まぷ @yamambaaa 文革の直前と書いたけれど、この旅行は1966年4月~6月で文革開始は1966年5月16日だから少し被っている twitter.com/yamambaaa/stat… 2021-01-07 18:01:22
日本画家である日下八光(くさか・はっこう)は、徳島県に生まれました。大正13年に東京美術学校(現東京藝術大学)の日本画科卒業を卒業し、昭和19年同校助教授、昭和20年教授に就任し、以後、昭和42年に東京芸術大学を退官するまで同大学で教鞭を取りました。 日下は文化庁(当時の文化財保護委員会)から委嘱され、全国各地にある古墳時代の装飾古墳壁画の現状を模写しました。国内にある装飾古墳の壁画は、描かれて千数百年の年月が流れ、壁面の劣化が進むだけでなく、日光や石室内に染み出す水等の影響で文様が不鮮明なものが数多くあります。このため、日下は装飾古墳壁画の現状を記録するだけでなく、壁画が描かれた当時の姿に近い形での再現に成功しました。 大正年間にその存在が知られた鳥栖市田代太田古墳の石室には、船や馬、人物などの絵画のほか、同心円文や三角文等の文様が描かれています。他の装飾古墳同様、実際の壁画の文様は劣化
大阪市西成区のあいりん地区で労働者の日常を50年前から記録し続ける地元のカメラマン、中島敏(さとし)さん(71)が14日、インターネット上で写真を保存・公開する「フォトアーカイブ」を開設する。1969~95年に撮影した写真およそ1万枚分のネガフィルムをデジタル化し、順次公開する。かつての労働者の暮らしぶりや変わりゆく街並みを伝える貴重な資料で、専門家は「これだけ長期間、定点観測した記録は珍しい」と指摘する。 中島さんは写真の専門学校を卒業後、プロカメラマンの助手になったが、人間関係に悩んで半年ほどで写真家になる夢を諦め、アルバイト生活を始めた。その後の69年、日雇いの仕事を求めてあいりんに移り住んだ。翌年に大阪万博を控えた時代。パビリオン建設などの仕事は高給で、中島さんの日当は3倍になった。
自身の写真のコピーを持つメンドンサ氏=2009年7月、米ロードアイランド州(Connie Grosch/Providence Journal・AP=共同) 第2次大戦での対日戦勝に喜び女性にキスをする水兵の写真で知られた元米兵、ジョージ・メンドンサ氏が17日、米東部ロードアイランド州ミドルタウンの介護施設で死去した。95歳。転倒して体調が悪化していた。AP通信などが伝えた。
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※本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ています たった1枚の写真から、謎に包まれていた巨大観音像の正体が判明――。Twitter上で繰り広げられた、奇跡のような歴史ミステリーの解読劇に「鳥肌立った」「集合知の勝利」といった声が寄せられています。 発端となったのは、サイト「コンクリート像を見にゆきます(仮)」の管理人・つるま(@clane_2015)さんが12月1日にTwitterに投稿した1枚の写真。そこには1体の巨大な観音像と、その周りに集まった大勢の人々が写っていました。「この観音像が撮影された場所、年代を探しています。これだけ巨大な観音像なのに、日本のどこにあった(ある)ものなのか、全く不明なのです」とつるまさんは呼びかけました。 巨大な観音像と、それを取り巻く人たち。近畿地方のとあるお寺に眠っていたとのこと(画像提供:つるまさん) つるまさんによると、この写真は近畿のとあ
資料形態デジタル画像(国立国会図書館デジタルコレクション)数量304アイテム主な内容モージャー氏が、第二次世界大戦後、GHQの文民スタッフ(civilian secretarial staff)として1946年4月から1947年1月まで日本に滞在した際、東京、名古屋、広島等の全国各地で撮影した街頭風景や建築物のカラー写真。受入2008年、米国在住のモージャー(Robert V. Mosier)氏の親族からカラースライド(304枚)の寄贈を受けた。当館においてデジタル化作業を行い、2017年、デジタルコレクションで公開した(なお、デジタルコレクションでの公開にあわせ、紙の複製資料(憲政資料室収集文書1416)は利用不可)。
