ニューヨークの音楽史に燦然と輝くロゴの数々を3回に分けて紹介する。
ニューヨークの音楽史に燦然と輝くロゴの数々を3回に分けて紹介する。
ハウス・ミュージックのゴッドファーザー、フランキー・ナックルズが3月31日、かねてから煩っていた糖尿病の合併症ためにシカゴで亡くなった。言うまでもなく、今日僕たちがハウス・ミュージックと呼んでいる音楽を大衆化したのは、1955年1月18日にブロンクスで生まれ、1977年にシカゴの〈ウェアハウス〉というクラブのレジデントになったこのDJである。 僕たちがハウス・ミュージックによってどれだけの幸福を味わったのかということを、どれだけ救われたのかということを、いまさら思い返すまでもない。フランキー・ナックルズの功績はあまりにも大きく、その損失は計り知れないほど大きい。ベッドルーム・ミュージックを最初に大衆化したのはシカゴ・ハウスだった。ロックンロールだってハウスに救われた時代があった。 フランキー・ナックルズは、音楽のみならず、ゲイ・カルチャーにも素晴らしい影響を与えている。彼は、ハウス・ミュー
昨日は収録時を狙われた様な大雨で(いやもう、本当にお越し頂いた皆様、この日ばかりはいつもよりも大目に有り難うございました)、というのは、終わったら数時間を待たずに、ウソの様にピタッと止んだからですが、4日連続イベントの幕開けがコレかー。と苦笑していたら、2日目のピットインに入るなり、PA席に花が飾られていて、ワタシは一人で黙祷してから演奏に入りましたが、この演奏がなかなかヤバく、良い調子で打ち上げで飲み食いしまくって更に体重を上げ、今日のDJなんかもう最高で、なんて天才なんだオレは。と感動していたのですが、最初のフロアはイースタンユースのライブが見たい人々に完璧なシカトを喰らい(笑)、二回目はクラムボンが見たい人々に、もっと物凄いシカトを喰らい(笑・あれほど激烈なシカトを喰らったのは初めてかも)、もうオルタナティヴ・トーキョー(イベント名)なお若い人々は、オレの事なんかどうでも良い以上に、
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く