福井県坂井市出身で金沢大学人間社会研究域研究員の松倉昂平さん(27)が、福井県嶺北地方を中心に92集落の方言のアクセントを調査し、他県にはない独自のアクセントを使う集落が複数あることを確認した。松倉さんは「アクセントからみて、嶺北地方は貴重な方言の宝庫。これほど多様なアクセントが混在する地域は全国的にも珍しい」と話している。この春修了した東京大学大学院の博士論文として発表した。 松倉さんは藤島高校を卒業後、言語学を研究しようと東京大学に進学。方言のアクセントに関する研究で嶺北地方が“空白地帯”だったことから卒業論文のテーマに選び、大学院に進学後も調査研究を続けてきた。 博士論文「福井県嶺北方言のアクセント研究」では、奥越を除く嶺北地方の88集落と石川県内の4集落を現地調査した結果をまとめた。嶺北地方の方言のアクセントは地域差が大きく、中でも沿岸部は集落ごとに異なるような状況で、あわら市北潟
福井県は5月23日、文豪夏目漱石が福井市出身の国文学者芳賀矢一(はが・やいち)宛てに送った自筆のはがきを発見したと発表した。はがきの内容は1917年刊行の「漱石全集」に掲載されているが、実物は所在不明になっていた。 ⇒【写真】漱石直筆はがきの表面はこちら 漱石の書簡研究の第一人者中島国彦さん(早稲田大名誉教授)は「1世紀にわたり所在不明だった漱石の自筆が発見されるのは珍しく貴重な資料」と話している。 「国文学の父」と称される芳賀と漱石は東京帝大の学友で、文部省の留学生として1900年に同じ船に乗り芳賀はドイツ、漱石はイギリスに渡った。漱石が芳賀に送ったはがきは01年8月1日付で、留学仲間の死を知った芳賀からの記念文庫設立の呼びかけに漱石が応じる内容。 芳賀宛てと同様に所在不明だった、学友で留学仲間のドイツ文学者藤代禎輔(ふじしろ・ていすけ)宛ての絵はがき2点も見つかった。 県立こども歴史文
福井県内の歴史を伝える多くの古文書が、インターネットのオークションサイトに流出している。福井県史の編さんから最長40年を経過することを受け、県文書館は本年度から5年計画で編さんに使用した古文書の現状を確認する追跡調査に着手。所蔵者の代替わりや引っ越しによる紛失に加え、近年のお宝志向によるネットでの史料散逸も思わぬハードルになりそうだ。 「福井方面なんかいろいろ出ているようです」。昨年11月末、全国の学芸員や大学教授ら47人でつくる非公開のSNSグループに、京都の歴史研究者から“通報”が入った。グループは5年前に立ち上がり、貴重な史料のネット流出に備えてボランティアでオークションサイトに目を光らせている。 このとき出品されたのは、坂井市内の旧村にまつわる江戸中期から末期の年貢の記録や借金証文など。歴史的価値はそれほど高くないとされるが、帳簿類と思われる史料がバラバラにされ、数枚千円から大量に
国の文化審議会は21日、国重要無形文化財に、越前和紙産地で伝承されている手漉き和紙の製作技術「越前鳥の子紙(とりのこし)」をはじめ全国の11件を指定するよう、松野博一文部科学相に答申した。政府が9月にも官報で告示し、決定する。 福井県内での国重要無形文化財は、2000年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された越前和紙「越前奉書」の9代目岩野市兵衛さん以来2件目。今回は、15年に設立された「越前生漉鳥の子紙保存会」(栁瀨晴夫会長)を保持団体とした。和紙関係の同一産地で複数が指定・認定されるのは全国初となる。 越前和紙は約1500年の歴史を誇り、鳥の子紙は雁皮というジンチョウゲ科の植物を原料とする。触り心地は滑らかで耐久性に優れ、虫害も少ないことから、経典や公文書用紙などとして愛用されてきた。 室町中期の文献によると、公家や僧侶の土産としても重宝されていた。江戸時代の百科事典「和漢三才図
【越山若水】外国語のように聞こえるが、実は日本語を少し変えただけという言葉遊びがある。昭和初期から戦後にかけ流行したが、背景には外国語への憧れがあったとされる▼代表格と言えば、年配の方なら誰もが承知の「オストアンデール」。あんこが入ったまんじゅうの意味。「ヒネルトジャー」は腕力が要らない最新式の水道だ▼今なら低俗な趣味と一蹴されそうだが、観察眼の鋭さとトンチの妙味が求められる娯楽といえる。江戸時代の著名な発明家、平賀源内先生も同じ遊びに興じていた▼物忘れの激しい人を「スポントワースル」と名付け、回す蚊取り器を「マアストカートル」と呼んだそうだ。昭和に入ると写真の「スマシテトール」、弱い力士の「デルトマーケル」などが登場した▼これらの遊び言葉は主にドイツ語風で、英語が普及した現在ではすっかり廃れてしまった。しかし時代が進み社会が発展したとはいえ、冷やかしたくなる事柄は幾つもある▼安倍政権は働
