような本をその場で最も読ん
ライトビット社は、「高速光通信を低コストで実現する基本的技術」(スタンフォード大の研究成果)を引っ提げ、超一流ベンチャーキャピタル二社の投資を受けて、二〇〇〇年八月に設立された。しかし創業早々、材料面での技術的な大きな壁にぶち当たり、製品化に暗雲が漂い始めた。同社CEO(最高経営責任者)は、解決策を相談するために、その道の世界的権威、マーティ・フェイヤー・スタンフォード大教授を訪ねた。教授は即座にこう言ったという。 「その難問は世界中でたぶんナカムラにしか解決できないだろう」 二〇〇一年五月のことだった。その日から「三顧の礼」電子メールが、東北大助手だった中村孝一郎(当時三十歳)宛に届き始めた。「ボルチモアの学会ですぐに会えないか」「うちを見学に来ないか」「明日からでも来てほしい」「ビザはこうしよう」「チケットはもう買ってある」矢継ぎ早の真摯な誘いに、中村の心は大きく動いた。
ながーいけど難しすぎず読みやすいお話でした。 経済学板より 経済学がこの世から消えたら… 1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2005/06/13(月) 20:02:32 ID:UjYKFLV3 困るか困らないか。 16 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2005/06/17(金) 15:37:13 ID:1/xsDPpZ さて全ての経済学者が「焚書坑経」で火炙りになり国民が喝采を叫んで 数年がたちました。 新聞の社会面に「景気が良くて人手不足で大変だ。やはり焚書坑経のおかげW」 といった庶民の声が満ちあふれ、全国民、役立たずを火炙りにしたことを言祝いでいたのですが、 そのうちなんだか良く分かりませんが、町にホームレスが増えてきました。 そういえば、新聞の社会面や株式面で企業倒産が増えているというニュースが しばしば見かけられるのですが、なにせ焚書坑経のお
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