国内外の資料・情報を広く収集・保存し、知識・文化の基盤となり、国会の活動を補佐するとともに、行政・司法及び国民に図書館サービスを提供する、というのが国立国会図書館です。そんな国立国会図書館が収集・保存しているデジタル資料を検索・閲覧できるのが国立国会図書館デジタルコレクションで、貴重な歴史的資料などが多数公開されています。そんな国立国会図書館デジタルコレクションでは2017年9月6日から、第二次世界大戦後の1946年4月から1947年1月にかけてGHQの文民スタッフとして日本へやってきたロバート・モージャー氏が撮影した当時の日本の街頭風景や建築物のカラー写真を公開しています。 国立国会図書館デジタルコレクション - モージャー氏撮影写真資料 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10756455 占領時の日本の街並みが、以下のようなカラーの写真として残ってい
奈良「飛鳥園」の文化財写真、韓国の民間機関が調査へ 「北朝鮮の高句麗古墳の写真もあるといいます。飛鳥園に保管されていた、1920-30年代の韓半島(朝鮮半島)全域の文化財に関する写真の宝庫が開かれたわけです」 慶州学研究院のパク・イムグァン院長は8月30日、奈良市の文化財専門写真会社「飛鳥園」にガラス乾板の形で整理されないまま保管されていた写真およそ10万枚を、来年1月から3年かけて調査することで飛鳥園側と合意し、了解覚書(MOU)を結ぶことを明らかにした。飛鳥園は、慶尚北道慶州市九黄洞の皇福寺址(し)三層石塔(韓国の国宝第37号に指定)周辺に配置されていた十二支像(十二支の動物を形象化した像)が植民地時代にどのように発掘調査されたのかを示す、建築家の故・能勢丑三(1889-1954)の貴重な写真(1月31日付本紙既報)を保有している。今回調査が行われる写真は、飛鳥園の創業者で写真の専門家
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日露戦争後、関東州と南満州鉄道附属地を手に入れた日本は、満鉄主導で現在の東北地方の開発を進めましたが、いかにも日本らしいと思うのが、各地に温泉を開発し、行楽地にしたことです。 なかでも有名だったのが、湯崗子温泉(鞍山)、熊岳城温泉(営口)、五龍背温泉(丹東)でした。当時は「満州三大温泉」と呼ばれていました。 これら満州の温泉を世に広めるのに一躍買ったのが、明治の文豪たちです。 最初の話題提供者は、『満韓ところどころ』を書いた夏目漱石。彼が訪ねたのは日露戦争後わずか 4年目( 1909(明治 42)年)で、満鉄沿線は開発途上でした。それでも、漱石は熊岳城温泉と湯崗子温泉を訪ねており、兵士の療養小屋に毛の生えた程度の温泉宿の様子を「すこぶる殺風景」と評しています。 時代は移って大正期に入ると、紀行作家として有名な田山花袋のベストセラー『温泉めぐり』や『満鮮の行楽』などの読み物の中に、満洲三大温
東京・上野と成田空港を結ぶ京成電鉄(本社・千葉県市川市)の63年前に廃止された地下駅の駅舎や階段が当時のまま残されていることが分かった。毎日新聞の取材を同社が特別に許可し、“タイムカプセル”が開いた。私企業の産業遺構は経済状況の変化で姿を消すのが一般的なため、奇跡的な事例だ。 遺構が確認されたのは東京都台東区の旧・寛永寺坂駅。1933(昭和8)年12月に日暮里−上野公園(現・京成上野)間2.1キロの開通に合わせ、地下区間に開業した。45年6月に日暮里−上野公…
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