新型コロナウイルス感染症に国民が不安を抱える中、「復興五輪」の象徴として福島県からスタートした東京五輪聖火リレー。初日の25日に沿道で取材した記者が目にしたのはランナーより目立つスポンサー車両による「お祭り騒ぎ」だった。(原田遼)
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鳥取市青谷町の養郷宮之脇遺跡で、つづら折りになった古代山陰道とみられる道路跡(幅9メートル)が見つかり、鳥取県埋蔵文化財センターが17日、発表した。道路跡は斜度30度を超えるような斜面にあり、馬でも上れるように工夫したと考えられるという。古代官道でつづら折りの構造が見つかるのは初めてという。 古代山陰道は、飛鳥時代から奈良時代の律令国家が緊急時の連絡網として全国に整備した七道駅路の一つ。古代官道は都と地方を最短距離で結ぶため直線的に造られたと考えられるが、急な地形ではつづら折りになっていた可能性が高まった。
昨年十月の台風19号で川崎市市民ミュージアム(同市中原区)の地下収蔵庫が浸水した問題で、市は被災した収蔵品名に関する本紙の情報公開請求に対して「個人情報保護」を理由に「黒塗り」で応じ、明らかにしなかった。同館に作品を寄贈した作家からは「作品、作家名から関心を持ち支援してくれる人も増える。一刻も早い修復へ、作品名を明らかにするべきだ」との声が上がった。 (大平樹) 市は一月二十八日、収蔵品の搬出状況が、総数約二十二万九千点のうち三分の一にとどまっていることを発表。ふやけた映画フィルムなど修復困難な収蔵品もあることは公表したが、個別の作品名は寄贈者や作者の理解を得られていないとして明かさなかった。 本紙は市役所で同日に開かれた、同館の被害状況に関する庁内会議資料を市に公開請求。十二日、「被災収蔵品に係る修復等の判断基準について(案)」と題したA4判の資料などが公開されたが、ほぼ全面的にマスキン
カトリックの総本山であるバチカン市国で二十三、二十四両日(現地時間)、一九五七年に能楽宝生流で初演し、六三年に一度だけ再演されたのを最後に封印された宝生流唯一のキリスト教の演目「復活のキリスト」が上演される。日本とバチカンの国交樹立七十五周年の記念公演で、シテ(主演)のキリストを二十世宗家、宝生和英(かずふさ)(31)がつとめる。和英は「能は宗教を超え、相互理解を重んじてきた。あらゆる信仰の人たちに鑑賞してもらいたい」と話す。 (藤浪繁雄) 世界各地でテロや紛争が相次ぎ、国際情勢が不安定化する中での公演に、和英は「能は歴史的にいろいろな文化を吸収し、柔軟性がある懐が深い芸能。それだけに意義がある」と強調する。 六百五十年ほどの歴史を持つ能は、日本に伝来するまで洋の東西の影響を受けながら発展してきた。日本では神仏習合に適応し、さまざまな宗教や神も受け入れてきた。例えば、天下太平を祈る「翁(お
「積ん読」という言葉は、世界に誇るべき日本語らしい。オックスフォード大学出版局は、「愛書家が知っておくべき十の言葉」の筆頭に、tsundoku(ツンドク)を挙げた▼買った本を読まないまま、積んでおく。そんな状態をずばりひと言で表す言葉が、英語などにはない。日本の読書文化が生み出した見事な言葉なのだ▼だが、胸を張ってばかりもいられない。本棚からあふれ、廊下や枕元などで山となった本に、自己嫌悪さえ覚えるのに、その山は確実に成長し続ける。そういう「積ん読病」患者にお薦めなのが、若松英輔さんの近著『言葉の贈り物』だ▼若松さんのお父さんも大変な愛書家で、晩年に目を悪くして満足に読めなくなっても、買い続けた。どう見ても無駄である。父の「積ん読病」を若松さんが同僚に嘆くと、こう言われたという。「読めない本は、読める本より大事なのかもしれない」▼<人は、いつか読みたいと願いながら読むことができない本からも
台湾南部・台南市で「守り神」として祭られている水戸市出身の旧日本海軍零戦パイロット、杉浦茂峰兵曹長のご神体の里帰りを祝う催しが二十二日、水戸市内の生家跡周辺で開かれた。台湾や水戸の関係者ら約二百人が交流し、ご神体をみこしに乗せ、中心市街地を練り歩き、歓迎した。 (山下葉月) 杉浦氏は本籍は現在の那珂市だが、生まれも育ちも水戸市。一九四四年十月、台南市上空で米軍機と交戦し、畑の中に落ちて二十歳の若さで戦死した。ご神体がある台南市の「飛虎将軍廟(びょう)」の管理委員会発行のパンフレットによると、「自らの命を犠牲にして集落を守った恩人」として、台南市の有志が七一年に廟を建てた。 水戸市の水戸芸術館で開かれたみこしの出発式には、管理委員会のメンバーや高橋靖市長らが参加。委員会の呉進池(ウジンチ)主任委員はあいさつで「里帰りが実現できて本当にうれしい。今後もさまざまな面で交流したい」と話し、水戸と台
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