タグ

関連タグで絞り込む (0)

  • 関連タグはありません

タグの絞り込みを解除

セルクマに関するchangko-hanのブックマーク (3)

  • 「なんでもないようなことが『幸せ』だったと思う」こと - 知的饕餮日記

    私は別にThe 虎舞竜のファンというわけではない。『ロード』は人口に膾炙したから、自称ロッカー()の耳にも届いただけである。他の曲は一切知らない。 しかし、人口に膾炙したということは、少なくない数の人が、この歌に感銘を覚えたということである。歌詞の叙情性は私の好みではないが(私の好みに関してはいつか吐き出すかもしれない)、人々の心を揺るがしたのであろう。 叙情性を切り捨てて、サイケ()でパンク()なロックンロール()を追い求めたのは私の絶望ゆえであろうが、最近のいくつかのできごとが、私を正の方向へ歩ませようとしている。 高校の先輩が出産した この先輩は著名な個人事業主で、公人名義のTwitterのアカウントでも妊娠・出産の報告をされている。公人としての先輩にとっての私は有象無象の一人でしかないと感じていた。 ほとんど放置していたFacebookのアカウントへ、見知らぬ名前の方からフレンド申

    「なんでもないようなことが『幸せ』だったと思う」こと - 知的饕餮日記
  • 「理解してもらおう」とするコストを払う - 知的饕餮日記

    兄たちにはこのブログのURLを教えている。 それにもかかわらず変態じみたことばかり書いているが、まぁそれは私という人間が変態であるのだからしかたがない。変態じみた偏執がなければ私ではない。 これは一種の対話である。 私は血の繋がった人と対話をした記憶がない。もちろん言葉を交わしたことはあるが、互いを尊重し、好きなものを認識し、理解を得られたことはついぞない。小学生の頃の私の言動は『わがまま』として消費され、思春期の頃は「何か難しいことを考えている、気持ち悪い」程度の認識しかしていなかったはずだ。おまけに20年近くリアルで会ってもいないのだから、私という人間がどんな要素でできていて、何を求めているのか、理解しているとは思えない。 先日、兄へメールを送った。 無責任に私をこの穢土へ放り出し、私の責任ではないすべての不都合を私のせいにして心の安寧を図った連中は許しがたい、といった内容である。 し

    「理解してもらおう」とするコストを払う - 知的饕餮日記
  • 文化資本が貧困であるということ - 知的饕餮日記

    教養主義の時代は終わった、と方々で言われているが、それでも最低限の教養があったほうがはるかに生きやすいし人生も楽しい。文化が豊かなら、目の前のできごとをただの具象として処理するにはとどまらず、その背景やそこへ至る人々の心の動きを想像し、補完してより深い楽しみを得ることができる。ウクライナ問題にせよ、TPPにせよ、2ちゃんねるの運営権を巡るいさかいにせよ、教養がなければただのニュースの見出しだが、中央アジアの歴史や、日農業の課題や、2ちゃんねる運営の人間関係を知れば、事態の推移の予想が可能だし、想定外のできごとが発生した場合は驚きが湧き、知的好奇心を満たすことができる。艦これも、ただ女の子を育てるだけではなく、擬人化の元ネタの船舶についての知識を学べば、より艦娘を好きになることもできる。 そもそも文化とは何か 毎度毎度Wikipediaさんへ頼るのも私の文化の欠如の表れなのだが

    文化資本が貧困であるということ - 知的饕餮日記
  • 1