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ブックマーク / 1000ya.isis.ne.jp (4)

  • 87夜『日本の歴史をよみなおす』網野善彦|松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    87夜『日本の歴史をよみなおす』網野善彦|松岡正剛の千夜千冊
    cheap_watchdog
    cheap_watchdog 2016/08/07
    史料に基づいた豊かな解釈と、曲解に基づく歴史修正主義(現政権?)との違いを知るためにも?
  • 994夜『ライプニッツ著作集』ウィルヘルム・ライプニッツ|松岡正剛の千夜千冊

    ライプニッツ著作集 ヴィルヘルム・ライプニッツ 工作舎 1988~2018 Gottfried Wilhelm Leibniz Opera Omnia 1666~1715 [訳]下村寅太郎・山信ほか  翻訳=原亨吉・佐々木能章・佐々木力ほか 数学には記号がつきものだと思われている。そんなことはない。数学記号がないころから数学はさかんだったし、数式が言明しているメッセージ内容には必ずしも記号は躍っていない。 数学的能力と記号的能力も、まったくべつものである。記号の力を借りない数学的思考はいくらでも可能だし、既存の数学に対応していない記号的思考はいくらでもある。急に引き合いに出すけれど、三浦梅園やウンベルト・エーコには記号的能力はあろうが、数学的能力はほとんどないだろうし、ニュートンやホイヘンスは記号言語力に頼る必要がないほどに数学的能力に長けていた。 しかしいったん記号が定着し、それがしだ

    994夜『ライプニッツ著作集』ウィルヘルム・ライプニッツ|松岡正剛の千夜千冊
    cheap_watchdog
    cheap_watchdog 2016/06/26
    アルス云々は結合術。 抜粋→ では、ライプニッツは何をめざしたのか。アルス・コンビナトリアを論理学まで高め、そこに普遍的な記号代数を関与させ、「発見の論理学」ともいうべきを確立することをめざしていた。
  • 1432 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    書は3・11にまつわる一冊ではない。 小田実が1・17の体験にもとづいて書いた一冊だ。 阪神淡路大震災から東日大震災へ。 いや、名称はどうでもいい。 この16年のあいだ、 いったいわれわれは何を学んできたのか。 書を読むと、ただただ愕然とするにちがいない。 小田実は毎朝5時半ごろ目を覚ますようになった。それまでそんなことは一度もなかったらしい。1995年1月17日午前5時46分の大地震を受けてからのことだ。 そのとき小田は芦屋近くの西宮市に住んでいた。マンションの5階だ。その日は東京に出掛ける予定があって、なぜか早朝に目が覚めた。まだ真っ暗である。ところがその直後、激しい上下動が突発して、ガラスの砕ける不気味な音とともに轟然たる深いものが動いた。15秒くらいだった。必死でと娘の名を呼んだが、一歩も動けない。たちまち空襲の記憶が蘇った。大きな書棚はすべて倒れ、書物も唐三彩の人形も朝鮮

    1432 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
    cheap_watchdog
    cheap_watchdog 2016/05/26
    日本は阪神淡路大震災から何も学んでないとは言い過ぎではと思うが、活かせてない気はする。 抜粋→ 本書は、阪神淡路大震災の直撃を受けた一人の作家の希有の記録であり、一人の思想家の痛烈な批判書である。
  • 0639 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    消費社会の神話と構造 ジャン・ボードリヤール 紀伊国屋書店 1979 Jean Baudrilard La Societe de Consommation 1970 [訳]今村仁司・塚原史 テロとの対決を最終戦争とみなしたがっているブッシュ政権の連日の発言報道を見ていると、かつてボードリヤールが、「もはや現代社会では社会を組織する様式としての来の交換はない」と断言して、もしそういうものがあるとするなら、きっと人質交換などのテロリズムであろうと予言的に書いていたことが思い出される。 1976年に発表された『象徴交換と死』(ちくま学芸文庫)では、とくにこのことが強調されていた。市場における価値の等価な交換などとっくに死滅していて、もしそういうものが残っているとすれば、おのれの死を差し出して相手の死を要求するという交換だけだろうという予言が書いてあった。21世紀においても、サブライム(崇高)と

    0639 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
    cheap_watchdog
    cheap_watchdog 2015/11/30
    イラク侵攻のブッシュ政権時におけるボードリヤールの発言に絡めて代表的著作を紹介する書評。2016年師走においては、キュレーションサイトの信用性について、シミュラークルというキーワードを思い出した。
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