記事一覧 不老伝説の八百比丘尼を異例公開 江戸期制作の像、神明神社が所蔵 (2017年5月3日午前11時30分) 期間限定で公開さている神明神社の八百比丘尼坐像=福井県小浜市の県立若狭歴史博物館 不老伝説で知られる女性「八百比丘尼(はっぴゃくびくに)」の木造坐像(ざぞう)が21日まで、福井県小浜市の県立若狭歴史博物館で公開されている。同市青井の神明神社に安置されているもので、一般公開は極めて珍しいという。 八百比丘尼をめぐっては、人魚の肉を食べて不老となり全国を巡って人々を助けたという伝説が全国各地に残る。故郷の若狭に戻って800歳近くまで生きたとされ、神明神社境内の八百姫宮には、室町時代と江戸時代(17世紀後半)に造られたとされる2体の像がまつられている。 今回はそのうち、江戸時代に造られた1体(高さ約50センチ)を期間限定で展示した。右手に願いをかなえる宝珠、左手には白玉ツバキの枝
記事一覧 平安期・平泉寺の落慶法要文献発見 延暦寺支援、泰澄大師の名、旧跡も (2017年1月3日午前7時10分) 国宝称名寺聖教のうち「上素帖」。傍線部に「大(泰)澄大師」と書かれている(称名寺所蔵・神奈川県立金沢文庫管理) 平安時代後期に、平泉寺(福井県勝山市の現平泉寺白山神社)で行われた大講堂の落慶法要について記した文献が見つかった。比叡山延暦寺から導師を招いていたことや、6体の仏像を安置した大講堂の内部空間が判明。白山を開いたとされる「泰澄大師」の名や旧跡も記され、この時期に泰澄伝承が広まっていたことも分かった。専門家は、平泉寺の歴史や泰澄研究の重要な史料とみている。 文献は、国宝称名寺聖教(しょうぎょう)「上素帖(じょうそじょう)」。この中から、東大史料編纂所特任研究員の阿部美香さんが平泉寺の「堂供養」に関する2点の史料を発見し、このほど福井市で開かれた学術団体「藝林会」の研究
記事一覧 鎌倉時代の竹とんぼ出土、県内初 平泉寺旧境内、祭祀に使用? (2016年6月22日午前7時10分) 福井県勝山市の白山平泉寺旧境内にある素掘り井戸から出土した「木とんぼ」=21日、同市教育会館 福井県勝山市教委は21日、同市の国史跡白山平泉寺旧境内にある素掘りの井戸から、鎌倉後期(13世紀末〜14世紀前半)に作られたとみられる、竹とんぼの形状をした木製の「木(き)とんぼ」が出土したと発表した。県内で確認されたのは初めて。全国でも数例しかない。同教委は、現在の玩具「竹とんぼ」とは異なり、祭祀道具として使われていたとみている。 「木とんぼ」は木製だけに腐りやすく、ほとんど現存していない。同市教委によると出土したのは全国でも鳥取、岩手、新潟県など数カ所だけ。研究も進んでいないという。同市教委は発掘状況などから「神を鎮める行為に使われた祭祀道具」と推測。当時の生活を知る貴重な史料でもあ
記事一覧 「日本奇術文化史」刊行 歴史、創意工夫に新たな光 (2016年6月20日午前7時25分) 【論説】日本の伝統的な奇術の歴史、演目をまとめた書籍「日本奇術文化史」が刊行された。本県の歴史研究者と愛知県の奇術史研究家が協力して執筆。伝統奇術に新たな光を当て、文化史の流れの中に位置づけた画期的な労作だ。福井とも縁が深い奇術文化の継承、発展に活用したい。 内容は3部構成で、日本奇術の「歴史」を福井県立図書館主任司書の長野栄俊さん、「演目図説」を元愛知江南短期大学教授の河合勝さんが執筆、「資料編」として奇術書目録、用語、約500人の人名録を2人でまとめた。 長野さんは日本奇術の起源として、奈良時代に大陸から伝わった「散楽(さんがく)」という芸能とする従来の説を否定。中世前期に田楽の中で演じられ、縄や刀を使った手品をする芸能者がいたことを明らかにする。その後、18世紀には素人が本を通じて
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