瀬下直人 遠軽町埋蔵文化財センター学芸員。1978年札幌市生まれ。札幌大学文化学部比較文化学科 (考古学専攻) 卒業後、現職。一年中、暇さえあれば山にいる。
ロシアの国と人を支えてきたウォッカの今昔 ロシア人といえば、大酒飲みで特にウォッカが大好きというステレオタイプなイメージがあります。 90年代のテレビニュースに映った赤ら顔のエリツィン大統領や、ハリウッド映画で描かれる飲んだくれロシア人のイメージが強いかもしれません。 ただ、これが間違っているイメージかというと、半分くらいは合ってるのが悲しいところです。いかに健康を害しようとも、ロシア人はウォッカをこよなく愛してきました。ロシアの歴史はウォッカと共にあったと言っても過言ではありません。 1. 「生命の水」ウォッカ 「ウォッカ」がロシアに伝わったのは14世紀後半と考えられていますが、それ以前からロシア人は酒好きであったようです。 キエフ・ルーシの歴史が描かれた12世紀前半の『原初年代記』には、キエフ大公ウラジミールがイスラム教徒に「ルーシは飲むことが生きがい」と言ったエピソードが掲載されてい
緒言 バレンタインです。なのでチョコレートを作りました。とはいえ誰もがやっているようなカカオ豆からのチョコレート製造はしません。 代わりに代用チョコレートを作ろうと思います。戦時中、カカオの輸入が断絶している際に日本で流通したかもしれない代用チョコレートです。 これまで海底クラブ氏によって代用チョコレートが試作されていますが、しかし粉っぽさやモソモソ感が課題になっています。 また脱脂大豆粉やオクラの種など人間が食するに適さない材料の使用が考えられます。 よって今回は乳鉢でセコセコ頑張ることによる粉っぽさの改善と入手性を考慮した食材で代用チョコレートを作ります。 材料 代用チョコレートのレシピは1958年発行の日本チョコレート工業史に記載されているようです。私は運良く図書館から借りることができました。 ココア豆代用品研究会は1941年8月21日に第1回会合、その後9回の会合と個々の打ち合わせ
塹壕ラジオの接写写真。安全剃刀の刃と安全ピンに取り付けられ刃に押し付けられている鉛筆の芯が示されている。 塹壕ラジオ (ざんごうラジオ、英: foxhole radio)は、第二次世界大戦中に兵士が娯楽目的で地元ラジオ局の放送を聴取するため作った間に合わせのラジオ受信機である。 塹壕ラジオとは[編集] 塹壕ラジオは検波器に安全剃刀の刃を、電極針にはワイヤや安全ピンや鉛筆を用いた粗雑な鉱石ラジオである[1]。検波器には、デイビッド・エドワード・ヒューズの発明したカーボンマイクロフォンを応用して初期のラジオ受信機に用いられた検波器に似たものもあった。 再生式受信機やスーパーヘテロダイン受信機は電波を輻射するため、敵に自分の位置を知られるおそれがあり、兵士は通常の真空管受信機を持つことが許されなかった。塹壕ラジオは電源が無く、ラジオ局から受信した電力のみで動作するため、電波を輻射しないので真空管
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