ドキリ★リンク集 ドキリ★年号覚え方
鍾会、字(あざな)は士季。225生~264没。 蜀を滅ぼした魏軍の指揮官を鄧艾とともに務め、さらには姜維が最後に手を組んだ人物。 魏蜀末期を語るには外せないお方。 鍾会・人生のあらまし 頴川郡長社県(今の河南省)の人。鍾繇の末子(注1)。母親の名前は張昌蒲。 女性の名前が残されることのない時代に、なぜ母親の名前が伝わっているかというと、鍾会が母親の伝記「鍾会母伝」(注2)を書いたからだったりします。 正史を見ると、彼は、とにかく何か書いている…。数々の論文をはじめ、蜀遠征時の民への布告文とか、姜維降伏後の上奏文とか、さらには対陣中に姜維に手紙を書いてたりとか(返事はもらえなかったらしい)、まあ、よく書く書く。しかも長い。 注1:鍾繇75歳のときの子供。ほとんど孫です。 注2:その中で鍾会は「私は幼少の頃から、青か紺の衣服しか着せられなかった」と書いている。この伝記、「母親をよく言うために、
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